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- L_O_Nihilum
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課金ゲーでキャラクターなどのオブジェクトが、たんなるアイコンになるまでにアングラム(過度な非重量(内容)化)したのは、そのようなRPGのノウハウに、カードゲームの販売形態が重なったうえでのアウフヘーベン。てか、データベース動物を釣ってるわけなので、データベース商法と呼べる。
2014-06-07 02:49:25これはキャラクター、外世他者表象の意味で考えるなら、それの物語化=テクスト化を経て、カード=軽量化、数値化=単一記号化→課金データ=非重量・非所有表象化=データベース化という流れと取れる。ところで、東の動ポモが出てから、データベース化が起ったのは数年後。
2014-06-07 02:50:59言い換えれば、このころになったらビジネスマンの多くは批評書として東を読み通してビジネスに生かしている可能性が非常に濃い。批評は、最初から立てた結論を通して、勝手な予言をしているばかりか、その予言通りに商売がされて、其れが質の低下も問題も起こしている、という実際例の可能性。
2014-06-07 02:51:53これは角川や京アニに関して、享受者間に言われる「焼畑産業」と言われる商法、ビジネス的態度にも顕著。かててくわえて、ゲンロンはこれらのバックボーンをなすコネを持っている(それでけいおんの原作者が批評家にドヤされた話もあるとか?) 日本の批評の陳腐状況を如実に示す可能性。
2014-06-07 02:53:21カードゲームのように、内容を深く構成せず、大量に同一記号を生産する手法は商売と相性が良い。これらにも言えることだが、「世界観」の美意識の欠落には、世界を構築しようとする創作態度の欠落、プロセスの逆化が絡む。
2014-06-07 02:54:57つまり、どのような世界を作るか、ということから諸要素(あるいは諸記号)を連関させようとする作りに対し、その逆で、先に記号をいくつかジャンルから引っ張って用意しておき、組み合わせることで、世界観っぽく見せているだけになる。
2014-06-07 02:55:45ナイツやニューパルサーのように、機種に個性があったのは4号機までの話。 5号機からは個性がなくなるばかりかゲーム性もなくなった。その背景には、射幸性(Cf:機械割)の上昇があった。(Cf:ミリゴ)
2014-06-07 02:59:28規制がはいるとゲーム性の幅が狭くなる。 その狭くなった幅を穴埋めするために、タイアップで話題性を追求するようになる。 然しそれは同時に、タイアップ先と結び合い、自ら生産する作品の種類幅にとって制約となることも多い。
2014-06-07 03:00:51パチスロと会社、政治の構造論
カードゲームの文面と法律
規制があるなかでも、工夫すればその手の面白い機種を作ることはできる 4号機以前の歴史にあるスロットの良さを再現することは可能(再現、までだが) だが、一度にメダルが出るルールであり、キャラの話題性も薄く、安易にホールも設定を入れられない。
2014-06-07 03:02:16出玉感と遊びやすさを重視して作り、打ち手の遊びやすさ=引き込みやすさを狙うと、店が設定を入れなくなり、結果、打ち手もそうした名機を撃たなくなる(よって「打たれない名機」がノーマルAタイプ機に増える原因となる…ジャグラーだけがそれを免れている現状がある)
2014-06-07 03:03:30そうしたとき、残る「名機」と言われる「名実ともに名機」は、タイアップART機からいずれかになる。
2014-06-07 03:04:15ARTなどでおこなわれる液晶演出は、リール上の出目と対応しない(参照:「何故5号機ニューパルのリールは4つあるのか」)。メイン基盤が抽選した役と、内部で抽選された状況が一致しないことで、プレイヤーが予測できないゲームモード処理を起こす。
2014-06-07 03:05:23どうやらその構造は、コウ氏曰く、「企業」の態度に似ている。 企業の経営方針は、契約された表面(おもてつら)に書いてあることではなく、より奥で内通された密約的な一部の人間の会話によって実行される。 紙面でYESと書いたハズのことが、NOで実行される(東電等に多いとか)
2014-06-07 03:07:07この構造は、液晶で予告したにもかかわらず、其れと違う絵柄が揃ってリプレイが発生する様子や、ボーナス絵柄が揃ってもそれが「ART」であるだけで、ボーナスではなく(疑似ボーナス)、実質的にそのボーナス絵柄はリプレイ絵柄であった…などのパチスロ機の内部構造と近い。
2014-06-07 03:08:09さらに、パチスロの周囲環境…つまり、機種・企業・ホール・客の関係は、政治と国民の関係と合致する。 司法機関が機能せず、行政機関が立法機関をコネで制御する。 同じように、ホールや客が機能せず、タイアップ先が受注となり、スロを作る側がその呪縛を抜けづらい。
2014-06-07 03:10:02立法が脚本家なら、行政は演者たちのいる舞台であり、 司法は観客に過ぎない。 そして、さらにそれらの観客である国民は、この演劇の形相に従う事しかできない。 国民とはスロでいう打ち手だ。
2014-06-07 03:10:53それはさらに、テレビと政治の関係、やテレビと芸能人、映画とタイアップ等の関係にも同様の構造を見出せる。 政治が脚本を書き、テレビが報道という演技をし、企業はその顧客(CMは客の欲望を企業に売るもの)。 脚本がタイアップを選び、演者はタイアップとつるみ、質の低い実写版アニメが出来る
2014-06-07 03:13:13ホールはなあなあで見てるしかないから死んでるも同然で・・・あれ?俳優とプロット側がつるんで…あっ(察し
2014-06-07 03:13:39コウ「ホント、日本って一時が万事だよねwww」 悉「いや、構造主義ってそもそも一事が万事であることを見出す事じゃないのw?」 コウ「そうだけどさあwソシュール笑うだろうねw」 悉「世界観の想像力が無い今、リーチ目と言うシニフィエと配当と言うシニフィアンが乖離してるのさw」
2014-06-07 03:14:54さきの宗教家のテロ事件が社会に精圧されてしまった事態を経たためか、今国民には「効果意思」がない。効果意思とは、ある効果を期待する意思のこと。 たとえばAという効果を得るためにBをしようと思う、と言う事。このBがAと関連づけられていない、あるいは意図的に多岐化され霧散している。
2014-06-07 03:16:20