- L_O_Nihilum
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@ant_onion で、院生の今はその練習するタームに入ったんだろうなと。だから、レポートが半ば論文になりかけるのです(ぇぇぇ
2014-07-24 23:49:44@L_O_Nihilum 変動する光球相互の関係のようなメタファになるのかな…。その昔オウム問題で失脚した宗教学者の論考にそういうのがあった気がします。
2014-07-24 23:51:11@L_O_Nihilum ええ。創作者と享受者が明確に分かれたのは近代産業社会と高度な複製技術の到来をまって初めて可能になったことですしね。
2014-07-24 23:52:46@ant_onion それはオウムが仏教の発想を借りてたからでしょうw。元ネタは華厳の話に出てくる、「インドラの御堂の網」です。ひとつひとつの宝珠が網の目に繋がってるわけですが、一つ一つの輝きが、全体の輝きを支援し、その全体の輝きが、一つ一つの中にある。多則一、一即多って奴です。
2014-07-24 23:53:01@L_O_Nihilum なるほど…。「中身」は分からなくてもその外への表れは観測できるし一般化できるというわけですね。
2014-07-24 23:54:07@ant_onion それまでは一緒だったのか?というとわからないけれど、とりもなおさずそれを分ける定義の方法はなかったでしょうね。みんな一つだったから。神のもとに。神が死んで、複製が簡単になる世の中が来てから、この辺が揺れたんでしたよね確か。で、形式主義がどーのとか…w
2014-07-24 23:57:20@ant_onion まあ、着想としてはやっぱり「内的」「内発的」なものなんですけど、外にそれは明らかにあるわけですから。内より貫いて見える外、とすれば、それはそのまま「外世論」とこの前から言ってたキャラクター認識論の話と直続しますね。
2014-07-24 23:58:25@ant_onion なんかありましたっけ。でも光がきらきらしてる様子を描いた詩的な童話はたしかありましたよね。…がたんこがたんこしゅーふっふ(それ違う)
2014-07-24 23:59:04@L_O_Nihilum ええ。例えば音楽を享受するにしても多くの場合はそれを自分なり仲間なりで演奏したり歌ったりする必要があったわけで。
2014-07-24 23:59:19@ant_onion というか、聴くと言う体験が、すでにある種そうですよね、脳内ではそのイメージを浮かべたり、メロディが過去把持されたりする。この辺はハルトマンなんかが現象学的美学ってかたちで、フッサールの真似っこで美学に持ち込みますね。甲斐のさらに根源であるイメージ構造の話。
2014-07-25 00:00:54@ant_onion そしたらどっちが胎蔵界でどっちが金剛界になるでしょうかねえwちなみにあの二つはね、前者が母性の原理であって、後者が父性原理なんです。胎蔵は抱擁と回帰、金剛は破壊と創造の原理なのです。
2014-07-25 00:02:58@L_O_Nihilum ええ、享受するためには既にそのための準備が、そして享受される対象の「イデア」が必要という…。
2014-07-25 00:03:37@ant_onion 青空文庫にて確認しましたw。突然五里霧中の空気から話が始まってますw。
2014-07-25 00:05:04@L_O_Nihilum そう考えるとどちらをどちらと取るかというのは難しい問題になりますね。まあ外部展開として金剛界をイメージしていたのですが。
2014-07-25 00:05:51@ant_onion まあプラトン風に言うとそうです。ただ、プラトンとの違いは、外世のばあいその世界は「その世界の現実」として唯物的に解釈されると言う事です。知性界、のように観念化されません。観念化されてメタファライズされるのは批評においてです。
2014-07-25 00:05:59@ant_onion しかし、そうした外世があってこそ、人は夢を見ることが出来、夢に逃げる事が出来るからこそ、現実世界、つまり自分たちの現世=他の外世達にとっての外世、外世を虚構と呼ぶところの世界を生きることが出来ると考えると、胎蔵的ともいえます。
2014-07-25 00:07:22@ant_onion 日本の漫画の豊穣さは多分そうした外世というイメージが身近に、多神教的な発想として会ったからだと思うんです。つねに隣には「異界」があるなんて、時空間違う宇宙がいくらでもある発想はまさに外世論に重なるでしょw。境内入ったらすでに別の宇宙の姿なんですw。
2014-07-25 00:09:29