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記号論やキャラクター論
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泉信行 @izumino

家に帰る道すがら、人工知能表紙イラストについて社会学的なこと完全抜きにして、表象文化研究の頭だけ働かせながら考えていた。あれが背景にストーリーを持たない、というかストーリーとかしったこっちゃねえという語られ方をまずされていたのは、つまり『テヅカ・イズ・デッド』の言葉で言うと→

2013-12-30 23:13:39
泉信行 @izumino

→背景に物語を持つ「キャラクター」じゃない、ということになり、めいめい好き勝手に物語を構築できるという点では「キャラ」的であり村上裕一『ゴーストの条件』も想起させる。しかしあの人物には(TIZではキャラの成立条件とされる)「名指し」が一切ないのが特徴的で、じゃあ「キャラ」でも→

2013-12-30 23:17:41
泉信行 @izumino

→ないのなら、キャラ化する以前の「絵画」に近いものかもしれない。だから「キャラ」だと思う人は習慣的に「キャラ」とみなすが、そうでない人は「いびつな女性像」として見るのかもしれない。ここで、萌えキャラへの嫌悪反応を「フォビア」と呼んで理解しようとしていた伊藤さんの考えも思い出す。→

2013-12-30 23:25:31
泉信行 @izumino

→逆に、名指しもあり物語もある「キャラクター」だったならどうかを仮定してみると、例えばハインライン『夏への扉』の文化女中機(ハイヤードガール)を今風の絵にしてみました、といった「解説文」込みの絵が考えられるだろう。こうした場合、かなり受け取られ方は違ってくるんじゃないかと思う。→

2013-12-30 23:29:34
泉信行 @izumino

→その場合、その絵画を作り出したのは「匿名」の「男性」の欲望ではなく、あくまで(固有名である)ハイラインが書いたことを半自動的に敷衍して絵にしたことになるからだ。まぁ文化女中機自体が性役割を匂わせるネーミングで始末に負えないのだけど「匿名」の男性に回収できない程度に固有的だ。→

2013-12-30 23:33:43
泉信行 @izumino

→思考としてあまりまとまっていないのだけど、物語もなく名前も持たない「絵画」が、その匿名性ゆえに様々な物語を読み込ませるという点で、キャラクターや表象文化で議論されていたことが現実となって押し寄せてきたようにも感じられる。伊藤さんはこの読み込ませる力を描き手の「才能」と適切に→

2013-12-30 23:37:09
泉信行 @izumino

→評しておられたが、「キャラ/キャラクター」で単純に二分化できない、絵画の領域にある人物が、キャラクターとしての見られ方やそれへのフォビアと混じり合うことで、やたらと意味深い表象となり、また、その「作者」たるものの意図を非常に匿名的なものへスライドさせていったのだとも思う。→

2013-12-30 23:44:17
泉信行 @izumino

→背景に物語も持たない絵画として眺める場合、描かれている女性は自然と「匿名的な女」となり、それを作り出した者は同時に匿名的な男となる。この、A(女)から自動的に非A(男)を作り出す思考展開は、いま話題の『ミッキーはなぜ口笛を吹くのか』の終章におけるアニメキャラ論も想起させる。→

2013-12-30 23:51:31
泉信行 @izumino

→と、上記のように理屈にまとめた上で、じゃあキャラ化していない絵画は絵として「すごい」のか? 「力がある」ということなのか? それとも「ややこしい」「何かの問題を抱えている」のか? といった価値について考えるのは、今回とは全く別のお話。とりあえずここまで。

2013-12-30 23:57:12