秀吉後の日朝関係

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イヌノオー@ @inunohibi

昔々、秀吉の朝鮮侵略で悪化した、日本と朝鮮半島の関係。徳川家康は、まず「あれは前政権のことなので、私は無関係。その証拠に、文禄・慶長の役に徳川は兵を出していない」といって、国交回復と友好関係を求めた。

2015-03-15 12:04:06
イヌノオー@ @inunohibi

朝鮮王朝側は、半島から拉致した捕虜・民間人の返還と、王家の墓を荒らした犯人を、捕まえて差し出すことを要求した。朝鮮人の帰還は一応始まったものの、遅々として進まず、全員帰ることもなかった。

2015-03-15 12:04:30
イヌノオー@ @inunohibi

犯人は、偽者を送ってごまかそうとした。朝鮮側もごまかしには気付いたようだが、これ以上話をこじらせないために、国交回復を決めたという。日韓関係の悪化に伴って、日本と朝鮮が善隣友好関係を結んでいた時代、江戸時代の朝鮮通信使などに注目が集まるようになった。

2015-03-15 12:05:18
イヌノオー@ @inunohibi

ただあれは「妥結」であり・・・、あれから何か学ぶとすれば、「妥協しよう」ということになる。

2015-03-15 12:05:40
イヌノオー@ @inunohibi

訂正。 朝鮮王朝の二つの要求は、謝罪の国書と、王陵を暴いた犯人。 謝罪の国書、犯人は対馬の宗家が偽造して切り抜けた。 朝鮮使節の目的の一つは、捕虜・民間人の帰還。

2015-03-15 12:22:16
イヌノオー@ @inunohibi

江戸時代に対馬は、もちろん徳川幕藩体制を構成する日本の国だったが、朝鮮は秀吉の朝鮮侵略以来、鎖国みたいな姿勢を取っていた。徳川幕府から朝鮮貿易の独占を認められた対馬藩は、朝鮮に対しては臣下の礼を取ることで、貿易を認めてもらった。

2014-11-27 21:17:52
イヌノオー@ @inunohibi

参考文献 姜在彦「歴史物語 朝鮮半島」、「歴史・環境・文明 環」23号。

2015-03-15 12:23:52