隆景が亡くなった後如水曰く「日本に賢人はなくなった。隆景は毛利家の船頭だ。中国を上手く統治していたため、彼亡き今存命の頃と変わらないのは、その余力があるからだ。船を漕ぐことをやめても勢いは残り進むようなものだ。輝元も今は隆景の恩恵で見事に見えるが、これからは思案が大事になる」と。
2015-09-30 13:51:10幽斎は歌道は公家の物で武士が嗜むものではないと思っていたが敵を見失った時に歌の心得ある者が「君はまだ遠くにはいない。我が袖の涙はまだ乾いていないから」という古い歌があるのでと馬を撫でるとまだ温かかい。近くにいるはずだという通りに探してみると、見つかった。それから歌道に入ったという
2015-10-02 13:47:07神社の人「藤孝殿!どうしてあなたが油を盗んだりするんですか」藤孝「勉強の為に明かりが欲しいのに貧しくて油がなく…勉学の為なら神様も許してくれるかなって…」「そこまで不自由していたとは(油を入れた徳利ひと瓶を渡し」 知り合いなら頼めよ! pic.twitter.com/likhKY9c4H
2015-10-07 14:45:35検地の際それを嫌がった神主たちが色々と偽りを述べた為に幽斎は「見懲らし(見せしめみたいな意味」の為切り捨てた。 幽斎さんも結構バッサリ行く人やね
2015-10-07 14:52:13藤孝は驕らず、温和で慈恵深い人であった。 数多の小姓が狂い騒いでも少しも咎めなかった。 「武家に仕える者はいつ命を落としてもおかしくない。可哀想に(?)子供らが騒いだといって制することはない。そうすればこの者らは自身の親よりも大事に思い、大名となってもこの家を出ることはなかろう」
2015-10-07 15:00:42@uzi_unagi 原文 「子供が騒いでも制しない」とか「小姓が騒いでも怒らない」とか「ですよね、わかります」っていう人が浮かぶ pic.twitter.com/UG2MjXmW2t
2015-10-07 15:02:00藤孝は忠興に「少し和歌を学びなさい。年老いてから楽しみになるから」というと忠興は「私などがなまじ(中途半端に)歌など読んでは結局父の名を汚すことになりかねない」という。藤孝は「いらぬ世話だ。お前のような者が五人十人いたとて我らの歌道が汚れることはない」といった。
2015-10-08 11:43:21@uzi_unagi 忠興が後々まで和歌を学んでいれば年老いて退屈する事もなかっただろうに、八十になって親の言葉を「質にも(預かっていれば?とっておけば?)」と思ったものだと言ったそうだ。
2015-10-08 11:47:49松永貞徳が人に語るには「私は藤孝に従って学んでいる。聚楽第あるいは吉田(京都府左京区の吉田?)または田辺(京都府南部)まで訪ねに行ったが、いつも機嫌が悪いことはなく何事を尋ねても乳飲み子の口に物を含ませるように教えてくれる」 半ばストーカーでは…(
2015-10-08 11:59:53藤孝には腕力があった。牛車が突っ込んでくるのに向かい、角を持って押しやると、牛は後退りした。また、北畠信雄邸で能が行われた際、門番が通さじと竹杖を振り上げたのを藤孝は手を掴んで骨を砕いた。「それは若い頃の話で今は腕も落ちた。今は歌ばかり読んでいるので心はその頃より優れている」
2015-10-08 13:35:51いつも風流の人と名高かった幽斎さん。彼は茶道も一流だった(なんでもできる)ある日蒲生氏郷(焼肉パーティといい細川と仲が良い)が「道具を見せてほしい」と日時を約束して見に行くと、邸内には細川家伝の鎧や太刀や槍が飾られてあった。
2015-10-08 13:44:20@uzi_unagi 「えっ!?あの、見たかったのは茶道具なんですが…」「おや、道具というので武具の事かと思いました(武士だし)お安いご用です。茶道具もどうぞ見てください」と茶器数種を見せてくれた。
2015-10-08 13:44:27藤孝は何某かの井戸茶碗を見たいということで茶の湯に行った。例の井戸茶碗でない茶碗を使っているのはなぜかと尋ねると「小姓が誤って割ったので」と答えた。「ならばその欠けを見せてほしい」と硯を引き寄せ
2015-10-08 13:56:56@uzi_unagi 「筒井筒 五つに 割れし 井戸茶碗 罪おば 我に しらしめしな」と書き小姓を許してほしいと言った。その厚意に免じて小姓は許された。 詳しくはこちらのブログに ameblo.jp/simomiyabi/ent… 秀吉の秘蔵の茶碗だった。
2015-10-08 13:58:18@uzi_unagi 「筒井筒 五つに 割れし 井戸茶碗」筒井筒は茶碗の銘。5つに割れた茶碗と、当時朝鮮出兵で戦乱に荒れ割れる五大陸とをかけた句らしい。「罪おば 我に しらしめしな」罰するなら私を罰してほしい。小姓の事もだが、出兵について切腹覚悟で意見しますということらしい。
2015-10-08 14:01:11次の話ちょっとよくわからないんよ。幽斎さんが太鼓を習いに行く話(今度は太鼓か)「とてもうまいんだけどキレが悪い。そこだけだめ」と言われる幽斎さん。合点がいかずにいると、ある時弓の弦が切れたので弓を地面に投げた(!)ところ「なるほどこれか!」と思い立った。
2015-10-08 14:15:09@uzi_unagi 太鼓の師匠を呼び出して聞いてもらうと「キレキレだね!」とのこと。また、三井寺に参詣した際笛の音を聞いて…のあとがわからず。技芸に優れた人って逸話らしい。 pic.twitter.com/kbJJk7bMe8
2015-10-08 14:15:53藤孝は 鯉をきろうとした! 火箸に あたって きれない! どうする? あきらめる →火箸ごと切る 藤孝は 鯉を火箸ごと切った! まな板まで 切れてしまった! 「名人は難局にあっても悩まないものです」 pic.twitter.com/1soz5RT3lh
2015-10-08 14:21:58「武道はもちろん、和歌もできて舞踊も得意で文字も綺麗な人がいれば召し抱えたいよね。私のような小禄の人間には何人も召し抱える余裕なんてないし?まあいないだろうけどねえ」「それなら一人だけいますよ。細川藤孝殿です」「嘘つけ」みたいなことか pic.twitter.com/2EZFlcmwk6
2015-10-08 14:27:57作者「後世にあまり歌が残っていない為和歌が上手というわけでもない。歌学者としては他に人がいないので貴重だったのは確かだ。学問、教養、風流の道に長けて温容な人物だったが、光秀謀反の際は自ら髷を落として動かないという機略にも長けた人だ。ただ大身になったのは子の忠興の力による点も多い」
2015-10-08 14:35:46