東浩紀の『存在論的、郵便的』『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』『動物化するポストモダン』について

東浩紀の思想の一貫性についての概説
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@hallucinyan

それでは歌舞伎町の闇の話からフランス現代思想の説明へと移行します

2015-01-22 17:39:11
@hallucinyan

つらいぜ普通に ホストクラブ来てくれよ 思想からサブカルまでなんでも語れるよ

2015-01-22 17:39:54
@hallucinyan

エクリチュールの物質性についてのメディア論的著作として『情報のマテリアリズム』をレコメンドさせていただきます。これはプラトン、デカルト、カント、ヘーゲルといった観念論者へのデリダ的脱構築を行った著作です。また現代の情報社会に瀰漫する様々なイデアリズムが剔抉され批判されています。

2015-01-22 17:44:33
@hallucinyan

かくのごとくして我々はデリダ的なエクリチュールの問題系から情報社会におけるメディア論的視座に立つことが可能になるでしょう。東浩紀の『サイバースペースはなぜそう呼ばれるか』がまさしくそうした書物です。

2015-01-22 17:46:18
@hallucinyan

@i_zq たまにね ニーズに合わせてなんでも喋るよん

2015-01-22 17:49:03
@hallucinyan

ちなみにホストクラブのキャストはけっこうサブカルとオタク多いのでエヴァとかまどマギの話題はとても盛り上がりますよ

2015-01-22 17:49:51
@hallucinyan

以後『郵便本』『サイバースペース論』『動ポス』『ゲーリア』といった仕方で略させていただきます

2015-01-22 17:51:14
@hallucinyan

@i_zq キャストもお客さんもいろんなひといるよん

2015-01-22 17:52:12
@hallucinyan

サイバースペース論はフィリップ・K・ディック論です。ここにおいて「シミュラークルの無限後退からの脱出はいかにして可能か」という問いが立てられました。換言すればそれはポストモダニティないしは再帰的近代性をどう生きるかというテーマです。そこでキーワードとなるのが「不気味なもの」です。

2015-01-22 17:55:48
@hallucinyan

東浩紀によればシミュラークルの無限後退からの脱出は、ディックにおいては「かわいくかつ不気味なもの」にによって可能となります。不気味なものにとはフロイトの用語です。これはハイデガー - ラカンあるいは少々ベンヤミンにおいても重要となる概念です。

2015-01-22 17:59:49
@hallucinyan

脱近代的な情報社会にあっては何が真実かわからない。冷戦下においてはプロパガンダもあった。そうした文化状況のさなかでディックはシミュラークルの問題について考え執筆したのです。

2015-01-22 18:01:11
@hallucinyan

再帰的近代情報社会においては私たちはハイパーリアルなシミュラークルの、言って見ればある種のメディア的な虚構を生きることを余儀無くされます。これを扱った論者としてボードリヤールやブーアスティンがいます。

2015-01-22 18:02:56
@hallucinyan

こうした後期近代のハイパーインダストリアル社会におけるシミュラークルの無限後退から脱出するためには、それを剰余する対象として「かわいくかつ不気味なもの」が論理的に要請されます。実はこれは『郵便本』における「複数的超越論性」とほぼ可換な概念です。

2015-01-22 18:06:39
@hallucinyan

さて、私たちは郵便本とサイバースペース論について少々基礎的な理解が出来て来た頃合かと存じます それでは『動物化するポストモダン』について説明しましょう まず結論を言います 本書は駄本です 叩かれて当たり前な雑で単純な本です しかし彼の思想の系譜を辿った後ではとても重要性が増します

2015-01-22 18:09:20
@hallucinyan

動ポストはまずもって現代思想の本であり、日本社会論です。サブカルチャー論ではありません。まずその点にご留意ください。

2015-01-22 18:10:13
@hallucinyan

動ポスのシュジェはポストモダンにおける創作の回路とネットカルチャーにおけるその変容、そしてポストモダンにおけるシミュラークルとデータベースの二層構造論です。オブジェがオタク的な主体と彼らのカルチャーです。

2015-01-22 18:12:44
@hallucinyan

東浩紀によればオタク第三世代はスノビッシュでアイロニカルなオタク第一第二世代に比べてある種の仕方で動物化していると述べられています。これは定性的な主張ですが、おそらく社会科学的な方法によってある程度は定量化可能です。すなわちデータ的なエヴィデンスです。

2015-01-22 18:15:39
@hallucinyan

ポストモダンにおける創作はある種のn次創作です。情報環境のネットワークによってエンパワーメントが生じ二次創作-三次創作が産出されるという仕方でリレーしていきます。こうしたシミュラークルないしはシミュレーショニズム、エレメントの組み合わせによる創発的的クリエイティヴティの誕生。

2015-01-22 18:20:45
@hallucinyan

こうしたN次創作的ネットワークを可能にしている下部構造がデータベース=アーキテクチュアです。そこに登録されたエレメント群が組み合わせられることによってシミュラークルが算出され産出されていきます。シミュラークルはオリジナルなきコピーを意味します。

2015-01-22 18:23:54
@hallucinyan

ことほどさように情報社会における創作というのは強くネットワークにエンパワーされています。データベースはその支持体です。データベースはエクリチュールに、シミュラークルはシニフィアンにある程度はは対応します。

2015-01-22 18:26:18
@hallucinyan

したがってアーキテクチュアという下部構造はエクリチュール的な物質性を持ちます。それはラカンの言うところの現実界です。他方でシミュラークルという上部構造は抽象度の高い構造としてネットワークによって強化された象徴秩序です。

2015-01-22 18:28:16
@hallucinyan

そこで重要な問題が発生いたします。なぜ「萌えキャラ」が重要なのか。それは「萌え要素から編成される萌えキャラ」こそが「かわいくかつ不気味なもの」であり「複数的超越論性」だからです。

2015-01-22 18:30:49
@hallucinyan

もちろんこれは理論的一貫性に基づいたマッピングです

2015-01-22 18:31:04
@hallucinyan

このようにして私たちは東浩紀の『存在論的、郵便的』から『動物化するポストモダン』までを概観することができました。

2015-01-22 18:32:40