丹生谷貴志ツイートまとめ(2014年1月)

丹生谷貴志氏の2014年1月分のツイートをまとめました。
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nibuya @cbfn

昔の年長の同僚の余命幾ばくもないという話を聞く。教えてくれた人も久しぶりで、いつもながらノンシャランな調子だからこちらもそんな感じで受け答えたがしばらくやることがドタバタし、自分が軽いパニックに陥っていることに気づく。要はその知らせに自覚以上にショックを受けたのかも知れない・・・

2014-01-10 22:32:19
nibuya @cbfn

今日は寒いが晴天、晴天の山中を走っているといつも何故かマキノ雅弘監督の『次郎長三国志』を思い出す・・・というかそれを見た幼児の頃の印象を思い出すのか。子供の頃見た映画の印象はどの映画も皆晴天だった、という思い込みだ。古典期の?映画はいつも撮影のためもあって、晴天の地を求めた・・・

2014-01-10 22:37:47
nibuya @cbfn

ゴダールの映画はいつも晴天だ・・・そんな感じがする。ゴダールは映画に「晴天」を再開させた・・・

2014-01-10 22:40:37
nibuya @cbfn

でもってこんな晴天を見ると「青い空の中にぽっかり浮かんだ白い雲 あの雲の向こうにはしあわせがいっぱい」というベタもベタな或る歌詞が浮かび、僕の中ではそれを歌っているのは浜田光男さんで、何かの映画の一場面なのだが、これは多分完全な思い違いであるとして、何の映画だったか覚えていない。

2014-01-10 23:09:43
nibuya @cbfn

僕の記憶の中ではそれは東京のビルの屋上の場面で、その何ともそれこそ晴天なベタの歌詞を皆が歌い出し、踊り出すのだ。マキノさんの次郎長でもそうだったが、昔の日本映画は皆が不意に当然のごとく晴天の中で歌い出す。映画は自然にミュージカルでもあって・・・その意味でインド映画は一種の正統で・

2014-01-10 23:19:14
nibuya @cbfn

不意に浮かぶベタな歌詞なら他にもあって、「海は青く 何でこの命 捨てられよう」という歌詞・・・これは間違いなくプロコル・ハルムの『海賊の歌』の中の歌詞だと思う。中学の時か、テレビで写った彼らのコンサートのテロップに流れて・・・まあ、その日も晴天だったのだと思う

2014-01-10 23:19:43
nibuya @cbfn

映画はかつて必然的に?晴天であって雨は異常事態だった。だから逆に昔の映画は雨を撮るのがとても巧かった。同じく夜は晴天に撮られる。アメリカン・ナイトは周知のように裏返しの晴天で。イーストウッドの映画も本質的に!いつだって晴天で、だから逆に『許されざる者』の嵐もよいの原野が素晴らしい

2014-01-10 23:26:20
nibuya @cbfn

ブルックナー第八交響曲を聞いたのはセルのLPで、ジャケットは乱雲の中の月だったが何故か僕の中ではあれもまた晴天の真昼の音楽なのだ。説明不能。あの重い砂金の様な真昼の晴天の感じがクローデルの素晴らしい『真昼に分つ』と結びついて・・・これも説明不能。勝手な感応連合に過ぎないでしょう。

2014-01-10 23:35:08
nibuya @cbfn

年を取るとまさに頑固になるのか感傷的なのか、訳は昔読んだものに愛着があって、例えば『マルドロール』の新訳が何本も出ても昔の栗田勇訳を選んだり(まあ三島さんの短篇『葡萄パン』の記憶もありますが)『星の王子様』は内藤濯訳だけ『路上』も古くさくても昔の方が好き等々。意味のないことです。

2014-01-11 00:20:41
nibuya @cbfn

誤訳が直されること新発見による解釈訂正、或いは箸にも棒にもかからない「悪訳」が直されること(時に「生産的な悪訳」というのもあるんですが)・・・これは歓迎ですが「清新な新訳で読み易く」という売り出しの訳は僕は基本的に警戒します。

2014-01-11 13:46:25
nibuya @cbfn

当たり前の確認−−ブールデューの「方法」は要するにクリティックの全方位化であってむろんそれはそれを操るブールデュー自身も対象に含むという意味で言わば世界の完全な「無間煉獄化」の企画であるだろう。その限りにおいて彼の仕事は衝迫として置かれる。

2014-01-12 09:56:31
nibuya @cbfn

・・・逆に言えばその自己言及的批評性を封鎖して「分析道具」として用いられた場合ブールデューの方法は行政小役人の「現場調査=支配」のレポートの道具になってしまう危険があるだろう。その危険についてブールデューは奇妙に無自覚だったように僕には見えることがある。

2014-01-12 11:33:31
nibuya @cbfn

・・・翻訳云々は誤訳やらはともかく個人的な文章の好みでして、例えばクローデル『繻子の靴』なら間違いなく世界的権威と言っていい渡辺守章さんの訳本以上のものを望み得ないのだが、単に昔から読み慣れという意味で中村真一郎さんを選んでしまうといった適当さで、それ以上でも以下でもない・・・

