「銀ブラ」の語源はコーヒーと関係あるの?
- coffee_sen
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@y_tambe うお、これはすごい。 >他国の言語でも、Google翻訳を多用しつつ読むのはなかなか面白そうですし、やってみます。
2014-07-08 11:37:00@y_tambe あぁー……ゆえに第2版ではその影響を反映した内容に変わっている、ということですか……。なるほど、考えなしに購入せねば、などと思っていた僕が恥ずかしい。
2014-07-08 11:41:00@y_tambe (納得しきった顔してる)>けど、ということは初版、第2版ともに読んで気が付いたということですよね……ひえぇすごい。
2014-07-08 11:44:29@oujiro_coffee そうだったらすごかったんですけど、実際のところ、僕もあまり後先考えずに書籍で買って、その後で電子版が無料公開されてるのに気付いて、しまったなぁ、と思いながら、文中の単語検索が楽だから電子版ばっかり使ってたら、何か記憶してるのと違うところが…と。
2014-07-08 12:03:15「銀ぶら」の件、なぜカフェパウリスタが「ブラジル説」の出所になってるかというと、当時「ブラジルコーヒー」を売りにして開かれた喫茶店だったから。パウリスタは「サンパウロの」という意味で、この当時ブラジル最大のコーヒー生産地サンパウロには日本から移民が大勢渡って、そのつながりから。
2014-07-08 12:10:25@y_tambe (記憶していて引っかかるっていうのがすごいです) >ちなみに日本語訳版のAll About Coffeeについてはどうでしょう、もし読んでいたらばTambe氏の評価をきかせていただきたいかも、なんて。
2014-07-08 12:15:06@oujiro_coffee 先に原著買ったので、恥ずかしながら未入手です。UCC博物館で見ては、買って帰るか悩んで、本の重さであきらめる、を何回繰り返したか…。翻訳の質は今一の箇所もあると聞きますが、辻調の山内先生も参加されてるので全体では*そこそこの線*は行ってるじゃないかと
2014-07-08 12:23:18@y_tambe ご質問の件、字数の関係で省略してしまいましたが、『新らしい言葉の字引』は手元になく、『日本国語大辞典』第四巻(小学館)で挙げられていた用例を参照しています。言葉の初出に拘る同辞典の性格からして、初版と改版の混同はなかろうと判断していますが、要確認ではありますね。
2014-07-08 12:26:37「銀座でブラジルコーヒー」説なんて知らなかった!謝誤りでも面白い。"@IIMA_Hiroaki: 『三省堂国語辞典』では「銀ぶら」は〈東京の銀座通りをぶらぶら散歩すること〉と説明。「銀座でブラジルコーヒー」説を誤りとしています。 pic.twitter.com/gj2cBED0zL"
2014-07-08 12:29:49@y_tambe ちなみに、銀座がモダン都市として繁栄するのは御指摘の通り震災後ですが、銀座の歩道をショーウィンドーを眺めて遊歩する「銀ブラが銀座に定着し出すのは明治末頃からで、その主要な担い手は…若きインテリたちであった」(吉見俊哉『都市のドラマツルギー』)と指摘されます。
2014-07-08 12:31:31@y_tambe ふむ、であればまず買うのはそちらにしてみようかな(原著は教えていただいたものを参考に、電子版で読み解いていくことを決意しました)。翻訳の甘さはよく言われているので(翻訳されたものであればどれも言われるのでしょうか)、購入に踏み切れずにいたのでした。
2014-07-08 12:43:25カフェーパウリスタは、元々「ブラジル移民の父」水野龍氏が始めた店で、彼はブラジルに移民を運ぶために設立された「皇国植民会社」の社長が本業。サンパウロ州政府からコーヒー豆を無償提供を受ける契約を結んだので、原料費はタダ(輸送その他はかかる)。これは(続
