隆景は筑前に入部の際、厳しい掟や古いしきたりによる弊害を取り除き、武士の風紀を整え、翻意なきよう安定させ、寛大な政治をし民を休んじたため、領内の者は喜んで服した。また乱によって学校が廃される現状を嘆き、足利学校に倣って校舎を建て学問に入らせ、退廃した寺社を建立、修復した。
2015-09-29 15:03:00@uzi_unagi 大宰府天満宮もこの時建て直しがなされていて、そのあと黒田が入ってからは寄付をしたり如水さんが庵を建てて住み込んだりしている。
2015-09-29 15:04:03要約すると 算術に長けたものを連れてこよう→ぴったり計算ができる(即銀払い(懸出)できる人がいるよ!→は!?足らないということはあってもぴったり払えるとかあり得ないよ!?そんなに私ケチっぽいことしないよ!?軽く見すぎじゃないの!?恥かかせたいの!?こんにゃろ首刎ねろ!→!?!?
2015-09-29 15:22:30@uzi_unagi たぶんそこまでひどくないと思うので各々訳してください… pic.twitter.com/NVJw0XTn66
2015-09-29 15:23:06@uzi_unagi 天より降り地より湧き出たるにもあるべからず、 という部分が「金は湧いて出るもんじゃないんだよ」だと思うからこれは解釈逆じゃね…?もっと慎重に金使えばか首刎ねろ!!じゃね?(どっちにしろキレてる)
2015-09-29 15:26:42@uzi_unagi 金銭に対するガチギレのしかたが如水の「安月給のくせに高級なもの献上するな持って帰って家族に食わせろバカ!!」と似てる
2015-09-29 15:29:45隆景いわく「自身の考えとは違う異見は自分にとって薬になる。異見を聞いてよく考え合点がいかないなら問答し理解した上で覚えておけば後々まで身につけることができる」「若い者はあらゆることに挑戦してみよ」「一生は夢の間なれば、人々能く言はるる事こそならずとも、悪く言はるべきは人にあらず」
2015-09-30 11:31:13@uzi_unagi 原文。最後のくだりわからないけど、「一生は夢のように儚く過ぎていくものだから、若いうちからいろいろやってみて、歳をとったらそれをもっと極めてみて」みたいなことなのかなあ…わからないです… pic.twitter.com/vnIJm3XwVO
2015-09-30 11:33:55隆景の屋敷の庭には名もない頭に葉っぱを乗せ的に腰かけている文学に長けた人がいて、隆景が「持って来ておくれ」というと、近臣の人はみな首をかしげている中その人が茶を持ってくる。「何事であれ一芸を極めたものは棄てるべきでない。その器のままに人を使うことを名将というだろうか」
2015-09-30 11:50:01隆景はかつて茶の湯を好んでいた。世間の紛争から遠退き、心が落ち着くからだ。しかし世の人々の茶器の価値を論じたり、その目利きを羨んだり、安く買って高く売ろうと考えたりなどすることを主に考え茶の本意を失うのを見るにつけ「人の心は物欲に左右されやすい」といって辞めてしまった。
2015-09-30 12:30:06隆景が如水に「あなたは頭が切れるのでその場で答えを出してしまって時に後悔なさるが、私は鈍いのでよく思慮して答えを出すので後悔は少ない」という話の全文 pic.twitter.com/wa1kIlVFoo
2015-09-30 12:50:15隆景「如水殿の智は鋭敏で是非を決するに造作もなきこと竹を割るがごとくだ。それゆえ才覚武略の誉はあるが思慮の誉はない。つまり軽率。あの人は軽率。長政殿はよくよく思慮をして遅く決断なさい。特に仁愛を持って決断することが肝要だ。仁愛のない分別は、才智があっても道理にあわないからな」
2015-09-30 12:58:59@uzi_unagi 軽率とは書いてませんが軽率ってことですよね。全文。 pic.twitter.com/nNfj9fLW8E
2015-09-30 12:59:32@uzi_unagi 隆景は悪人と交流してもそのために(人となりが)混濁することはなかった。常に弱を持って強を制し、柔を持って剛を制する。ゆえに当時隆景を柳に比喩した。元就はかつて「私は人を施し民を愛し国家を保つことでは隆景に及ばない」といい治国を彼に任せた。
2015-09-30 13:14:53@uzi_unagi 「隆景は普段から書を好み著書も多かったが、死期が近づくと自分の意思に沿わないとして燃やしてしまった。」oh…
2015-09-30 13:17:21隆景の遺言三ヶ条 1.天下が乱れても輝元に出しゃばらせてはいけない。天下を保つ器量もないのに自国の外に野心を抱けば必ず国を失うことになる。 2.安国寺の僧は悪だくみが得意だ。国をも転覆させるだろう。絶対に欺かれないようにしろ。
2015-09-30 13:33:53@uzi_unagi 3.筑紫の大名(黒田家)が茶屋を建て休みたいなどと言って屋敷を望むようなら応じるな。中国の情勢がばれ、兵を呼ぶきっかけになる。
2015-09-30 13:34:06@uzi_unagi 輝元はこの遺言を忘れ、安国寺の言葉通り石田方に与し、あのざまだ。みな隆景の言う通りだと思い、だが屋敷の件はまだだなと思っているところに、長政が毛利家に「上方へ向かう途中に休息用の茶屋を建てたいから屋敷を貸してほしい」と連絡が入る。
2015-09-30 13:34:27@uzi_unagi すでに平和になっていたので長政は悪気などなかったが、輝元は遺言の予言に懲りて屋敷を貸さなかったという。 輝元…忘れたらあかんで…
2015-09-30 13:34:52