【開棺】中尊寺金色堂学術調査65周年語り【調査】~第四夜~ 泰衡の首と蓮の話
- ou_fujiwara4
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季春「博士は伝基衡棺、実は秀衡棺の稗殻に注目しています。昨日、秀衡棺内には稗が詰められていたとの江戸時代の記録を紹介しましたが、これは副葬品の枕に詰められていたものが枕の糸が切れて棺内に散らばったものでした。稗は最初は殻ではなく澱粉を含んだ種そのものだったようです」
2015-03-25 23:15:13蓮の花の開花
経清「結局、蓮の種は大賀博士の門下生である長島時子氏により再び開花実験が試みられ、1993年に発芽、97年についに開花した」 季春「その開花実験の論文が公開されています」 ci.nii.ac.jp/els/1100004832…
2015-03-25 23:18:34季春「泰衡様の蓮が八百年の時を経ても開花した理由はこう書かれています。 『形態学的には果皮が非常に堅く,水分やガスをほとんど通さないことである.成熟後10 年前後で呼吸はほとんど行われなくなり, 休眠状態となって生命を保ったものと考えられる』」
2015-03-25 23:24:29季春「『棺内の中にしっかりしまった首桶が納められており,その首桶の巾にハスの実が800年の間休眠状態で保存されていたことになる .金色堂および棺に覆われており,温度およ び湿度の変化がきわめて少なかったのではないかと考えられる .』」
2015-03-25 23:28:17長島博士の講演を聞かれたことのある方から情報をいただきました。
@ou_fujiwara4 中尊寺ハスの特徴(長島先生のお話より) 葉の表面を触ってみると、半分くらいまでツルツル、後の半分はザラザラしている。これが中尊寺ハスの葉の特徴
2015-03-26 22:08:39経清「なぜ、誰が蓮の種を入れたのかはわからない。ただ、<泥中蓮>という言葉があるように、蓮は穢れた泥の中から茎を伸ばし水面に美しい花を咲かす。穢土に生まれて浄土で咲く花だ。そして<一蓮托生>、死後、浄土で同じ蓮の華の上に生まれ変わることを願う言葉もある」
2015-03-25 23:30:24経清「このように蓮の持つ象徴的な意味を考えると、首桶に種を入れた者の思いも分かるのではないかと私は思うよ」 季春「そうして長島博士の手で開花した蓮は、中尊寺に戻され今では金色堂裏手の池で見ることができるわけです」
2015-03-25 23:34:05経清「あの震災の後は、紫波の比爪や江刺,秀衡街道沿いの西和賀,阿津賀志山の合戦があった福島県国見町となど、平泉に縁がある場所を中心に東北各地に株分けされた。金色堂で祈りを捧げられ、八百年の時を経て蘇った花に鎮魂と復興の思いを託したのだろう」
2015-03-25 23:38:08【訂正】
上記で上げた地のうち、比爪に中尊寺蓮が株分けされたのは東日本大震災よりずっと前の2002年であるとのご指摘をいただきました。また、福島県国見町に中尊寺蓮が株分けされたのも2009年のことでした。ここに訂正します。
@ou_fujiwara4 平泉から五郎沼へ「古代蓮」の株を譲り受けたのは、平成14年(2002)5月28日です。 平泉・中尊寺から「平泉ハス」が紫波町・五郎沼に株分けされて、里帰り! 写真は平成14年(2002)6月17日撮影 pic.twitter.com/2r7GGMjQgx
2015-03-26 22:07:54安らかであるように
経清「さて、今夜も終いの時間だ。最後に、泰衡の首を最初に取りだした時に調査団の人が抱いた印象を『中尊寺』から引用して終わろう……泰衡も本当にいろいろあっただろうけど、こういうことになっていて……私はそれで充分だと思う……」
2015-03-25 23:41:41経清「『(泰衡の首に残る傷の描写割愛)まことに惨たらしい。それでいて表情には無念な様子はみじんもない。穏やかなものである』(251p)」
2015-03-25 23:45:49