【装束小ネタ盛り合わせ】#古典の日 質問企画

11/01古典の日企画でご質問を募らせて頂きました。お答えと補足。 今回頂戴したお題は ◆山伏装束(鈴掛衣など)と、白装束の人の違い(未解決) ◆飛鳥・奈良時代の服飾の名前が解る資料 ◆牛若丸のかぶりもの 続きを読む
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逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

埴輪の美豆良は8の字以外にもいろいろですよっ!!って思い出したときには何回でも流すぞい pic.twitter.com/PhG7xzppxa

2014-10-30 00:00:55
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める夫 @mel_timshel

@sakana6634 とても素敵ですね!!自分で少し調べてみて分からなかったのですが、埴輪の顔に朱塗りの模様が入っているのは何のためなんでしょうか?いつも質問してごめんなさい(>_<) 逆名さんのツイート拝見していたらなんでいままで一度も歴史に興味持たなかったのかという後悔が…

2014-10-30 09:06:13
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

埴輪の顔面彩色の例。丹(赤土)塗りで、祭祀に臨んでの化粧の類と考えられ、盛装埴輪・巫女埴輪にも見られる 線刻:刺青と考えられる。近畿地方出土埴輪の、男性、職能民とみられるものに多い。 参考:『埴輪と絵画の古代学』辰巳和弘/白水社 pic.twitter.com/fo8EwG9zPJ

2014-10-30 10:28:57
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逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

よろしければ以下もご参照下さい。 ◆ #みづら祭 タグ ◆「【みづら祭】続・埴輪美豆良のまとめ」 togetter.com/li/633849 ◆拙宅blog みづら祭の序 (附目次) depth333trench.blog.shinobi.jp/Entry/154/ pic.twitter.com/nDFiUlJK0h

2014-10-30 10:32:33
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まとめ 【みづら祭】続・埴輪美豆良のまとめ 埴輪の美豆良を観察して、どんな髪型だったかを妄想し、イラストにしています。ブログ記事[http://t.co/PsbHb7ANJ9]のダイジェスト版になります。 27439 pv 261 1
リンク depth333trench.blog.shinobi.jp 一寸海溝日記(ver.4-) みづら祭の序 (附目次) 深度三,三三糎の心の海から湧き出ずる毒ぼやきの数々。

◆オススメの奈良・平安漫画(考証しっかり)

逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

いつも装束や髪型について勉強させていただいております、ありがとうございます。質問なのですが、オススメの奈良... — 考証ということでしたら、石ノ森章太郎版「マンガ日本の歴史」がおすすめです。巻末のスケッチ集はそのまま資料集... ask.fm/a/bal9pcqc

2014-10-30 00:33:17
リンク ask.fm いつも装束や髪型について勉強させていただいております、ありがとうございます。質問なのですが、オススメの奈良・平安時代を題材とした漫画(装束の考証がしっかりされているものだと嬉しいです)があったら教えていただきたいです。よろしくお願いします。 考証ということでしたら、石ノ森章太郎版「マンガ日本の歴史」がおすすめです。巻末のスケッチ集はそのまま資料集に使えますし、服飾についてのコラムも載っていて、時代ごとに服飾史の定説をなぞることが出来ます。(ただしそもそも定説自体が十分整理されていない箇所もあります) 岡野版「陰陽師」は平安装束の鉄板資料にはなり得ますが、基本が現行装束(近世以降の型)なのでどうしても時代的な齟齬はあります。 また、可能でしたら漫画以外の資料も是非当たってみて下さいませ。前述したように定説が盤石でない部分もありますし、そういった
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

そのまま資料集に使えますし、服飾についてのコラムも載っていて、時代ごとに服飾史の定説をなぞることが出来ます(但しそもそも定説自体が十分整理されていない箇所も) 岡野版「陰陽師」は平安装束の鉄板資料になり得ますが、基本が現行装束(近世以降の型)なのでどうしても時代的な齟齬はあります

