自然の恵みとその被害について

原発事故によって失われたものは何か? 現時点で、加害者に補償、賠償、原状回復を求められる被害は? 被害を被った中で、どうやって生活していくのか?
復興 震災 恵み 自然 原発事故 山菜
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灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki
(えっと、故郷喪失慰謝料訴訟のひとつの争点である、山菜や茸やイノシシや川魚の恵みを失ったのをそんなものたべないよと一気に否定するtwがTLを流れていったような気がする。なんだかなあ)
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
@nekoyasshiki @moriokahiguma たとえ同じ県内であっても、いつも山や川の恵みを食べて生活している人と、そうでない人の感覚の差は大きいと感じます。
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
それこそ、食べる食べないであらそってもどうにもならないし、ポイントはソコじゃないと思うんだよね。
moriokahiguma @moriokahiguma
@niigatamama @nekoyasshiki 意見としては正反対の原発事故影響を気にする方もあまり問題ないとする方も双方「そもそも野山のものなんか…」的意見が共通している時があります。そんな方は商品経済誌か知らず、自然との関係の深い農山漁村という社会が想像の外なんでしょう
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki
@niigatamama @moriokahiguma 多様性は否定しない方が長期的・戦略的に有利ですねボソ
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki
@moriokahiguma @niigatamama 逆説的に同じ土俵の上にのっていることを証明しちゃうという奴ですね(^^;)
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
@nekoyasshiki @moriokahiguma いろいろな考えがあるのはいいと思います。でも、この意見は、「自分に関係ないものは問題にならない」という意識が根底にあるように見えるのです。
moriokahiguma @moriokahiguma
@niigatamama @nekoyasshiki その点が大いに問題ですね。TLには「私は農村出身だが今はそんなもの食べない」的意見も流れてますが「自分がそうだ」という事を簡単に一般化しないでほしいですね。件のtwは「危険なものを奨励するシンポ」への反感からのようですが…
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
@moriokahiguma @nekoyasshiki 困ったなと思ってみてます。地域内での話と県全体としての話、果ては国としての話までなってしまうと、どんどん大雑把な括りで一般化されてしまい、それぞれが望んでいる方向は見えなくなってしまいます。
moriokahiguma @moriokahiguma
@niigatamama @nekoyasshiki 緊急時が過ぎ本来なら「被害とはなにか」をローカルに詰めなければいけないんですよね…。しかし原因者側は賠償を終わりにしたいから踏み込まない。「被害」への関心も多くの方は「健康被害」にプライオイリティがありローカルネタを否定…
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
@moriokahiguma @nekoyasshiki 東電相手の裁判で争っているのは、ほとんどがそういったローカルネタの被害についてなんですけどね。今はまだ不明なことが多すぎて「健康被害」で争える段階ではないです。恐らくそれは十年以上後にならないとわからないと思います。
moriokahiguma @moriokahiguma
@niigatamama @nekoyasshiki 東電の不誠実、ADR拒否、ADRそのものの加害者寄り姿勢などが地域コミュニティによる集団提訴を誘発しているのだと思いますが、こうしたローカルネタ、ローカル集団の努力を全国的に支援することが大事なのだと思うのですが…
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
@moriokahiguma @nekoyasshiki 国相手の場合は、健康被害がないように適切な防護策をとると同時に、地域ごとの多様性を認めさせて、ローカルな生活の補償とケアをしていくように求めるのが必要だと感じています。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki
@moriokahiguma @niigatamama 健康被害主義と地域被害主義が分裂してしまってますからねえ。
moriokahiguma @moriokahiguma
このことが最大の問題のように思います。発端となった「山野の幸を自分は食べない。食べさせようとするのは健康被害誘発」というのはこうした分断から出る発言に思えます@nekoyasshiki @niigatamama 健康被害主義と地域被害主義が分裂してしまってますからねえ。
moriokahiguma @moriokahiguma
