- okura_mikura
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パウル・カレルの著作が学術的な研究の典拠としては使えないと大木先生が述べているのは、単に元ナチス高官で偏向しているからではなく、カレルが偏向というレベルを超えて後世の人を欺く明確な意図を持って嘘をついているから、そしてどこまでが嘘であるのかわかりえないから、だと思いますよ。
2015-05-23 21:34:57単に著者のバイアスなら史料批判によってどこがどれくらい偏っているのか、逆にどの記述は客観的なものであるかある程度まで読み解くことができる。しかし意図的に嘘をつかれるとこれは極めて困難になってしまう。
2015-05-23 21:35:53自叙伝や回想録の類はやはり「意図的な嘘」が混じる蓋然性の高い史料であるけれど、当事者しか知りえない情報が含まれているから無視できない、だから慎重に史料操作と史料批判を経たうえで利用することになる。でもカレルの著作ってそういう性質の史料じゃないでしょう?
2015-05-23 21:38:11それと大木先生も記事中で触れているけど、カレルは自らの取材資料を一切公開していないので記述の典拠が全く確認できない。インタビュー(対面または書簡によるもの)、オーラルヒストリー、関係者から提供された私文書など、公刊されていない史料を利用して本を書いた場合
2015-05-23 21:38:24その史料は原則として公開されなければならない。大木先生の記事ではコーネリアス・ライアンの例が挙げられているけれど、欧米の戦記作家・ジャーナリストはまじめに取り合ってほしい内容の本であればそういう努力をしている場合は多い。
2015-05-23 21:39:02わたしがグローリアスの沈没について参照した主要資料はロスキルとウィントンだけれども、二人とも自らの取材資料(インタビューの録音と書き起こし・関係者との往復書簡)はすべてケンブリッジ大学チャーチル・アーカイブに寄贈して公開している(いや、わたしはもちろんそこまでは見てませんよ!)。
2015-05-23 21:39:22それを代替する(より確実性のある)史料が数多くある中で、どこまでが事実なのか全く辿れないパウル・カレルを典拠として利用するべきではない、そういうことでしょう。
2015-05-23 21:39:55歴史書にはみんな偏向があるんだからパウル・カレルだけ特別扱いするのは云々という「反論」が原則が全く分かっていないという点で一番筋が悪いと思うの…
2015-05-23 22:05:14つらいっすね。テオドール・モムゼンが「信用に足らない史料という言葉では足らない。歴史の汚水溜めである。」とまで酷評した捏造と誤りに満ちた著作が、ほぼ唯一の現代まで散逸せず生き残った通史であるという悲劇…。
2015-05-23 22:19:22でもそれしかないからとりあえず、政治史についてはスタート地点は「ヒストリア・アウグスタ」(邦訳題は『ローマ皇帝群像』京都大学学術出版会)に依拠せざるを得ない。そっからは碑文史料が中心になっていくとしても。
2015-05-23 22:23:06「ヒストリア・アウグスタ」は6人の著者が分担して書いたとされ、それぞれ名前もわかっており各章の冒頭に担当の著者名も挙げられているのだけれど、まったく他で知られていない名前で恐らく捏造。6人で書いたというのも怪しく文体の特徴から実際には単独の著者が書いたのではないかと疑われている。
2015-05-23 22:35:36成立年代も書中ではコンスタンティヌスへの献辞がささげられていたりするのだが実際には100年近くあとではないかとされている。「真の著者」はどうも「古くて権威のある本を再出版した」というかたちでこの本を世に出した可能性があったりする。
2015-05-23 22:38:06en.wikipedia.org/wiki/Augustan_… 英語版ウィキペディアでは、一番長いセクションが「偽りの実例」(Examples of falsehood)で占められている、という事実がこの本の実情をよく示している。
2015-05-23 22:43:47