2014-10-30 00:35:50
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

また、可能でしたら漫画以外の資料も是非ご覧になられますようお勧め致します。前述したように定説が盤石でない部分もありますし、そういった場合は「正解」を探すのでなく、複数の説をご覧になっておくのがいいと思いますので。

2014-10-30 00:37:06
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

RT>作品の題材の時代風俗に関する考証って、何が正しいとか間違ってるとかではなく、知って描く(「書く」でも)と説得力というか、時代感が増す…のではないかな~と思います~…で、あって欲しいということです…σ(^^;)あ、え~と、自分のことはタナアゲ…。

2014-10-30 01:07:16
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

研究成果としての復元や体験学習に関する考証は、それぞれにまた別の問題が色々とあると思うのですが、絵や映像や立体造形になると、イメージが明確になるのでしょうね。反面、固定化してしまうというのもあるわけで…

2014-10-30 01:44:42
賀茂史女/かものふひとのむすめ @k_h_musume

二年前の悪夢を蒸し返しちゃうけど、例えフィクションでも娯楽作品でも、公式に考証の専門家が居らっしゃって「考証に基づいて制作」と謳っておいて考証から外れてるのはダメだと思う…(-_-;)。

2014-10-30 02:02:34
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

【緩募再掲】#古典の日 (11/1)あわせで時代装束関連の御質問にお答えorお調べ致します。 リプライまたは ask.fm/sakana6634 まで。※主に日本古代~中世で、甲冑関連専門外。リサーチ方法や資料のご紹介などでも。簡単でよければ図解。 絵リクももしあれば。

2014-10-30 20:24:53
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

まあでも別に企画とかじゃなくてもふつーにお訊ね下さればと思いまス…。

2014-10-30 20:35:23
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

人間明日はどうなるかわからんし、自分の頭の中にだけあっても、容器がダメになったら折角掘り出させてもらった過去の遺産がまた埋もれてしまうかもしれないしなあ…

2014-10-30 21:19:33

◆袖細について

逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@has_k80 ん~すみません、さきほど発言した歴史絵引DBだとurlうまく取得できないので、一旦消しました wwwap.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/db.html  こちらから データベース選択画面 →図像をさぐる・歴史絵引データベース→袖細で検索→5,6が袖細(袖細直垂)で出てました

2014-10-30 20:59:04
ハスケ@現代野試合連盟 @has_k80

@sakana6634 ありがとうこざいます!こんなものがあるとは。これは良い。どもっす!

2014-10-30 21:00:12
逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

@has_k80 何回も投稿しなおしてすみません(^_^;) ちょっと使いにくいし白黒ですが、風俗博物館HPなどでカバーしきれてないのも載ってることあるので、たまに参照してます~。

2014-10-30 21:02:19

◆そでぼそ【袖細】

 方領(かくえり)・闕腋(けってき)の肩衣に袖を付けた仕事着。四幅(よの)仕立て裾短かの袴と合わせて用いるのを例とする。
 直垂の原型であり、直垂が武士の所用として、袖細に水干様式が加味され、その特色とする鰭袖(はたそで)・袖括・胸緒・菊綴を加えて形成したのに対し、旧来のままの仕立てを袖細の呼称で、小者・中間の所用とし、ときに営中の出仕にも略儀の際の所用とした。
 『応仁乱消息』には、小物装束として、「袖細・四幅袴」とみえ、『光源院殿御元服記』には、足利義輝の加冠の儀供奉の装束に「袖細・革袴行列」と伝えている。営中の袖細は『貞順豹文書』に、「一重袖ぼそは、昔は、はやり申候、近年、すたり候、又うらの付たるは慮外之儀にて候、袖ぼそも布を用候、きんしやの類を用候事、不[レ]可[レ]有[レ]之候」といい、これが短い角袖であることを『諸大名出仕記』に「ひとへ袖ぼそは、不[レ]苦候、是は、巡方の袖のみいかきにて候間、仍[二]時宜[一]人中にも着候事も候、又裏の付たるは着まじく候、緩急なる儀に候」とあり、参会酒宴の際の引物にも用いられた。
(鈴木敬三)
…「有職故実大辞典」(鈴木敬三/吉川弘文館)

