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インターネットで発達した共感文化「わかる」の危うさ

共感できるかどうかを重視する風潮を感じるこの頃。 「わかる」の危うさについて、捕捉できたツイートをまとめました。 (意見をある程度個人ごとに並べているので時系列ばらばらです。)
心理 言葉 わかる SNS 共感
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雨宮まみ @mamiamamiya
ずっと気になってるんだけど、最近エッセイって共感できるかできないかだけで読まれているようなところがあって、その風潮がものすごくいや
雨宮まみ @mamiamamiya
@mamiamamiya 共感は人の心をつかむ大事な要素だけど、少しでも自分からずれると「違う」となるんだったら、読めないものが多すぎると思う。でも、共感ベースのエッセイの方が求められるし、共感を頼りにしないエッセイは減少してると感じてる
雨宮まみ @mamiamamiya
@mamiamamiya 「雨宮さんってこれからどういう立ち位置に行くつもりなんですか〜?」って聞いてくるやな奴いるけど、要するに共感ベースの世界でお前は結婚/未婚、非モテ/モテ、貧乏/リッチ、どれを選んでどういう層の共感を得て商売してくの? と聞きたいわけだよね
雨宮まみ @mamiamamiya
@mamiamamiya 自分の不自由に対するストレスを晴らしたい、やりきれない気持ちをなんとかしたい、そういう切実な気持ちで読まれるものになったからだと言うこともできるし、一概に悪いことだとは言えないけれど、人間はコンテンツじゃないから変わるわけで、同じ共感を供給し続けられない

 

yuco @yuco
自分には到底できない・なれないような豊かな生活や冒険的な生活やあるいはインテリだったりモテモテだったりする人の生活を描くエッセイとか、結構好きだったしそういう人のブログも読んでいたけど、ああいうのは上から目線とか言って不快に思う人が多いのかもしれないなあ。
yuco @yuco
自分の人生でできることは限られているからこそ、絶対ああはなれないという人の生活を文章でも覗き見するのって楽しいと思うんだけどなあ。その人を叩いたり否定しても自分の生活がよくなるわけでもないし。
yuco @yuco
ブログを書いて、twitter検索などで感想を見るときも、ここ数年とくに「わかる」とか「共感」的なコメントが多いなあと思っていた。他人の意見として受け取るよりも、「自分が言語化する手間をかけられないから、他の人が書いたもので自分の気持ちにしっくり来るものをSNSで紹介する」的な。
yuco @yuco
昔は誰か気に入った人のブログを、その人のキャラクターを把握した上で継続して読んでいたと思うが、最近はSNSでたまたま流れてきた1エントリが自分の気持ちにしっくり来ると思ったら、それを書いた人がどんな人か興味もないけど自分の気持ちとしてフォロワーに紹介する、的な感じ。
yuco @yuco
「他人の書いたものも自分の気持ち」というのと、「自分の当たり判定が広い」というのに共通する何かを感じる。 twilog.org/yuco/date-1501… 以前このへんでちょっと触れた。RTした西森路代さんの「そんなことしてたら世の中自分だらけやで・・・。」というコメントが好きw
yuco @yuco
自分のスマホやパソコンの画面で読むものは、紙よりもパーソナルに受け取りやすいのかもしれない。自分の気持ちが書いてある、とか、自分のことが書いてある、とか。

 

r i o n @ri_on0044
「ずっと思っていたけど上手く言葉にできなかった事」を「誰かが言葉にしてくれた」から「共感する」という感覚はよく分かる。ただ、「だからこの人は私(と完全に同じ事を考える人間)だ」と結論づけてしまうのが問題。
r i o n @ri_on0044
「共感した」=「この言葉を言った人は私(と同じ)だ」と結論づける事を繰り返す事で、「自分自身」は強固になっていくけれど、「他人」と出会う事はどんどん難しくなる。自分と他人の間にある違和感、気持ち悪さ、理解不能な事と「出会えなくなる」。そしてそういう存在を「嫌い、憎むようになる」。
r i o n @ri_on0044
自分と他人は圧倒的に違うからこそ面白いんだけどな。でもそう言えるようになるまでに、散々他人を嫌い、憎んできた人間がここにいるので、他人の事を言えた立場ではない。
r i o n @ri_on0044
「これは私のことだ」と感じられる作品や、誰かの言葉との出会いは素敵だと思う。でもそこから「私のことはこの人が言ってくれる」→「私のことはこの人が考えてくれる」→「だから私は私について考えなくても、この人に任せればいいのだ」となるのが怖い。「私について考えられるのは私だけである」。

