『無限論の教室』、哲学とそれ以外
@tenapi 自我の問題は中学生には重すぎるテーマかもしれません。たとえば、野矢茂樹の『無限論の教室』などは、中学生でも十分理解できることばで、数学の哲学入門を論じた傑作だと思っています。『数学ガール』に近い感じですね。海外にはないけど日本にあるのはこういうすぐれた入門書かも。
2010-12-12 19:24:01@shinjike 中学生相手に「心は本当にあるのか」なんて言っても聞く耳ないでしょうねえ... たしかに「無限ってなに?」ならいいかもしれない。でも「先生、くろもじがありません」って、いまの中学生はわかるのかな。
2010-12-12 19:28:49問題は、もし中学生が『無限論の教室』などを読んで、無限とは何かについて本当に興味を持ったとしたら、数学に行ってしまうだろうこと。そして哲学に戻ることはおよそないし、またその頃には何らかの理由で哲学への関心を持つのが難しくなっているということ。
2010-12-12 19:38:02@shinjike 僕には、「無限論の教室」における野矢先生の立場は、科学者に「科学は決して確実じゃない」とお説教する自称科学哲学者達とどこが違うのか、よく分からないんです。数学の哲学や科学哲学で一番やってはいけないことは、「現場の科学者に対するお説教」なんじゃないでしょうか。
2010-12-12 20:22:11”科学者に「科学は決して確実じゃない」とお説教する自称科学哲学者”の問題点について考えたが,藁人形論法でお説教されても…というのが大きいかな. http://twitter.com/#!/ytb_at_twt/status/13916520031723520
2010-12-12 20:39:27@patho_logic まぁ、”科学者に「科学は決して確実じゃない」とお説教する自称科学哲学者”というもの自体が藁人形なのかもしれないわけで、この辺は注意深い扱いが必要なのかもしれませんが。
2010-12-12 20:41:32なるほど。そんなことを述べていましたか、野矢先生。『無限論の教室』を読んだのはもう10年以上も前で、論理学学び始めそこそこのぼくは、そこらへんの問題意識はなく、流してしまったようです。科学哲学者が現場の科学を批判してはいけないと議論をもう少しkwsk。RT@ytb_at_twt
2010-12-12 21:06:27ゲーデルも、集合論はまだ完全に厳密じゃない、新しい公理が必要だ、そしてそれには哲学的分析しかない、という立場なのだが、これは哲学者としてのゲーデルによる科学批判になっている。その批判は、あくまでGが現場の科学者だから許されるということだろうか。そうだとしたら、それも暴論だろうに。
2010-12-12 21:14:16手元に本はないので、文脈をカクニンできないが、とあるロジック・プロパーは「科学は決して確実じゃない」という対話内の発話を、科学哲学者による科学への「お説教」と捉えたようである。そしてそこから、それは科学哲学者の越権行為ないし不誠実な態度である、を帰結している。で、藁人形論法って何
2010-12-12 21:18:52@shinjike 「無限論の教室」は(1) 伝統的な集合論における対角線論法を解説(2)それ以外の立場として数学的直観主義の考え方を紹介(3)ほら、現在の主流の立場には、alternativeが存在し、決して唯一の立場じゃないでしょ、という流れだったと思います。
2010-12-12 21:56:02@ytb_at_twt @shinjike @tenapi 「無限論の教室」は、読んだ限り、作者があまり数学が得意ではないのだろうという印象がありましたが、そうでもないのでしょうか。
2010-12-12 21:58:52@shinjike 僕には、この本は、伝統的な数学者の立場は、唯一のやりかたではなく、哲学的な視点からalternativeをもっと考えるべきだ、と主張しているように聞こえました。まぁ、個人的にはもっと強いニュアンスを持つ(「数学者って視野が狭ぇなぁ」)ように聞こえたんですが。
2010-12-12 21:59:20@shinjike で、僕が問題だと思うのは、なぜ現場で数学的直観主義が使われなくなったのか、数学者がなぜ古典的立場をメインに使用するのか、そういう点に関する分析が全くなく、単に代替物の存在のみをほのめかすのは、ちゃんとした分析と言えないだろうという点なのです。
2010-12-12 22:01:33@shinjike 僕自身は、科学哲学者は、科学者が現場でやっていることの分析と説明を主とすべきであり、「現場に指図する」のは、その役目ではないと考えています。
2010-12-12 22:04:22@shinjike ゲーデルの例は、いようにも返答可能ではないでしょうか。まず(1)ゲーデルの集合論への新しい公理の要請は、誰にも受け入れられなかったし、その後の集合論の研究にあまり影響も与えなかった
2010-12-12 22:06:48@shinjike (2)ゲーデルのいう「哲学的」という言葉は、今の言葉で言えば「どのようなZFCからの(組み合わせ論的)独立命題が存在すると仮定するべきか」という問題であり、それのことを現代の集合論の研究者は「哲学的問題」とは思っていない
2010-12-12 22:08:09@shinjike ではないかと思うわけです。私の認識の足りないところについて、ご指摘をいただければ誠に幸いです。よろしくお願いいたします。
2010-12-12 22:10:26ああ、野矢茂樹さんの本を読んで、数学分かっていないなあと思ったのは、僕の数学理解が浅いからだけではないんですね。RT @ytb_at_twt @ainsophyao 僕もそう思います。というか、実際の数学にまったく関心がないという印象を受けました。
2010-12-12 22:21:57しかし哲学が現場の科学に影響を与えないってのは本当かどうか。デデキントのあの2本の論文は本人が「ほとんど結果を産まない」と言ったにもかかわらず、のちの数学の展開に少なからず貢献した。そして、デデキントの動機づけがいわゆる数学に内在する問題意識だったとは思えない。
2010-12-12 22:23:55@shinjike あ、すみません、補足です。分析と説明の結果、数学者が何をやっているかがより明確となり、そのことが結果的に数学者にプラスの影響を及ぼすことはあるし、是非そう会って欲しいと思います。しかし、ブラウアーのように「○○はすべきではない」というのは間違いだ、と思います。
2010-12-12 22:26:12@tenapi それは「影響を与える」と言う言葉の問題で、単に他の分野のものにインスパイアされるというだけなら、詩や音楽だって数学に影響を与えます。もっと直接的な影響関係(「正しい研究法を指示する」)がここでは問題なのではないかと思います。
2010-12-12 22:28:58