山野の幸を取り戻す方向で考えるに際しては「事故影響もう大丈夫」的な観点から語ってはいけなくて、地元の人が「ムラの豊かさを取り戻したいのだが」という問いを発した際に@nekoyasshiki @niigatamama
moriokahiguma @moriokahiguma
承前 被災地で山野の恵みを得つつ汚染と折り合いつける作法」をその場所で造ることにのみ協力するという方向でなされるべきと思うのです@nekoyasshiki @niigatamama
moriokahiguma @moriokahiguma
更に「無知なムラビトに科学的安全性を教化してやる」的な欠如モデル方式では絶対にダメですよね。「ここでどんな生活をしたいですか」「その時のリスクを測定するには」「その結果の評価は」という柏で行われた手法みたいなのでないと@nekoyasshiki @niigatamama
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki
@moriokahiguma @niigatamama 原発被害の実態の分析には、剥奪モデルを適用しないとだめなんだろうとおもうんです。しかも、まったきの完全な剥奪からグラデーション込の薄く拡がった部分まで。もちろん、グラデーションの中では回復や修復の問題も込で。
moriokahiguma @moriokahiguma
@nekoyasshiki @niigatamama 御意です。相対的剥奪概念を利用しないと「財物賠償」と算定根拠が実態とリンクしない「慰謝料」の話にしかならないですよね。ただ長期にわたる被害の時間経過の折り込みは大変そうです
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
@nekoyasshiki @moriokahiguma 回復がある程度可能なグラデーションの薄い方の地域であれば、moriokahigumaさんの仰る「被災地で山野の恵みを得つつ汚染と折り合いつける作法」がいいと思います。完全に剥奪された地域については全面的な補償とケアが必要。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki
@moriokahiguma @niigatamama (その問題は大変です、ことは、私有財だけでなく、共有財にかかわりますから)(ここは手がだしずらくってカッコw)
moriokahiguma @moriokahiguma
@niigatamama @nekoyasshiki 折り合いをつけられる地域はどこまでか、それを誰が決めるのか、その決定に納得できない人はどうするか…悩みは尽きません。
moriokahiguma @moriokahiguma
@niigatamama @nekoyasshiki それでも、問題を地域に丸投げするので原因者が当然のサポートを行いつつ、そうした決定をそれぞれの地域や住民が選択できる機会を造る事は、本来原発事故後のこの社会に課せられた義務だと思うのです…
Susanna Yukari Oseki @niigatamama
@moriokahiguma @nekoyasshiki それは本当に難しいと思います。即、分断の種になってしまうことなので・・・
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コメント

T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k 2015年2月22日
赤宇木の蕨の例 https://twitter.com/hanaharuok/status/303305568452493313/photo/1 もありましたし、汚染が高度な地域でも塩漬け等の工夫で摂食可能なレベルにできるものもあるのではないでしょうか。河豚の卵巣まで食べる工夫をしてきた歴史があるのですから。
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月22日
以前、福島山形県境のキノコの塩漬けを測定したことがありますがNDでした。元の線量はわからないのですが、茹でこぼしてから更に塩漬けをしているということで相当量低減されているのだと思われます。
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月22日
そういった方法論も含めて、その地域の人たちそれぞれが望んでいることに対する解が見つかるまで、丁寧に対応していくのが、加害者側の責任だと思います。
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月22日
「地域の人が行う地域で暮らして行くための作法作り」がいつの間にか「地域の人たちの自己責任」に転換され、加害者や国の責任が免罪されてしまいがちという問題もあると思うのです
酔仙亭響人 @suisenteikyohji 2015年2月22日
まとめをきちんと読んでいないけど、べつに、食えば良いじゃないの?だめ?
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月22日
その言葉をそのまま訴訟の当事者である福島の方に投げかけることができますか?少なくともまとめを読んでからコメントしていただけますでしょうか?
津田クモスケ和俊 @kaztsuda 2015年2月22日
元のりょうぜん里山がっこうでのシンポジウムは、地域の人々がこれまでの食生活を回復させる方法を考えるために発表者の旅費などを東電に出してもらって開催されたものと聞いてますが、ハテこの議論はなんだべな?
