ヒサクニヒコ×久正人 マンガ家親子対談 @横浜市民ギャラリー まとめ

10月19日横浜市民ギャラリーにて開催されたヒサクニヒコ先生×久正人先生の漫画家親子対談の様子をまとめました。補足してくださったみなさまありがとうございました。
マンガ ヒサクニヒコ 久正人
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田村廃魚@再販します @tmrnit
会場となった横浜市民ギャラリーと親子の縁は長く、ヒサクニヒコ先生(以下ヒサ先生)の作品が何点か収蔵・展示されている他、久正人先生(以下久先生)が小学4年生の時作った工作が横浜市こども美術展?で一時期展示されていた事があるそうです なんでも担任の先生が勝手に出品してしまったらしいw
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多くの絵本や図鑑、漫画を手がけられてきたヒサ先生はさすがの貫禄で、トーク慣れされていて、終始にこにこしてジョークを飛ばされたり(ヒサ先生「ん?会場に入るとき入場曲とかはないのかな?」)ユニークなトークを繰り広げておられました 描かれる絵そのものの魅力的な方でいらっしゃいました
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陽気で饒舌なヒサ先生に対する息子久先生、今日はさすがに緊張しておられたのか、すこし表情がかたく控えめにお話しされておられました ファンに対する時はあの向かうところ怖いものなし、といった先生ですが、先生でも怖い?ものはあるのだなあとはばかりながらとてもほっこりしました
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まずヒサ先生が簡単な経歴をお話されたあと、ギャラリーに展示のあるご自身の作品と、一コマ漫画、というもの全般について語られました
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漫画表現における「一コマ漫画」が全盛期だった1970年代、横浜大通公園の完成を記念して、「ヨコハマ漫画フェスティバル」が開催され、ヒサ先生をはじめやなせたかし先生などそうそうたるメンバーで構成された「マンガ集団」 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%AB… が制作にあたりました
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ヒサ先生「コマ割り漫画がこどものものとされていた当時、対する一コマ漫画は社会風刺やPRの手段として大人のものとして認知されていた。この企画では、"ヨコハマ"をテーマに一コマ漫画で表現してみよう、ということになった」
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ヒサ先生「しかし当時は今にも増して締め切りを守らない作家が多かった。そこで何枚ものパネルを用意し、作家を全員会場に呼び集めてその場で描かせ、(打ち上げの飲み会をおとりに)描き終わるまで帰れない強行軍で終わらせた。展示されてるフェスティバルの作品はすべてそうやって描かれたもの」
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当時のヨコハマがテーマの一コマ漫画なだけあり、「市電廃止」や「占領下の伊勢崎本町」(いずれもヒサ先生作品の一コマ漫画 他多くの他作家の作品紹介あり)など当時の時代背景や文化がリアルに伝わってくる内容になっていました
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ヒサ先生「絵画は多くの場合個人的な作業であるが、一コマ漫画に限らず漫画は人にメッセージを伝える手段である。当時の社会の様子をリアルタイムでつたえるひとコマ漫画もまさにそれであるが、当時の状況を知らない人には何が描いてあるかもはやわからなくなるということもある」
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ヒサ先生「一コマ漫画のデメリットは時事ネタが劣化することのほかに、本のかたちにしにくいこと、というのもある。何枚も描くストーリー作家と違い一枚で完結するため、原稿料も一枚分しかはいらない それだけで食べていくのは難しく、現役の一コマ作家は数えるほど 生きた化石です」
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ヒサ先生「みなさんはその数少ない生きた化石を目の前にしているわけなのです」
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ヒサ先生「一枚の中にいかに情報、エスプリを凝縮するか。その点で一コマ漫画はストーリー漫画と大きく異なる」 (参考資料として先生のお持ちになった、珍しい一コマ漫画の総集編「漫画読本」←確かそういうタイトル が紹介されました)
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その後もヒサ先生によって、ヨコハマ漫画フェスティバル出展作家の小島功、鈴木義司、柳原良平などの作品が解説されました 埋め立て・開発の進む横浜の文化が多くの作品を通して表現されていました
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ヒサ先生(内容の総括として)「一コマ漫画はワンポイントでも目を引くため、政治的なポスターに使用されることも多かった 当時の情報を色濃く残すため、歴史資料になるという一面もある。情報を伝えることが最優先になる表現媒体だから、自然と画面も説明的になる」
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最後にヒサ先生がご自身の著作や作品について語られました 。特に知名度の高い恐竜図鑑は、当時の日本に劣悪な恐竜図鑑しかなかったために、より正確で読者に考えさせるかたちの恐竜の書籍を、ご自身の得意な漫画という表現手段で世に出したものだということです
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「河童の生活図鑑」「なるほど忍者大図鑑」のように、架空の物をテーマに、まるで実在のものであるかのように書かれた図鑑はヒサ先生の著作に多いですが、特に忍者図鑑について語られていました 忍者は言わば当時のスパイですから痕跡は当然残らず、従って歴史資料がないために好き放題描けるそうです
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しかし、「忍者大図鑑」に登場する架空の見取り図などがあまりにそれっぽかったため、実在のものと信じ込んだ読者が出版社に「歴史資料の出展が全くかかれていない!」とクレームがくるほどだったそうです 創作だと伝えるとさらに激怒したそうですが、先生の作品がいかに説得力があるかという事ですね
田村廃魚@再販します @tmrnit
そしてついに久正人先生へバトンタッチ、というところでヒサクニヒコ先生、正人先生をゆびさし ヒサ先生「あ、これも私の作品です」 久先生「」
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クニヒコ先生おちゃめでいらっしゃる そしてそれ、文句無しの最高傑作でございますよ!
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バトンタッチされた久先生、かなり緊張?しながらご自身の作品紹介からはいられました。スライドに順番にうつされていく自分の作品の紹介を、照れていらっしゃったのか終始困った顔でされていて、特に「ノブナガン」のあらすじを解説するときは一瞬苦笑しながら言葉につまられていました
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久先生「今紹介したように、自分にはどうも王道もの、普通の漫画が描けない 育った環境のせいなのか………」 ヒサ先生「(笑)」
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久先生「自分の作品の特徴をあげるとしたら、まあやはり世界観、設定の凝り方だと思う。作品を新しくつくるときはまず大枠の設定から想定し、そこから次々に連想するかたちで物語を組んでいく」
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久先生(エリア51の1シーンをスライドにうつしながら)「まずそこが街なら、 人が住んでいるだろう 娯楽も必要だからバーもあるかもしれない いろんな住人がいるなら住人間のヒエラルキーができるかもしれない ヒエラルキーがあるなら神々がそのトップなんじゃないか」
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久先生「そうやって街の設定をつくってしまえば、そこからエピソードは出てくる。 『まず外側からつくる』作品を描くときはそれを心がけている」
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久先生「まともに描くと自分の絵は到底上手い人には勝てない。だからそうでなくてもパッと見て目を引く絵柄・手段を一生懸命考えた。グレイトフルデッドを終えて、絵柄の方針変更について担当と相談しながらふと目に着いたのがフランク・ミラーという海外作家だった」
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