 

ayammin @ayammin
私はあなたではないから、あなたの期待する通りに発言することはできないし、あなたの考えを代弁することもできないのですよということをご理解いただけないことは結構、多い。
ayammin @ayammin
私が書いたり話したりできるのは、自分の思うことや考えることだけ。もし仮にそれが他の方の思いと一致したり共感いただけるとしたら、それは嬉しいことだけど、そこに誰かの代弁者としての役割を求められても困るのです…。
ayammin @ayammin
「Aさん最高!こんな素敵な人に初めて出逢った!一生付いていく!」 →「Aさんなら当然こんな時こうするよね?私わかるの!」 →「なんでこうしないの?Aさんなら絶対そうするはずなのに、どうしちゃったの?」 →「もうあなたは私の知ってるAさんじゃない!みんな聞いて!Aさんて酷い人よ!」
ayammin @ayammin
こういうパターン twitter.com/ayammin/status… は、ネタみたいに見えるけど結構よくあるわけで。
ayammin @ayammin
自分の代弁者としての役割を誰かに勝手に求めて 「あなたの意見は素晴らしい!」と手放し絶賛し、急に距離を詰めて溺愛してくる方ほど、何か一点でも自分の意にそぐわないことを言うと、その意見を変えるよう執拗に要求し、応じないと突如激しい人格攻撃や誹謗中傷に転じてくるんですよね…
ayammin @ayammin
たとえば、ある人の福祉分野の考え方には大筋同意するけれど、その人の政治分野の考え方には全く同意できない、といったことはよくあること。ツイッターなんかでは特にそういうのが可視化されてくると思う。そこでフォローを外すのも自由だし、あえてそのままにしておくのも悪くない。
ayammin @ayammin
ある分野での考え方が根本的に違う人とは、「考え方が根本的に違う」という事実をお互いに許容できてさえいれば、考え方が違うことそのものは付き合う上で何の支障もないのだけどね。(もちろん許容できない例もある)
桂木裕【光子力ビーム】 @mayakima
「共感」の周囲で最近とくに思うことは、「他者の意見に対しての選択肢が全身全霊の共感と全身全霊の反感しかない」の「しかない」ことの怖さ。これも、いわゆる0か100かしかない思考パターンの顕著な現れ方なのではないか。
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コメント

