9
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
淡島千景という俳優がいます。いました。大女優。宝塚出身。手塚治虫の『リボンの騎士』の主人公サファイアのモデルでもあります。本人は手塚死後にそのことを知ったそうです。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
このひとには弟がいます。中川雄策といいます。この方がどういうわけかハリウッドでアニメーターをなさっていました。スティーヴ・ナカガワとして。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
映画会社・大映(スーパーとは無関係)がディズニー映画の独占的配給権を握っていて、つまり社長の永田雅一とウォルト・ディズニーが友人だったこともあって、この弟君はディズニーに入社。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
その後、ハナ=バーベラそれにランキン=バスに移籍。日本との合作(外注)作品に名前があります。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
このスティーヴ氏については、当時ディズニーでアニメーターやってた日系人男性の回想録に記述があります。イワオ・タカモトという二世さんです。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
日系人ということで中川はタカモトのもとにまわされた。「センセイ」と呼んでくれたそうです。日本人ですね。この中川、後にサンリオ製作の長編アニメ『星のオルフェウス』に参加するも途中で離脱。タカモトの自伝からわかるのはここまででした。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
ウィリー・イトウの話ではすでに故人のようです。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
なぜこの人物が気になるのかというと、もし日本のアニメ界がハリウッド(いいですかハリウッドの、ですよ。アメリカではなく)の下請けとして発展する道を歩んでいたとしたら、このひとが下請けの仲介役として活躍した可能性があるのです。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
事実、虫プロや東映動画はニューヨークのランキン=バス社からテレビスペシャル用アニメの下請けを60年代末から70年代頭にかけていくつか行っていて、それに中川は制作スタッフとして参加しています。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
『アメリカで日本のアニメは、どう見られてきたか?』(草薙聡志)にあたると、日本の虫プロが1970年つまり手塚がまだ社長だった頃に、Bruce Stark ProductionsなるところからThe Mad, Mad Mad Comediansというテレビ特番アニメを制作。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
cartoonresearch.com/index.php/the-… Bruce Starkとは風刺まんが家で、著名人の似顔絵で有名。このひとの原画をもとに、ランキン=バスが虫プロに制作発注したのだと思います。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
日本でのアメリカ製テレビアニメの下請けは、60年代から70年代にかけて、結局のところハリウッドからの仕事ではなかった。ニューヨークからです。ランキン=バス社のことです。カナダ人でしたっけ社長は。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
70年代に台湾と韓国はハリウッドテレビアニメの下請けとしてアニメ産業が成長。日本はそうはならなかった。国内市場で手いっぱいで、むしろ台湾や韓国を下請け先にしてまわっていた。『巨人の星』もたしか動画は台湾だった。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
それでも75、6年ごろに東京ムービーがフライシャーの下請けをする話があったとかなんとか…日本から藤岡豊社長と大塚康生が渡米し、ムービーの自己紹介も兼ねて上映会。『ルパン三世』と『ジャングル黒べえ』を上映。そうしたら場内騒然。「泥棒が主役のアニメ!?」「黒人差別だ!」等。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
1979年、ハリウッドアニメ界でストライキ。ロサンゼルスの外に仕事を出すのを禁じる協約を認めろ!と。このときは各スタジオが屈し、国外への外注が3年間できなくなった。なぜ3年間というと、協約は3年ごとに改訂されるから。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
ディズニーのCG特撮映画『トロン』は透過光をびんびんに使った大作。CGを使っているのはごく一部で、ほかは手書き透過光。台湾の下請けアニメスタジオを動員。おかげで日本から下請けがだせなくなって業界大混乱。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
あれは1981年?公開が82年でしたか。むかあしテレビでちらっと見たような覚えが。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
東京ムービーが先に触れたフライシャーの下請け企画(頓挫)をきっかけにアメリカ進出の野望を燃やし、フルアニメ対応の工房テレコムを発足。大塚康生が孤軍奮闘で新人を育成し、そこに宮崎駿が『赤毛のアン』から逃亡して合流。『カリ城』が生まれた。1979年。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
『カリ城』を名刺代わりにムービーの藤岡社長はハリウッドで営業まわり。イタリア国営放送と縁ができて始まったのが『名探偵ホームズ』。これでアメリカ乱入を藤岡はもくろんだ。結局、暴力的ということで放送コードの壁を超えられず売れなかった。宮崎は挫折感とともに退社し『ナウシカ』にまい進。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
この頃ディズニーでお家騒動があって、有力スタッフがどんどん離れていったのも関係している。ウォルトの娘婿とウォルト兄の息子が衝突し、前者が追い出された。入れ替わりに『レイダース失われたアーク』のPが入ってきて社内改革。テレビアニメ進出を決断。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
ディズニーブランドにふさわしい品質を維持しつつ、安く済む外注先…まず日本のテレコムが選ばれた。宮崎はすでに退社していたが『カリ城』で鍛えられたスタッフを大塚が指導し、合格となった。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
韓国でもディズニー下請けとしていくつかスタジオが生まれていますねこの頃。円高でテレコムへの発注が減るのと入れ替わりに韓国のスタジオが下請け先としていくつも躍進。80年代。
くみかおるの冒険 @ElementaryGard
ハリウッドアニメの下請けとして産業が発達した台湾と韓国。そうはならなかった日本。この違いをよーく考えてみましょう。ペリーを派遣したアメリカは、日本を西太平洋進出の足掛かりとしたかった。日露戦争で日本に肩入れしたのも、中国大陸への進出の足掛かりが必要だったから。
残りを読む(14)

コメント

コメントがまだありません。感想を最初に伝えてみませんか?