◆かたぎぬ【肩衣】

 方領闕腋の上半身衣。身二幅で、袖も衽もなく、肩にかけて着ることによる名称。神事の奉仕者の切る出納の小忌・如形の小忌などと呼ぶ小忌衣(おみごろも)と同型である。
 『万葉集』の貧窮問答歌に見える布可多衣(布肩衣)や竹取翁の歌に見える結経方衣(木綿肩衣)は、その材質による名称である。
 下半身にはく袴と合わせて用いるのを常とし、肩衣に袖を付けたのを直垂と呼び、袖を付けずに両脇下を縫い合わせたのを手無・胴衣などといい、いずれも衆庶の仕事着とした。
 このうち、直垂は武士の日常着とされ、鎌倉時代からは柳営服として寛闊になり、出仕直垂とも呼ばれ、室町時代には儀礼服化した。そこで肩衣は、袖無しの直垂として略儀の服とされ、様式はすべて麻地小文の一重直垂である素襖に準じた。
 『御供古実』に「もじのすはうの事、殿中へはめし候まじく候、かた衣の事も同前にて候」とみえ、『中島摂津守宗次記』にも「かたぎぬはかまにて出仕の御ともとも有時は、かちんのかたぎぬはかま本なり」とあり、将軍側近の奉公衆や走衆の服とされたが、乱世とともに服装簡易化の風潮は将軍も肩衣袴を着用するようになり、天文十五年(1546)の『光源院殿御元服記』には「公方家御成也、御装束者、御肩衣、御袴、褐色織筋御小袖也」とある。『信長公記』には天正九年(1581)の御馬揃の織田信長の装束を「御肩衣べにどんすにきりからくさ也、御袴同前也」とみえ、愛知県豊田市の長興寺に伝える肩衣姿の信長の画像は著名である。
 儀礼化を示す肩衣の外見は、襟に続く左右の前身に寄襞を設けて肩を張らせ、偉容を整えている。袴も同地の色文様で、上下とも呼ばれ、江戸時代には出仕用としての式服となった。また袴を併用しないのを放肩衣(はなちかたぎぬ)といい、衆庶の簡易礼服として浄土宗の信徒にその名残を伝えている。
 なお室町時代の末から軍陣に際して、鎧直垂の省略に代わって肩衣を小具足の上に着用する風を生じ、『殿中以下年中行事』にも「公方様左折之御縁ヌリ、金襴ノ御肩衣、小袴、御籠手、御脛楯、御脛当、御丹皮鏁、御ヒツシキ虎皮」とあるが、ときに具足の上にも着用し、形状の酷似から半臂といい、法被とも呼び、両脇の下端に繋ぎを設けて前後身を続け、能の修羅物の装束に武装としての面影を残す。
《参考文献 『武家名目抄』衣服部九(『新訂増補故実叢書』14)、『古事類縁』服飾部》(鈴木敬三)
…「有職故実大辞典」(鈴木敬三/吉川弘文館)

逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

質問まとめに追加予定の補足説明です。 【袖細・肩衣】「有職故実大辞典」より privatter.net/p/483381 pic.twitter.com/UZ9TrCvTjI

2014-11-02 20:13:39
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逆名🌈🕊️🏳️‍🌈🏳️‍⚧️ @sakana6634

古代~中世の庶民服、肩衣・袖細・直垂(初期)の想像図です。 肩衣に袖がついただけの袖細、さらに鰭袖、胸紐、菊綴、袖括がついた直垂。 先程の図版で胸紐のある袖細が描かれていたように、実際は、袖細と直垂の要素は混在していたと思われます。 pic.twitter.com/2awkVgDNo3

2014-11-02 20:17:43
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