日本の母語教育(国語)はどこかが間違っているかもしれない、という疑問。
- midoriSW19
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日本が過保護過ぎ、幼稚過ぎるんじゃないかと思います... 死ぬまで高齢な子供でいても許されてしまう様な所がありません?今の日本の社会って @midoriSW19 ドイツほどでないまでもイギリスも日本より早く大人になることを求められる傾向が @yeauchq @TrinityNYC
2014-11-27 01:47:40厳しい!でもホント。「感情で物を言う」という子どもに特徴的な(はずの)表現やコミュニケーションが、社会の上(首相とか)から下まで、年齢を問わず、場面を問わず、許容されている。RT@Mydxb 日本が過保護過ぎ、幼稚過ぎる... て@yeauchq @TrinityNYC
2014-11-27 01:54:01特に男性は死ぬまで甘やかされてるんじゃないかな @Mydxb 死ぬまで高齢な子供でいても許されてしまう様な所がありません? @midoriSW19 @yeauchq @TrinityNYC
2014-11-27 01:57:05甘やかすのは主に女性だったりするワケなんですが @MiyamaeYukari 特に男性は死ぬまで甘やかされてるんじゃないかな Mydxb 死ぬまで高齢な子供でいても許されてしまう様な所がありません? @midoriSW19 @yeauchq @TrinityNYC
2014-11-27 04:00:22お母さんね。「ハハの不在」「ハハの失墜」というテーマ。@Mydxb 甘やかすのは主に女性だったりする→宮:特に男性は死ぬまで甘やかされてる @midoriSW19 @yeauchq @TrinityNYC
2014-11-27 04:05:35おそらく日本の国語教育では学習内容にヒエラルキーがあり、読む方は「鑑賞」、書く方は「表現」の方が、実務的な読み書きスキル(伝え方、理解の仕方の形式等)より高尚という哲学(信念?)が脈々と流れているのではないかと思います。 @TrinityNYC @Mydxb @takuramix
2014-11-27 00:10:32ヘンな方向に行きそうですが、四民平等近代日本には「学問」だけが下民を貴族気分にさせてくれる、実務屋卑下文化が根付いてしまったのかな?と常々感じるんですよね... @midoriSW19 おそらく日本の国語教育では学習内容にヒエラルキー@TrinityNYC @takuramix
2014-11-27 00:39:32考えてもみませんでしたが、深く同意できるご意見。RT@Mydxb ヘンな方向に行きそうですが、四民平等近代日本には「学問」だけが下民を貴族気分にさせてくれる、実務屋卑下文化が根付いてしまったのかな?と常々感じるんですよね... @TrinityNYC @takuramix
2014-11-27 00:44:32@TrinityNYC @JackKageyama @soccerzukidesu 「相手に自分の言いたい事の意味を分からせる(伝達)」と、「出来れば相手から同意を引き出す(交渉)」 を目的意識とする対話が異常に少なく、「気が済むまで平行線」に陥りがちな現象は日本病と言えるかと。
2014-11-27 01:59:20@TrinityNYC @midoriSW19 @Mydxb アートとしての味わい方も、非常にお粗末だと感じています。 美術でも音楽でも、鑑賞をすっ飛ばして「描いてみなさい」「弾いてみなさい」になってしまうのです。 拙速に出す事に偏り、受け取る事が軽視されていると考えます。
2014-11-27 02:02:21@midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb 米留学時、「都市と劇場」という授業で「鑑賞」の意味が、日本とは全く違うと感じました。 個人的な情緒を個々が垂れ流すようなものではなく、ロジカルな討論が行われ「受け取り能力」を磨き合う事で鑑賞を深めていると解釈しました。
2014-11-27 02:09:55@midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb その意味で、日本では「鑑賞」教育そのものも非常に遅れていて、日本で言われるところの「鑑賞」というものは、「鑑賞っぽいものへの憧れ」レベルに留まっているように思われます。(勿論専門レベルではなく一般レベルの話ですが)
2014-11-27 02:12:54息子の中等学校の美術では美術館見学がありエッセイを書かされるんですが、いわゆる「鑑賞文」ではなかった。アーティストの美術史での位置づけとか特徴とかの他に、どのように鑑賞することが意図されているかを書いていたようでした。@takuramix @TrinityNYC @Mydxb
2014-11-27 02:27:40@midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb その意味では、「表現」も高度な伝達であり、伝達の基盤が脆弱では表現足り得ない。つまり、表現や鑑賞の「骨組み」たる伝達の発信と受信が脆弱なので、骨抜き腑抜けのような状態になっていると考察します。
2014-11-27 02:16:1950年代、60年代の日本ではロジカルな討論を小学校で教えてたんですけどね@takuramix 米留学時。。。「鑑賞」の意味が、日本とは全く違う..個人的な情緒を個々が垂れ流すようなものではなく、ロジカルな討論が行われ @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb
2014-11-27 02:54:20実家を整理してた時出てきた小学校時代の私のエッセーへの先生のコメント、まったく情緒的な側面なかったです。「視点」への評価、別の視点の提案や疑問が書いてありました @takuramix ロジカルな討論 @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb
2014-11-27 02:56:51@MiyamaeYukari @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb 70〜80年代の小学校の実体験としては、情緒的な方に偏る姿勢だったと感じます。音楽や図画工作の授業にも、鑑賞や伝達の意識は欠けていて、理性的コミュニケーションは軽視されていた印象です。
2014-11-27 03:18:21普通の公立の小学校でしたが、水彩画(風景)の空の色の塗り方について印象派のテクニック教えてもらった @takuramix 音楽や図画工作の授業にも鑑賞や伝達の意識は欠けていて理性的コミュニケーションは軽視されていた印象 @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb
2014-11-27 03:43:43凄いですね。私は、自由に描け、でテクニック解説など無く、後に受験して入った中学でも、友人たちから聴く小学校の授業は似たり寄ったりでしたので…。50〜60年代はそれが標準的だったのですか? @MiyamaeYukari @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb
2014-11-27 03:49:08日本全体のことは分かりません。北海道は当時の日教組が民主教育に力を入れていて「主権在民」を子供たちに教えてました。煽動ではなく理性が大事だと教わりました @takuramix 50〜60年代はそれが標準的だったのですか @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb
2014-11-27 04:03:18@MiyamaeYukari @takuramix @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb 70年代北東北も民主的な討論少しと読み取り技法や書き方、水彩技法もやりました。ただ、明確にそう気が付いたのは教員(兼組合)経験後ですね。
2014-11-27 04:16:34東北の農村では相当な「理論武装」してますよ。奄美諸島も @Go_buta 70年代北東北も民主的な討論少しと読み取り技法や書き方、水彩技法もやりました。明確にそう気が付いたのは教員(兼組合)経験後 @takuramix @midoriSW19 @TrinityNYC @Mydxb
2014-11-27 04:52:19西洋では学問・芸美術は高等教育を受けられる社会経済階級が創り、愛で、扱い、継承するものだった訳ですから、理論教育を受けていない者達には理解できないもの、とされているんですよね。@midoriSW19 @takuramix @MiyamaeYukari @TrinityNYC
2014-11-27 04:07:22⇒即ち音楽も美術も芸術も理論理解無しにただ観たり聴いたりしただけでは理解はできないものなので、階級の音楽=クラッシクと呼ばれるわけで。高等教育とは上流階級だけのものだった訳。@midoriSW19 @takuramix @MiyamaeYukari @TrinityNYC
2014-11-27 04:11:35