津田クモスケ和俊 @kaztsuda 2015年2月22日
わたし流通している食品と野山で採取される食品は区別すべき、とコメントしたのですが(2:04くらいから https://www.youtube.com/watch?v=rrpY2bQ1PgA )やはり誤解された、都会のライターさんにはイノハナご飯って何?、って背景から説明しないとわかんねー --;;;
津田クモスケ和俊 @kaztsuda 2015年2月22日
ちなみに個人的には、このようなシンポジウムの開催の際には、東電には口はもちろん金も出してもらわないほうがいいと思ってます。こうして週刊誌に偏見丸出しで誤解された記事が書かれる原因になるから。
toumei-unicorn @monstar81053 2015年2月22日
う~ん、確かに東電にお金を出してもらわないほうがいいというのは一理ありますが、海外から専門家を呼ぶ際の旅費や講演料(拘束時間があるからタダとはいかない)をどこから捻出するか、県のものも含めて使えそうな助成金一覧の蓄積や書類作成の分担も必要なのかもしれませんね。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月22日
うーん、いつのまにかコメント欄が摂取≒健康被害モデルにもどっている(^^;。 個別のシンポジウム是非論より、シンポジウム否定論がコモンズとしての自然のかかわり(維持・管理・享受・人との関係・まわりへの信頼)問題への配慮は薄い・あるいは等閑視されるなあというところからの話だったのが。
津田クモスケ和俊 @kaztsuda 2015年2月23日
nekoyasshiki いやいや、実際の霊山でのシンポジウムの最後の結論では「摂取≠健康被害」で全員一致。もう少し正確には「何千Bq/kgあろうが、食いたいなら好きに食わせろ」。どちらかと言えば霊山のシンポジウムの実際はほぼこのまとめでの議論の内容に沿ったものでした。しかしtwitterでは炎上 ^^
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月23日
「「被曝量モデル」は重要ですが人々の判断はそれだけでなされる訳じゃないというのは安全派も危険派も実は共有してるんですよね。しかし一般解は出せない…。だからこそローカルに折合をつけるしかない問題なのかと」そのシンポジウムにいらっしゃる方はローカルの中でも一部にすぎないことをお忘れなく。
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月23日
灰猫さんご指摘の通り、問題は「コモンズとしての自然のかかわり(維持・管理・享受・人との関係・まわりへの信頼)問題への配慮は薄い・あるいは等閑視」だといってるのに必ず「摂取≒健康被害モデル」論にリピート…。逆説的に言えば、だから繰り返し言い続けないといかんのだろうな…
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月23日
安全派も危険派も、被曝量モデルの話にリピートすることがわかるツィッターとコメント欄だと思います。このまとめの議論で問題としていることが伝わっていないと感じます。
momo0078 @momo0078 2015年2月23日
とてもいいまとめです。
津田クモスケ和俊 @kaztsuda 2015年2月23日
うーん、確かに全く伝わっていない ^^ これは、現実に困っている人を目の前にして、自分がよかれと思ってやっているのにどうして非難されないといけないのか、と痛い目に合わないとわからないかなぁ~
T.K. fukushimaタグ付けよう @aizujin_k 2015年2月23日
経済活動としての山菜の採取販売でも個人の嗜好としての食でもなく、共同体の食文化、たとえば「きのこ山」に象徴されるようなもの、に係わる問題だと言うことがまったく理解できない人が「摂取≒健康被害モデル」論にループしてしまうのでしょう。
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月23日
この議論のポイントは、現時点で、それを食べるか、食べないかの問題ではないということです。自然との共生生活、食文化への被害の認識とその回復(可能かどうかも含めて)が問われているのです。
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月23日
シンポジウムやセミナーは登壇者の立ち位置や主催者、協賛者によってバイアスがどうしてもかかるので、参加者はどうしても偏ったものになるでしょう。そこで得られた結論やまとめのようなものがその地域全体に適用できるわけではないし、その地域を代表するものでもないということです。
yoka72 @yoka72 2015年2月23日
「このまとめの議論で問題としていることが伝わっていないと感じます。」のは何でなのか、折角なので突っ込んだ対話があると良いのかなぁと思います。正直僕もぼんやりとわかるようなわからないような感じです。
yoka72 @yoka72 2015年2月23日
「自然との共生生活、食文化への被害の認識とその回復(可能かどうかも含めて)」は「摂取≒健康被害モデル」抜きでは判断出来ないでしょうし、そこを問題としているのではないというのは何となくわかるのですが、具体的にどういう事なのかもう少し噛み砕けないでしょうか。