2014-01-13 22:22:20
nibuya @cbfn

因に中村真一郎訳の『繻子の靴』にはかなり重大な勘違いの訳があるので注意を要します。例えば「ドミニコ派の黒い坊主」という訳があり、原文は「黒い坊主」だけなのに補足したのでしょうが「黒い坊主」はマルティン・ルターのあだ名?なので、ドミニコ派じゃあ意味が真反対になってしまう、とか

2014-01-14 04:16:55
nibuya @cbfn

たぶん僕は神経症レベルのディスレクシアの気味があると勝手に、しかしかなり本気で自己診断していて、文章に好悪が激しいというよりも、ある種のリズム、配置、印字の文章に関してまったく意味を取る集中力が無くなってしまう。

2014-01-14 04:25:45
nibuya @cbfn

『繻子の靴』第四のロドリグと日本人絵師・大仏(!)の場面を原書と二つの訳で何度も読み返す。無論ここに”欧米人の見た日本”の或る類型を見出すことは実に容易だが、では”日本人自身の見た日本”をこれに対抗し得るまでに語る、或いは置くことがどれほど可能か? ・・・

2014-01-16 23:37:41
nibuya @cbfn

エクゾティスムを語源のままに取れば宣長すらそこにおいて「日本」を掌握したのだろうし芭蕉もまた一種の古今伝授的錯綜の中から「日本」を掌握したと言えるとすれば・・・当たり前の確認だが、「日本」は「日本人」においてもまたエクゾティスムの機制において「捏造」されたものであるはず

2014-01-17 01:20:01
nibuya @cbfn

オネゲル『火刑台の上のジャンヌ・ダルク』小澤征爾指揮。小澤さんは2002年にもパリでの記念祭でこれを振り録音しているが僕の持っているのは1967年英語台本によるもの。小澤さんの最初期の録音。僕はこっちの方が好き。若い小澤さんの厭らしくないシャープな覇気。意外なほどいい録音・・・

2014-01-17 17:41:30
nibuya @cbfn

ブキッシュな話。筑摩文学大系の『クローデル/ヴァレリー』は一期二期で内容が違う。二期ではクローデルに関して渡辺守章さんがほぼ「覇権」を握って編集改訳し『五大讃歌』の一部が載っている。或いはヴァレリーの詩集は鈴木信太郎さんの完成版でほぼ統一されている。

2014-01-17 17:48:04
nibuya @cbfn

詰まらない話、現代音楽にも史的背景がある。オネゲルのものは55年、ドゴール政権下、アルジェリア戦争の影等々があるか? 或いはメシアンの『サレバ我死者ノ蘇リヲ待チ望ム』は終戦後、マルローの依嘱によって二次大戦の死者への追悼として作曲され演奏された。日本の事情は疎い。調べること。

2014-01-17 17:57:11
nibuya @cbfn

戦闘美少女という語の起源は斉藤環氏なのかそれはともかくゲーム・アニメ入魂の世代ではない僕がその名詞から思い出すのは日本では川端『浅草紅団』も悪くないけど何より石川淳さん『蜜蜂の冒険』やらの童話「落とし書き」やら『狂風記』、クノーの少女たち、或いは『繻子の靴』のドニャ・セペテ・・・

2014-01-17 19:29:04
nibuya @cbfn

・・志賀直哉という人に関しては中学生の頃か文庫本で手に入る限りでの小説はほぼ全部読んだのは確かなのですが内容となるとまったくどれ一つ覚えていない。ただその「言葉振り」だけは記憶にあり、誰だったか「竹馬に乗るアスレティックな志賀直哉」を書いた「明治生まれの体育家」の身ごなしには納得

2014-01-17 20:00:24
nibuya @cbfn

『繻子の靴』のドニャ・セペテの初登場は「四日目第三場」、渡辺さんの訳も中村さんの訳もいいのですが、原文のどこか伝法で「深刻に間の抜けた」可愛らしい口調はなかなか転写が難しいでしょうね。石川さんならどんな口調にするか・・・

2014-01-17 20:04:20
nibuya @cbfn

ここのところ集中力が壊滅状態で『繻子の靴』を二ページも読むともう切れる。そうなると散乱で、井伏鱒二をぱらぱら見てモームを開き、鈴木訳プルースト縮訳を見てマッハとウィトゲンシュタインの「喧嘩」を調べ『1066年とか何とか』という英国史の古典?!を訳しかけ、ゲーム実況を見て・・・

2014-01-18 01:45:05
nibuya @cbfn

「COD」という有名な一人称シューティングゲームがあり先に30名「撃ち殺した」者が勝つルール。無論「自分」も殺され、死ぬ瞬間に一瞬幽体離脱のように「死ぬ自分」とゲーマーが分離する。だからオンラインゲームだと、誰かが「死ぬ」度に瞬時瞬時「一瞬の幽体離脱」が各自の「孤独」に起こり・・

2014-01-18 05:48:10
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