『無限論の教室』、哲学とそれ以外

野矢茂樹『無限論の教室』の評価をめぐるやりとりから、哲学と、そしてそれ以外の分野への影響関係について。
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@tenapi

ともあれ、明日も岩波文庫版「田辺元哲学選III」と中央公論新社版「哲学の歴史11」をわたくしは読むでありましょう。眠い。

2010-12-12 23:21:05
@tenapi

そして東洋の日曜日は残り45分の1くらいになりつつある。

2010-12-12 23:23:28
しんじけ @shinjike

@ytb_at_twt 無限のような数学的現象を理解するために、ジャンルの創始者らの哲学的見解を理解することが必要か… 残念ながらぼくも懐疑的です。無限を「数学的に」深く理解したいのであれば、およそ不必要かつ時間がもったいないでしょう。哲学は数学が与える無限の豊かさを与えません。

2010-12-12 23:34:12
@tenapi

ジャンルの創始者がどういう哲学的見解をもっていてそれがジャンルの創始にどういう影響を与えたか、それを明らかにすることには、固有の価値があると、俺は思います。ただ、本気でそれをやるためには、数学者であることを諦めにゃならんのかもしれません。

2010-12-12 23:38:15
しんじけ @shinjike

では、哲学は「無限」概念に何を与えてくれるのか。むろん、公理や諸前提に主張が制限される数学が与えてくれない部分である。自我や存在、永遠、神、自由、不死、魂など、他の諸概念との連関を示唆してくれる。つまりより広い文脈での意味とやらを模索するのが哲学であり哲学だけにそれができるはず。

2010-12-12 23:39:26
@tenapi

集合論が「カントールの思想」でなくなって「数学の共通言語」になっていく過程が知りたい。いわば脱哲学化の過程というわけだけど…というわけでボレルのあの本も読まなくちゃなあ。

2010-12-12 23:41:29
@borujiaya

@shinjike お話がゲーデルの文脈であることはわかっています。自我、永遠、神、自由。カントの超越論的理念ですね。これらが科学の専門家に示唆を与えることは当然だと思いますが、それなら哲学と科学は常に並行して歩めんでいると言えるのではないでしょうか。

2010-12-12 23:46:54
しんじけ @shinjike

@borujiaya まず最初のご質問から。基礎概念の分析に関しては、科学と哲学を線引きするのは難しいと考えます。単にテクニカルな理由だけで設定される原理もあれば、かなり強い哲学的前提を含む原理が設定される場合もあるので。この点での線引き問題も、科学哲学の重要検討事項ですね。

2010-12-12 23:55:26
@borujiaya

@shinjike ありがとうございます。異論はまったくありません。

2010-12-13 00:00:34
しんじけ @shinjike

@borujiaya ゲーデルは、語学や哲学そして自身の宗教に関して、伝統的教育を受けており、哲学色の強い数学者として極めて特異なケースかと。不完全性定理の証明以前に、ライプニッツを読んでいるんですよ、彼は。独観念論の影響も強い。それらから着想を得たとは、決して書かないのですが。

2010-12-13 00:01:57
@borujiaya

集合論の脱哲学化っていうのはとてもわかりやすい事例です。

2010-12-13 00:05:57
@borujiaya

とはいえ、この種のプロセスは、たんに科学者のコミュニティがプロブレマティクを共有した、ということなのではないでしょうか。

2010-12-13 00:07:35
しんじけ @shinjike

不確かな想像の入る余地がある、インスピレーションの検討より、科学の内在的発展を描くほうが、学問にとっては生産的なことかもしれない。しかし、とある科学の内在的発展を、哲学徒にもわかるようにわかりやすく書けるエピステモロジストが、いったいどれだけ日本にいるというのだろうかという問題。

2010-12-13 00:08:19
@borujiaya

おっしゃることはよくわかるのですが、科学の内在的発展を書けるエピステモロジストの存在が、哲学研究者と科学研究者の間に橋を掛ける可能性は少ないと考えます。

2010-12-13 00:13:35
@borujiaya

その根拠はシンプル。 @shinjike さんがご自身でやっておられる通り、媒介となるエピステモロジストは不要だからです。

2010-12-13 00:17:55
しんじけ @shinjike

@borujiaya たしかに、これはあくまで哲学サイドが科学サイドを理解しようとする試みであって、エピステモロジーによって対称性が成立するわけではないでしょう。ただ、何らかの理解を与えることはあるかも。科学者が哲学者に問うときがあるとすれば、どう考えるかよりどう考えたかだろう。

2010-12-13 00:23:38
しんじけ @shinjike

やれやれ。哲学の価値を弁護するには、独りでは荷が重すぎた。ただ言っておくと、哲学という分野は、かつて確かに存在したのである。今ありうべき哲学とは何かはもっと見える形にしないと、いずれ失われる気がする。エピステモロジーは絶滅しているかその危惧にある。…それではジョギング行ってくる。

2010-12-13 00:44:26
Yuko Murakami @yukoim

科学哲学者は科学の描写よりファシリテータを志向しているようだが、現場見る経験なしにできると思われない。じゃあどうスキル・知識の構築をする?コミュニティレベル、個人レベルそれぞれで。

2010-12-13 07:48:30
H. Miyoshi (ALC Japan is rescheduled in 2025) @metaphusika

岩波の講座数学にああいうことが書かれていた時代もありました。「数学の哲学」ではなく「数理哲学」があった頃。 RT @ytb_at_twt: tenapi あの本は最高に危険です。18才以下への販売を禁止にしたほうがいいのでは。

2010-12-13 08:13:01
Syun Tutiya @tutiya

@yukoim そんな科学哲学社は不要では? しかし困ったもので、tweetできず、argueする質のようですね。おまけにad hominem?

2010-12-13 08:13:18
ytb @ytb_at_twt

@metaphusika それはともかく、哲学が数学に影響を与える方法としては、「数理哲学」方式もアリだとは思います。つまり、「哲学的題材を数学的に形式化し、数学的モデルの中で議論する」という方式ですね。

2010-12-13 08:53:34
ytb @ytb_at_twt

@metaphusika でも、これは、数理物理学や形式意味論と同じく、「○○のネタを使って数学している」時にたまたま○○が哲学だっただけであり、昔の基礎づけ主義者のように「哲学は数学に対し基礎づけを提供する特権的立場にある」とか言うものではないと思います。

2010-12-13 08:56:29
ytb @ytb_at_twt

@metaphusika ちろん、物理学者と数学者のインタラクションが実り豊かなものであったように、哲学者と数学者のインタラクションも豊かなものであり得るし、実際に多くの成果が出ている(型理論とか)と思います。

2010-12-13 09:00:40
Yuko Murakami @yukoim

@tutiya 科学哲学の役割についてもう少し思考を整理したいと思っています。科学者からみて不要という考えが標準化しているとすれば、若手はもっと暴れていい。

2010-12-13 09:18:31
Yuko Murakami @yukoim

科学哲学者育成に『「佐藤可士和」をプロデュース』が参考にならないか。本人が嫌がっても異業種の細かい仕事をしっかりやらせる。3年半でブレーク: http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20100119/212295/

2010-12-13 09:22:47