2014-07-08 12:43:46承前)無償提供受けたのは「日本でブラジルコーヒーを普及させる宣伝のため」という大義名分と、そもそも彼の移民事業自体が会社に負担が大きかったため、移民労働力を欲しがってたサンパウロ州が配慮したため、という背景があったらしい。契約は何度か延長されたけど、震災の1923年に打ち切られた
2014-07-08 12:47:18…昨日の「銀ぶら」関連ツイートがなぜか急に拡散しているようですが、あらためて見返していくつか誤記に気付く。。 (誤)『新東京繁盛記』→(正)『新東京繁昌記 』 (誤)『あたらしい言葉の字引』→(正)『新らしい言葉の字引』 関心のある方は正しい標記でご確認くださいm(_ _)m
2014-07-08 12:49:25その後、カフェーパウリスタはカフェ経営よりも焙煎業を主体とする方に業態をシフトさせていったので、「関東大震災後の銀座のカフェ」としてはあまり名前が出てこなくなったのは不思議ではない。「銀ぶら」が震災後から流行ったものなら、パウリスタに寄ったかどうかも怪しくなったり。
2014-07-08 12:52:23サンパウロとの契約が切れてからは、水野氏はパウリスタの経営から手を引く。その後、サンパウロではコーヒー生産は増え、禁酒法時代のアメリカ市場がその受け皿になっていたが、1929年の世界恐慌で一気に縮小。そこで余ったブラジルコーヒーに目をつけたのが「カフェ・ブラジレイロ」の星隆造氏
2014-07-08 13:00:45星氏はサンパウロ州政府と契約して得たコーヒー豆(その後、契約は三井物産に移行)で「カフェ・ブラジレイロ」を始める。ここがまたいろんな知識人が集った、割とスノッブな雰囲気の新しい文化の発信地になる。おそらく戦後復活した珈琲専門店にはこのスタイルが影響してるんじゃないかとか思ったり。
2014-07-08 13:06:00大正13(1924)年 水島爾保布『新東京繁盛記』:"『銀ぶら』といふ言葉は、其最初三田の学生の間で唱えられたものだともいふし" この「三田の学生」というくだりが厄介で、慶應義塾、特に「三田文学」の面々を指すという解釈が可能。久保田万太郎、佐藤春夫らの話が出てくるのはこのため。
2014-07-08 15:17:16「三田文学」の主幹、永井荷風「紅茶の後」(1911)には「銀座界隈」という章がある。ただし、これが書かれた1911年7月は、プランタン(3月)は開業済み、ライオン(8月)が準備中だが、パウリスタ(12月)はまだ銀座にはなく、パウリスタや銀ブラに関する記述はない。
2014-07-08 15:22:27プランタンってそんなに古いんだ。 RT @y_tambe: 「三田文学」の主幹、永井荷風「紅茶の後」(1911)には「銀座界隈」という章がある。ただし、これが書かれた1911年7月は、プランタン(3月)は開業済み、ライオン(8月)が準備中だが、パウリスタ(12月)はまだ//
2014-07-08 15:24:25ただし三田文学の面々、久保田万太郎や佐藤春夫らが、開業して間もない頃からパウリスタに通っていたのは恐らく正しい。問題は彼ら「三田の学生たち」がそれを「銀座でブラジルコーヒーを飲む」の意味で「銀ブラ」と呼んでたかどうか。ここらへん、まず当時の資料がどれだけ残っているかという。
2014-07-08 15:25:34久保田も佐藤も、後年に学生時代を回想するかたちで、パウリスタの思い出を語ってはいるのだけど、彼らがストレートに「銀ブラは、銀座でブラジルコーヒーを飲む意だった」と書いている文は、おそらくないと思うし、あるにしても後年の回想となると…という気が。
2014-07-08 15:27:31「銀ぶら」の件、今は実際に唱えてる人がいるのだから「両方の説があります」でいいじゃないかという人もちらほら出てきてるようだなあ。まぁ、多くの人にとっては「どっちでもいい、どうでもいいよ」ということなんだろうけど、どうでもよくない人というのは確実にいるのだよね。
2014-07-08 18:03:23