『無限論の教室』、哲学とそれ以外

野矢茂樹『無限論の教室』の評価をめぐるやりとりから、哲学と、そしてそれ以外の分野への影響関係について。
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@tenapi

野矢茂樹『無限論の教室』が数学に意味のある影響を与えるとは、俺も思ってはいませんよ。だけど、哲学へのいざないとして好適だという最初の話に戻ったら、導入としては悪くないと思いますがね。

2010-12-12 22:29:32
@tenapi

この点にはまったく同意。 RT @ytb_at_twt: @shinjike しかし、ブラウアーのように「○○はすべきではない」というのは間違いだ、と思います。

2010-12-12 22:30:08
@tenapi

デデキントがやったことは、インスパイアというレベルの話ではないと思うのだが。

2010-12-12 22:32:42
しんじけ @shinjike

@ytb_at_twt ゲーデルが公理の哲学的分析として意図していたのは、「数学が通常与える以上の深い分析」と同義だと思います(Cantor Paper)。ゲーデルはまた、厳密な哲学がありうると考えていました。これらが何を意味するのかは丁寧に考えなくてはならない問題です。>

2010-12-12 22:34:05
{白,黒}のカピバラの左随伴右随伴 @ainsophyao

まあ、ようするに、大学に雇われているからといって教育者程度に多くを期待するなって話ですよね。大学の教育者と小中高の教育者なら教職とらないといけない分、後者の方がなるの大変だし。RT @Im_Weltkriege 野矢先生「は? 俺、ロジシャンじゃねーし」(実話)

2010-12-12 22:34:56
しんじけ @shinjike

@ytb_at_twt しかし、背後に数学的直観の問題があるので、ゲーデルが、現代集合論研究者が捉える限定されるような意味で、「哲学的」を理解していたかは疑問です。

2010-12-12 22:35:44
@tenapi

記述集合論の嚆矢となったルベーグの論文については、自分の積分論のアルゴリズム的側面の希薄さにルベーグが不満だったことや、ツェルメロの論文をめぐってアダマールと論争したことが背景となっていると思っている。これも、インスパイアというレベルの影響ではない。

2010-12-12 22:40:01
ytb @ytb_at_twt

@tenapi あるジャンルの創始者が、なんだかよく分からない憶見を持っている事はよくある話です(カントール、ヒルベルト、ブラウアー、ウカシエヴィッチ、ザデー、etc.)。でも、彼らの数学的成果はその哲学的見解から切り離して考えられるし、そうすべきではないかと思います。

2010-12-12 22:40:45
しんじけ @shinjike

@ytb_at_twt …単に代替物の存在のみをほのめかすのは、ちゃんとした分析と言えないだろう… これはその通りだと思います。*現場の事情*を踏まえないで、科学を哲学することはおよそ不可能だと思います。科学哲学者が扱う科学の専門家である必要はあるのか、というのは議論すべき課題。

2010-12-12 22:41:08
@tenapi

ただまあ、デデキントにしてもルベーグにしても、哲学者ではなかった。

2010-12-12 22:41:11
ytb @ytb_at_twt

@tenapi そして、切り離して考えられるという点で、「インスパイア」と呼んでも差し支えないのでは。

2010-12-12 22:41:11
@patho_logic

無限論の教室は軽く立ち読みして,面白く思えなかったから読んでない.今読んだらまた別の印象があるかも.

2010-12-12 22:42:48
ytb @ytb_at_twt

@shinjike たしかに、それはそうかもしれませんね。ぜひとも頑張っていただきたいと思います。期待してます。ただし、それはゲーデル本人(と現代のゲーデル研究者)の問題であって、現代の数学研究者にゲーデル的な意味の哲学的見解が必要かは、僕には疑問です。

2010-12-12 22:47:08
@tenapi

@ytb_at_twt ということは、切り離せないものは数学そのものなんだからもはや哲学ではない。だから哲学の数学への内在的な影響は「定義上」ありえないって話になる。

2010-12-12 22:47:17
しんじけ @shinjike

@ytb_at_twt …彼らの数学的成果はその哲学的見解から切り離して考えられるし、そうすべきではないかと思います… 考えられる→そうすべき、の論理がわかりません。数学あるいは数学史にとってはそうすべきでしょう。しかし、これは、分野の目的に相対的ではないでしょうか?

2010-12-12 22:47:41
しんじけ @shinjike

@ytb_at_twt たとえば、ライプニッツの二進法は、その哲学や神学、中国学の背景から切り離せて考えることができる。しかし、そこから何等、哲学や神学、中国学を切り離すべき、という一般的帰結は出てきません。

2010-12-12 22:50:06
しんじけ @shinjike

哲学が科学にとっておよそ有用となりうるのは、その科学がまだ萌芽期ないし未発達な段階にあるときである。それは、その分野の原理部分に、まだ根本的困難が残っている場合である。すでにある一定以上の自律性を持ち、自己内発展しうる分野においては、むしろ「哲学的」考察は余計であり有害となる。

2010-12-12 22:56:59
ytb @ytb_at_twt

@shinjike たしかに、それは分野にとって相対的ですね。それはその通りです。問題は、現代において、無限のような数学的現象を理解するために、ジャンルの創始者らの哲学的見解を理解することが必要かということになりますね。僕は、かなり懐疑的です。

2010-12-12 22:58:31
ytb @ytb_at_twt

@shinjike ライプニッツを理解するためには確かに切り離すことが出来ません。しかし、数学の時間に二進法を習う際には、それらはまったく必要無いでしょう。

2010-12-12 22:59:44
@tenapi

@ytb_at_twt そう言ってくれればよくわかる。たしかに、たとえばカントールの思想なんか、いまの集合論にはぜんっぜん関係ないもんね。

2010-12-12 23:00:34
kugyo W @pubkugyo

あるひとが2進法と神学とを切り離して考えていないのなら,そのとき,そのひとは2進法について考えているわけではないのでは.2進法について_も_考えているというのなら,切り離して考えることができてしまっているはず.ものごとを切り離さずに考えることは難しい.

2010-12-12 23:01:53
@borujiaya

@shinjike もし基礎概念の分析と整理のことをおっしゃっているのなら、哲学は最初から不要なのではないですか? それは科学に内在する営みではないのですか?

2010-12-12 23:03:10
@tenapi

言いすぎた。数学が思想でないわけではないからな。 RT @tenapi: @ytb_at_twt そう言ってくれればよくわかる。たしかに、たとえばカントールの思想なんか、いまの集合論にはぜんっぜん関係ないもんね。

2010-12-12 23:05:50
ytb @ytb_at_twt

@shinjike その萌芽期における有用になり方というのは、まさしく「インスパイア」というか、どこからそのアイディアを思いついたかという話であり、そういう話よりも「科学の内在的発展」に焦点を絞った方が有益ではないかと思います。

2010-12-12 23:06:14
@tenapi

哲学者は「数学者は「哲学者は「数学者は...すべきでない」と言うべきでない」と言うべきでない」というべきでない (お好みの深さにネストしてください)

2010-12-12 23:08:35