YN,RedQueen @yn_redqueen 2015年4月5日
「それ、わかるわー」とシンパを感じるのは理解できるが、ちょっと前まで崇拝していたものをいきなり憎悪しだす感覚は理解できない。カルシウム不足かな? B!
天婦羅★三杯酢 @templa_3 2015年4月6日
すみません、メタ的ネタを言ってしまいましたm(__)m。 ここでまとめられている現象はまさに「思考のアウトソーシング」、あるいは「出来合のおかず買ってきました」という、分業的資本主義社会の究極なのだろうなと思います。
小島愚鳩 @KojimaGubato 2015年4月6日
どうでもいい事ですが、ネットで良く使われる「わかる」と「それな」は嫌いです
DARL @DARL_Japan 2015年4月6日
KojimaGubato わからなくもない。自分も「www」が嘲笑の意味合いが強かった時代を知ってるので、他人が使ってるのを見るとあまり好きではなかったんですが、割と最近慣れました。そう言う言葉も、10年生き残れば慣れる模様。(爆)
小島愚鳩 @KojimaGubato 2015年4月6日
DARL_Japan wや草は笑いの記号として刷り込まれてしまったので、嫌な思いはないです。ただ「わかる」や「それな」はなんだか偉そうに分かったような態度を取っている光景が思い浮かんでしまって嫌なんですよね
岡一輝 @okaikki 2015年4月6日
分かり合えない事を笑いとばすくらいでちょうどいいんだよなあ。松鶴家千とせ師匠は偉大である。
超絶怒涛大魔王リケリケ @Rike_rike 2015年4月6日
なんか論点が違うけど、私にとっての「共感」は「私が言いたいことが(大体)形になっている」ってことかな で、最近はその「共感」ばっかりで自分の言葉で意見とか言ってないなぁ…って思う まぁ意見って言っても言いっぱなしで、言い逃げみたいなものなんだけど、どれだけの人に共感されたかの指数(はてなスターとか)を見て満足していたな…
m.i. @L_z_m_i 2015年4月6日
自分も、ツイートの大半が「俺の代弁してくれてる!」系のRTだったり(自分の言葉をあまり言ってない)、長めにお付き合いしていた相手でも一つ思考の合わない所があるとすぐに関係を切ったりしていたようなこともあったりで、やっぱりそんなことばかりやってると自分が退化や損をする一方ですね・・我ながら
m.i. @L_z_m_i 2015年4月6日
エッセイの例のように違う世界や価値観の人の読み物やお話などにしても、やれ上から目線だリア充この野郎だとかばかり言って忌避やアンチしてばかりいては、やはり人として視野は広がらなさそうですね
wanabi @otakushine37564 2015年4月6日
オタクは白痴だから、自分の頭で考える事が出来ない。
へぼやま @heboya 2015年4月7日
フィクションに対しても、「分かる(=共感する、泣ける、感動する)」すなわち「名作」で、そうでないと「駄作」みたいな判断する人居るよね。
十五夜 龍雅@VR記者(求職中) @ryuhga 2015年4月7日
いわゆる「SF的なモノ」がウケなくなりつつあって「日常モノ・学園モノ」へとジャンルがシフトしていくのも、結局は物語世界が簡単に肯定してくれて、自分を落とし込みやすく共感しやすいからこその勃興なのかもしれませんね 一言で言えば「わかる」で終わってしまうのですが…
ばじる@ADHD啓発月間 @Basil1127 2015年4月7日
「自分の頭でものを考えない人が増えた」のかどうかはわからない。ネット以前からTVで流れるコメントに「そうよねぇ」「やだわぁ」とだけ言う人、雑誌に書いてあったことを自分の意見みたいに開陳する人(まぁコピペである)はいたと思うし。ただ、可視化され残るようになったことで濾過され全無思考みたいになりやすくなったというのはあるのかも。
ばじる@ADHD啓発月間 @Basil1127 2015年4月7日
自分の思考は所詮他者の言葉のモザイクでしかない、と自覚することは必要。自分以外の誰かも同じであって、同じ色のところもそうでないところもあるという話なのだよね。以前なら発せられることのなかった「そーだよねー」「わかるわかるー」が、ネットによって発信“できてしまう“今、“いいね色“や“それな色“という単色が目立って異様な感じに見えてるってことなんだろうな。
smw @Shi_MeiWo 2015年4月7日
具志堅用高「ちょっちゅね」
Hoehoe @baisetusai 2015年4月7日
この人達は今まで「共感」をどのように捉えていたのだろう
ハドロン @hadoron1203 2015年4月7日
「わかる」は理解できるって意味で、別に共感してる訳じゃないだろ。お付き合いで言ってるだけなのに、いつから共感してると勘違いした?
cinefuk 🌀 @cinefuk 2015年4月7日
SNSで「わかりあえる」人同士が相互接続され「わからない」人と分離してしまうのは危険。濃縮された末に僅かな差異を見付け「お前は味方だと思っていたのに裏切り者!」と断罪するケースも。違う考え方も担保しておきたい
石津五郎 @hagure141207 2015年4月7日
人間なんて孤独なもんで誰かと判りあえるなんて所詮幻想なのさ(-。-)y-゜゜゜
taka @Vietnum 2015年4月7日
具体的に何がどういいかを自分の言葉で書けないから「共感できる」って言ってるだけで、それはなにをみても「カワイイー」とか言ってる女子や、すぐに「すごかった(゚Д゚)!」と答える中学生のインタビューとなんら変わりないんよ。
犬山しんのすけ @shinnosuke_inu 2015年4月8日
単に「あるある」を共有してるだけの事も多いかも?でも、あるあるネタをまとめて出版したら売れるかな?そうだ、ビジネス書の装丁でカタカタと漢字のタイトル付けて、アスキーから出そう!......アレェU*゚▽゚*?
