源平合戦と中世考~「平家勝利のIF」「あの時代のチート武士」「なぜ日本史は『身代金』が無いか」など【地雷魚氏を中心に】
- gryphonjapan
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@Jiraygyo というよりは「隣町のヒャッハーが襲ってきたら、京都の神人僧侶より近所の極道」という思想が京都の力の及ばぬ辺境で共有されて行ったように思います。 神仏ではなく、武力と武力を背景にした統治が必要とされた、と
2015-03-31 12:45:33@Jiraygyo その後を継いだ足利幕府の兄弟は、政治と戦争の役割分担が鎌倉兄弟とは逆だった気もしますが、結局は兄弟喧嘩して、やっぱり兄が勝ちましたねw 鎌倉のリピートのように見えた記憶があります('ー')
2015-03-31 12:51:14@Izumi_asato @Jiraygyo じ、寺社というのはこの場合京都にいる「国家が安定し繁栄しているのは俺たちが祈祷してやっているおかげ」というお偉いさんで 末端の僧兵はまた別の話でしてえーとその なんで寺社が治安の不安定化に貢献しているのおかしいでしょ(バンバン
2015-03-31 12:51:59お寺は燃やす為にある RT @Jiraygyo: 昔……「お寺を焼くなんて平家はとんでもないやつだ!」と思っていた時代もありました…… RT @Izumi_asato: @shin_semiya @Jiraygyo 東大寺のトップが伊勢の領地でもめて結果平家に焼かれてましてね
2015-03-31 13:34:41@Jiraygyo @Izumi_asato 「おんじょうじ」に「みいでら」と読みづらい名前で私を苦しめました 新田義貞に攻められたときに橋を落としたら「卒塔婆を立てるも橋を作るも功徳は同じ!だからOK」と言って外にあった卒塔婆を橋にして敵が突入してきたというエピソードが好きです
2015-03-31 13:36:332016年追加
丸島和洋氏「大阪落城など、戦国期の『乱捕り』事情」
蜂須賀家が作成した『大坂濫妨人・落人改帳』というものをめくっていたのですが、なかなか生々しいです。いわゆる「乱取り」「乱妨取り」と、「落人狩り」の「捕獲者」リスト。生国や性別、年齢が書いてあり、子供が多い。中には紀伊出身の者も・・・これはひょっとしてと思って読み進めました。
2016-02-16 00:15:55いましたねぇ2人。 「一、女壱人 真田左衛門佐鉄砲之者女房之由申候」 「一、男壱人 生国紀州之者、真田家中ニさうり(草履)取仕居申者之由候」 信繁の鉄砲衆の妻と、草履取りが乱取りされています。他にも、長宗我部、大野といった人物の名が散見。興味深いですね。
2016-02-16 00:19:01蜂須賀家の「成果」。乱取りした男82人、女99人の合計177人。一方落人狩りの成果は5人(とその家族)。落人であるためか、こちらは名が記されます。中には7歳の子供も。日付けは慶長20年6月12日。約1ヶ月後に作成された報告書です。
2016-02-16 00:28:46リストは乱取りした人物の名前が最初に書かれ、続いて「乱取り・落人狩りの成果」が記されます。性別・生国、そして子供なら年齢。どういう身分のものだったか。乱取り対象の名前は一切記されません。彼らは売買される「モノ」であるという過酷な現実が窺えます。
2016-02-16 00:22:59信繁が「真田日本一の兵」と島津氏に讃えられたのが6月11日。その翌日に作成された報告書ということになります。華々しい活躍の影に何があるのかを教えてくれる史料でしょう。これをみると、阿梅は乱取りされたのだな、と改めて確信します。
2016-02-16 00:35:12昨日つぶやいた蜂須賀家の「乱取り」「落人狩り」報告書の話。これって、蜂須賀家がどれだけの成果を上げたかを調査させ、把握してたってことになりますよね。「落人狩り」は分かります。残党討伐ですから。でも「乱取り」は女子供や中間が被害者。それを把握しようとしていた。
2016-02-16 13:26:56戦国期を考えても、武田信玄は志賀城攻めでの「乱取り」被害者について、甲斐に親族がいたら名乗り出よとお触れを出し、「売り飛ばされたくなかったら身代金を納めろ」と命じています。上杉謙信も、小田城攻めに際し、人身売買の公定価格を定めている。「乱取り」には組織的な側面があったといえるか。
2016-02-16 13:28:46うむ?「日本史って『身代金』が出てこないねえ」と話してたのだった。 togetter.com/li/801946 「戦乱の中拉致」「買い戻す」は将や貴族階級で例は少ないけど非戦闘階級ではあった、とかでしょうか?QT @kazumaru_cf 「乱取り」には組織的な側面があった
2016-02-17 08:30:20敵対した陣営の間で人質(捕虜)をし合う、というのは少年時代の家康や、その家康の妻子を、石川数正が捕虜にした今川方と交換…ってあったか。 @kazumaru_cf
2016-02-17 08:32:52高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』でもこの話題が出てたな twitter.com/gryphonjapan/s…
2016-02-17 09:29:11ほう、メモメモ @masaeiyamagata 高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』でもこの話題が出てた
2016-02-17 09:41:49@gryphonjapan 今、読み返してみたんだけどちょっと違いました。過去の日本社会では紛争解決の際、「賠償」という方法をとるという発想がほとんど無かった、みたいな話でした。
2016-02-17 09:49:33まあ、それも似ていて興味深いですよ。 @masaeiyamagata
2016-02-17 09:55:30