隔靴掻痒@日隈斎京 @higuma_saikyou 2015年2月23日
セミナーが地域を代表するものでないとしたら圧倒的な結論の行方はどうなってしまうのか?現実にある摂食に対する箍を外したいという住民の希望を押し潰すことにはならないか?摂食(健康被害モデル)と保証の問題(責任の在り処)を別けて考えないと議論は先に進まないのではないかと思います。
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月24日
摂食の判断の問題ではなく、基本的には補償の問題を取り上げているのです。数値で示せる被害と、測ることができない被害があるという話です。生活や文化の喪失した部分というのは、なかなか補償対象として認めてもらえないのですが、それも実際は補償されうる被害であるということです。
yoka72 @yoka72 2015年2月24日
実際、山菜や野生動物等は食べなくても困らないし食べても量は少ないからあまり問題無い、みたいなコメントは散見されますよね。そんな簡単に切り捨てて良い問題ではないというのはわかりました。
yoka72 @yoka72 2015年2月24日
一方で、補償の問題を考えると何らかの線引きは必要になってくるでしょうし、どのように線を引くにしてもやはり「摂取≒健康被害モデル」が出てきてしまうように思えます。ループするのは必然のように思います。
yoka72 @yoka72 2015年2月24日
そこまで突っ込んだ話では無くて、まとめられたような地域の文化的な損失も実はたくさんあって、そういうものにもしっかり目を向けて、当事者の意見にも耳を傾けて下さいというお話だと理解しましたが、それで間違いないでしょうか?
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月24日
ローカルコモンズとか、共有財としての自然という場合、管理主体は、個別単独の生活者でなく、集合的主体(地域集団とか)になりますよね。ここへのダメージ(分裂など)が、案外勘案されていない。 また、地域食などの不安は、この集団の分裂を相当量反映しているんではないのだろうか、と思うわけです。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月24日
一方、中山間地域でも、管理作付と商品経済に完全にのってしまえば、食への不安はほぼ気にする必要はない事実もあるわけです。他方の側で、管理主体側の分裂(一部の地域内撤退から避難・移住まで)を反映して、ローカルコモンズの維持管理修復が困難になってきている。ここに手を入れる手を考えないとちょとまずいかなとは思います。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月24日
さらに(笑)、故郷喪失訴訟などは、ある意味、ローカルコモンズの見えない依存コストに目を向けさせるものだとは思う訳ですが、享受面での喪失が強調されるきらいがあるかなと。維持する主体へのダメージも見てほしいとおもっているわけです。(これもグラデーション問題なんですが)
Susanna Yukari Oseki @niigatamama 2015年2月25日
灰猫さんの仰る通り、共有財としての自然に対する被害という視点で考えると「健康被害」の問題と切り離すことができると思います。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月25日
私有財(所有物)としての山林・立木に関しては、福島県内避難区域に関しては、賠償対象に入っているのも事実でです。ただし、賠償範囲や額をおいても、それが森林の多様な利用をカバーしきれているのか、については相当議論を呼ぶと思います。 http://www.agrinews.co.jp/modules/pico/index.php?content_id=30395 http://www.tepco.co.jp/cc/press/2014/1242023_5851.html
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月25日
河川・湖沼(水系)などに関しては、漁業権が成立している漁協がカバーしている範囲は賠償対象にはなるんでしょう。(カバーしていないところは、成立しない問題と修復問題は残る)。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月25日
修復問題に関しては、経済林(営業林)に関しては、一応実証は林野庁ベースでおこなわれるはずですし、福島県や栃木県などでも、原木ほだ木確保のための、(経済活動・貨幣換算可能なところ)除染等の試みの議論はあります。
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月25日
現状のちょっとした紹介 貨幣経済に浮かんだ部分 【野生キノコ出荷制限】1年目検査クリア3町村 森林除染なく手続き厳格 http://www.minpo.jp/pub/topics/jishin2011/2014/12/post_11250.html 貨幣経済の水面下の部分 森林総研 収入も楽しみも ―山菜・キノコ採りがもたらすもの― https://www.ffpri.affrc.go.jp/research/saizensen/2014/20140821-01.html