四条あき @Aki_Shijou 2015年4月8日
人間皆平等教育の弊害が……!
3mのちくわ(20禁) @tikuwa_zero 2015年4月8日
わかる(お約束)。「みんなそれぞれ違う」「人間は本質的に感情を優先する生き物」という前提がないと、しばしばこういう過ぎた共感性が問題になりがちよね。ただそこまで行かなくて、単にコミュニケーションツールの一つとしての「(お約束のような)わかる」という浅い共感もあるので、あんまり気にしすぎても仕方ない。
よーぐる @Seto_yasu1987 2015年4月8日
オイラにぐっさり刺さるまとめでした、自分で表現する努力してないもんなあ・・・
ぱいろ🔲@寒露 @Pyro_VR 2015年4月8日
>「他者の意見に対しての選択肢が全身全霊の共感と全身全霊の反感しかない」 その人の中で本当に「しかない」のかはわからんけど、簡易な言葉を簡単に投げ込むことができすぎるよね。「神!」or「死ね!」で、その人が本当に抱えてるはずの複雑な感情はそこに全く現れていない。
たろ @kuroitomaru 2015年4月8日
「人は多面体で、自分から見えるのは常にその一部だけ」ってのは常に頭の片隅に持つようにしてる。だからこそ他人との共通項が「あるある!」って楽しめてるとこあるし。
yajul @yajul 2015年4月8日
奇しくもネットの発達で自分の目に見える世界が逆に閉じていく、というのは大いにある。その一方で、「わからないものを丁寧に解説されることでファンになる」と言った経路はまだたくさん残されていると思う。
クソダサ英字プリントTシャツマン @nobocchinolife 2015年4月8日
このまとめそのものに「分かる分かる~」という反応があるのを見てつい笑ってしまう
うすらカバ2号機 @usurakaba2 2015年4月8日
このまとめには同意だが、ブロック&ミュート三昧のtwitterは、自分がお仲間とみなしたものだけとつながっていくことがシステム化されているだろう? このtogetterなんかひでーぞ。まとめなのにちょっとでも違う意見を述べたら即ブロックする奴とかいるし。無理なのでは?
ぼんじゅ〜る・Fカップ @France_syoin 2015年4月8日
みんながみんなSNSで発言するから目立つだけで、こんなの最近に限った話でもないよなぁw
どうぐや🍠 @1098marimo 2015年4月8日
「SNSは共感と殴り合いのツールである」byだれか
どうぐや🍠 @1098marimo 2015年4月8日
冒頭で出ている「ただ共感を求める人」は、SNSがなくとももともとそうであると思うので、問題とは思わないかな。本も共感できるもの以外マトモに読まないと偏見してる。問題があるのは二次的に情報発信する下位表現者の方で、言語化を怠るとRTbotと見分けがつかなくなるし、それは実社会でも伝聞でばっか話すようになっていくだろう。恐ろしや……。
古釘列車 @ful_rec 2015年4月9日
共感は大事でしょ。ただ言いたいのは、自分と同じ境遇の人に共感しちゃうのはぶっちゃけ当然だと言うこと。OLがOLの日常に共感するのも、漁師が「漁師あるある」に共感するのもなんにも凄い事はない。自分と全く違う世界・違う思想の中で生きている人の考えに対して“わかる”ことこそ、共感の真の価値だと思う。今は前半分ばっかりで後ろ半分が足りてないということではないかな
トレ(仮営業中) @tolerance_18 2015年4月9日
わかる(テンプレ) 「わかる」「それな」系の共感ツイートは「形にならない俺の考えと一緒!素敵抱いて!」以外に「自分の感想出すのは恥ずかしい、よし似てるこの人の感想を『わかる』付けて出そう」とか「特に何も思わないなぁ、でもタイムラインに来たし反応しとこう」って意図もあるんじゃないか。発言の文言をそのまま発話者の真意と取るのはあまりにも純朴すぎる。「うんこなう」がみんながみんなうんこしてる最中に言ってる訳じゃなかろう。
トレ(仮営業中) @tolerance_18 2015年4月9日
あともう上で出てるけど、ネットの発達は「発信元になんか言いたいけど言葉にできない層」が簡単に共感の言葉をぶつけられるようになっただけで、ネットが無くてもそういう人達はテレビや新聞や集会や芝居小屋に「わかる」「それな」って言ってたと思うよ。
にれ ななき @nire7th 2015年4月10日
表現や受け取り方を記号化していくと、表面上は簡単に共感できるようになるけど、同じことにきちんと同じ内容で共感をしているとは限らないケースも増えていくわけで
でぶってる @zettaidebu 2015年5月14日
>的な感じ。 >共「感」するという「感」覚はよく分かる。 >「これまでの私を肯定してくれる」感 >「生きててよかった」感 >「こんな僕でも生きてていいんだ」感 感の乱用は気持ち悪い。 「落とし込み」も嫌い。 でも良いまとめ。
進士助平 @tamacoropon 2015年5月14日
特にネットは身内で固まりやすいからな。たまにはリア充のツイ垢を見て死にに行く覚悟も必要。学生時代の僕らは毎日間近で見せ付けられて死んでいたのだから
evacuated_man @evacuated_man 2015年8月23日
例えば子育てや福祉の場面や、辛い事を抱えてしまった人がいる時は、受容と共感が求められる。 けれどそれを、一人ひとりが意見や感想を述べる場面でも求めてしまうのがまずい。 共感も、意見や感想を述べる事も、お互いに尊重すべき権利があることを自覚するのに必要だけれど、実践においては相反するように感じる。 場が混同してしまわざるを得ない状況が問題なのでは。
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