太田記念美術館による『浮世絵“青”の革命物語』北斎編補足。
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参考まとめ
太田記念美術館による補足連投
『和樂』では橋本麻里氏の「浮世絵”青”の革命物語」を連載中。最新の4月号では「北斎という絵師②」として、「冨嶽三十六景」誕生に至るまでの経緯を紹介。当館学芸員のコメントもあります。waraku-an.com
2015-03-06 15:40:23『和樂』4月号、橋本麻里氏の「浮世絵“青”の革命物語」の補足として、北斎の風景画をいくつか紹介。まずは勝川春朗と名乗っていた、20代の頃の作品。西洋の透視図法を取り入れた「浮絵」という技法を用いて、浅草寺の境内を描いています。(続) pic.twitter.com/xqhYm9k5AR
2015-03-06 15:46:07駆け出しの頃にしては、空間の奥行きも巧みに表現されていますが、浮絵の技法を得意としていた歌川豊春の先行作品と比べると、頑張って模倣している域を越えていません。北斎にも修行時代というものがありました。 pic.twitter.com/u6triphEiS
2015-03-06 15:51:34北斎が独自の風景表現を切り開いたのが、40代半ば頃から。「くだんうしがふち」や「よつや十二そう」などの西洋の銅版画を真似たシリーズが有名ですが、それと同じ時期に「新板浮絵」のシリーズがあります。こちらは日本橋と江戸橋を描いた作品。 pic.twitter.com/aEvWLJsNJN
2015-03-06 15:59:55「新板浮絵」のシリーズで特徴的なのが、この赤色のすやり霞。やまと絵で頻繁に用いられた空間処理の技法です。西洋表現の受容が明確でないため、浮世絵研究者にも人気がありませんが、あえてこの表現を採用したのは北斎の狙いだったと思われます。 pic.twitter.com/dQ0IkWBv4Z
2015-03-06 16:15:59この図でいえば、人々のにぎわいをそれなりに大きく描くと同時に、江戸橋から日本橋までの風景の広がりを表現するため、すやり霞と透視図法を併用させたのでしょう。成功しているかはともかく、新旧の表現を貪欲に取り込む北斎の姿勢が感じられます。 pic.twitter.com/QU4GfW0cUD
2015-03-06 16:31:33そんな北斎のさまざまな実験は、晩年の傑作「冨嶽三十六景」へとつながっていきます。例えばこの「武州玉川」。川と富士山の間に霞を配しています。かなり思い切った中景の省略ですが、それでも空間の広がりを感じさせるのがさすが北斎です。 pic.twitter.com/ePYQulTcs6
2015-03-06 16:39:04また、「冨嶽三十六景」では「神奈川沖浪裏」や「凱風快晴」が有名ですが、このような本当に藍色一色の作品も。鮮やかなベロ藍の魅力を最大限に引き出すため、北斎は70歳を過ぎても新たな挑戦を試みているのです。(終) pic.twitter.com/N0lL8FdQuz
2015-03-06 16:48:05