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月25日
収入も楽しみも ―山菜・キノコ採りがもたらすもの― 「山菜・キノコ採取をしているのは、収入源としての重要性よりも、季節の味覚、健康増進や探す楽しみ、人にあげて喜ばれることを採取の理由とする人が多く、お金以外の要素が山菜・キノコ採りの活動を支えていることが分かりました。」 https://www.ffpri.affrc.go.jp/research/saizensen/2014/20140821-01.html
灰猫(にゃーん野郎) @nekoyasshiki 2015年2月25日
森林利用形態の多様さ問題は、@moriokahigumaさんが、つっこんでくれるでしょう(期待しています)。
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
灰猫さんの解説通り森林にかかわる賠償は「避難区域」の「経済換算可能な部分のごく一部」が賠償されるにすぎません。しかもそ面積当たりの金額が被害者に示されたのは昨年というありさまで、ほとんど進んでいないし、被害を受けた森林の極僅かの面積しかカバーしてらず、その利用の多様さにはおよぶべくもないというのがまず共有される事実かと思います
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
森林を利用した生業というと近代社会では真っ先に木材生産をメインとした「林業」が頭に浮かびますが、これをメジャーな生業とすれば、これ以外の、必ずしも経済収入と直結しないものも合わせた生業をマイナーサブシステンスと呼びます。近代社会は「一つの職業をもち」「月給というなの金銭収入を得て生きる」ことが社会標準となった社会と位置づけられるでしょう。
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
しかしかつての農村は内山節先生の言葉を借りれば「多職の民」の暮らす、「多業の世界」だったと言えるでしょう。僕の祖父は「炭焼きで、馬喰で、植木屋で、農家で、草競馬の騎手」でした。岡惠介先生の研究によれば北上山地では焼き畑、木の実食、牛飼、鉱山への荷運び、鉄生産、炭焼き、マタギ、川魚漁、山菜キノコ採りなど多様な生業が暮らしを支えてきたことが明らかになっています。こうした暮らしはだいぶ薄れたとはいえ農山村にはいまだ色濃いものです。
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
こうしたマイナーサブシステンスのもう一つの特徴は「生活手段を得るための労働である」と同時に「多分にレクリエーションといい手の要素を兼ね備えていること」です。ですから賃労働が普及した現在でもマイナーサブシステンスの多くは継続し、それが近代的視点からは不便としか思われない農山村の暮らしを「豊かなものとする」大きな要因となっている訳です。
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
近代社会は「生活のための労働」と「レジャー・レクリエーション」を時間的・空間的に切り離すことで成立しています。だから「休日にテーマパークに行く」というのが近代社会のあり様な訳です。何らかの理由でいつも利用していたテーマパークに行けなくなっても、他へ行けば済むという交換可能性が高い社会が近代社会ということもできるでしょう
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
しかしマイナーサブシステンスは「そこで生きていくこと」と直結している傾向が強く(近年は車で他地域へ行くこともありますが、基本は地元です)、対象となる森が使えないとなれば他の森では代替できない場合が多々あります。権利関係、その場所でのみ通用する経験的知識技能、多くの地元の人間のかか割の継続による適度な撹乱で維持されてきた生態系ETC
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
多様な森林(自然)利用への被害とはこれらすべてを含んだものです。都会に暮らし、給与生活を送り、休日にレジャーを楽しむという近代的生活とは異なるオルタナティブな暮らし方がムラにはあります。どちらが素晴らしいという訳ではありませんが、そうしたオルタナティブを好む人が改めて増えつつあるのが現代だとすれば、原発事故は「ムラの暮らしの豊かさ」のみならずそうした「オルタナティブな暮らしの可能性」をも奪ったものと位置づけられるでしょう
moriokahiguma @moriokahiguma 2015年2月26日
こうした「失われた豊かさ・可能性とは何か?」ということすら被害者との間で「共同事実確認」を行うこともなく、経済的被害のそれもごく一部を、極僅かの地域でのみ行って事足れりとする加害者サイドの振る舞いは大いに避難されてしかるべきと僕は思います。またこうした点を抜きに「原発の経済性」を語るのはあまりにも被害を軽視しているものと思います
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