《パウロ・フレイレ「被抑圧者の教育学」を読む》のメモ

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tu-ta @duruta

フレイレは伝統的な教科書や教師を否定。必要なのは教師ではなくコーディネータ。教科書に代わる学習プログラム。それは「生成語」もしくは「生成テーマ」と呼ばれる語もしくは主題と、それをコード表示した一連の視覚教材。《「被抑圧者の教育学」を読む》168p

2010-12-29 00:45:57
tu-ta @duruta

フレイレはプログラムの準備を5段階に分けて説明。1、当該集団の語彙の調査。日常の会話のなかで使われる語彙を採集。2、一定数の生成語を選択。どのような文脈でその語彙が使われるかを分析し、語彙の相互関係を考察しながら、話者たちにとってもっとも重要な語彙を選び出す(つづく

2010-12-29 00:50:34
tu-ta @duruta

続き)そこで選び出されるのが生成語。二つの意味で「生成」的であることが求められる。第一に議論を誘発しやく、より広く深い文脈の下で現実を洞察することを可能にするという意味において生成的であること。第二に音節構成においても生成的であること。(音節が生成的というのが(続く

2010-12-29 00:55:50
tu-ta @duruta

続き)ぼくにはもう一つ不明。説明は少しあるのだけど)。第三段階は「コード表示」をつくる作業。場面の絵表示。クリアで奥行きのあるイメージを喚起するために、しばしば画家や写真家がこの作業に参加。第四段階は、学習日程の作成。しかし、順守すべき厳格な日程であってはならない。(続く

2010-12-29 01:00:10
tu-ta @duruta

続き)第五段階は、音節を分解したフラッシュカードの作成。準備は以上。 『被抑圧者の教育学』3章の末尾でフレイレはこれとは別に「文化の概念」についての十枚のコード表示を提案。『伝達か対話か』の巻末に絵と解説全文が掲載されている。《「被抑圧者の教育学」を読む》168-173p

2010-12-29 01:05:46
tu-ta @duruta

真にその名に値する教育とは、AがBのために、ではなく、また、AがBに対して、でもなく、AがBとともに、世界を仲立ちしておこなうものだ。《「被抑圧者の教育学」の里見訳》から(前掲書173p)

2010-12-29 01:23:10
tu-ta @duruta

町場や野良で働く労働者の多くはコロニアルな生活世界にどっぷりと埋没して生きていて、生まれながらの世界に…へその緒でつながっている。…預金型教育の常識を踏襲して、そういう人びとに自分たちが勝手に決めたプログラム内容の「知識」を施したり、理想の人間像を押し付けても、…届かない174p

2010-12-29 01:30:04
tu-ta @duruta

「革命的ヒューマニズムを信奉する教育者にとっては、活動の対象は自他の力によって変革されるべき現実であって、労働者や農民ではない」《「被抑圧者の教育学」の里見訳》から(前掲書174p)これって、障害の社会モデルにもつながってる。

2010-12-29 02:57:48
tu-ta @duruta

フレイレの「…活動の対象は自他の力によって変革されるべき現実であって、労働者や農民ではない」が障害の社会モデルとつながっていると思って検索したら、中西正司さんの2009年度に書いた修士論文が出てきた。http://bit.ly/fPmNuo あんなに忙しいのに修論。びっくり

2010-12-29 03:07:07
tu-ta @duruta

再びフレイレ読書メモに戻る==残念なことだが、革命運動のなかで民衆の支持を得ようとしている革命指導者たちも非常にしばしばこの種の垂直型教育プログラムのわだちに嵌り、預金型教育の「筋書き」を惰性的に再現している==《「被抑圧者の教育学」の里見訳》から(前掲書174p)

2010-12-29 04:17:15
tu-ta @duruta

かれらの基本的な目標は民衆とともに、その奪われた人間的尊厳の回復をめざしてたたかうことであって、民衆を「征服する」ことではなかったはずである。(『被抑圧者の教育学』の里見訳から、前掲書175p) 恥ずかしくなるくらいにストレートな表現だが、こういうのが必要なんじゃないかとも思う

2010-12-29 04:23:12
tu-ta @duruta

『被抑圧者の教育学』の里見訳には毛沢東を引用した注も訳されている。そこには、変革が客観的に必要でも、人びとがその必要性を認識しないときは、待たなければならない、という話、人びとに代わって決断してはいけないという話が記載。言い古された話ではあるがいつも喚起が必要な話でもあると思う

2010-12-29 04:29:29
tu-ta @duruta

民衆がいまもっている…世界像を無視して一種の「文化侵略」を行うなら、それが教育プログラムであっても文化プログラムであっても、よい結果が出ると期待すらだに愚かである。どんないよい意図に発するものであろうと文化侵略であることに変わりはない(『被抑圧者の教育学』の里見訳、前掲書177p

2010-12-29 05:02:52
tu-ta @duruta

事実の認識が、あたかもそれを認識する主体のたち位置や主観と独立に成立するかのように主張する科学主義は、「知る」行為やその上に築かれる知識を没人格化することによって「人間なき世界」を仮構しているにすぎない、と(フレイレ)は言うのです。《「被抑圧者の教育学」を読む》200p

2010-12-29 06:59:53
tu-ta @duruta

対話従事者に求められる倫理的資質、対話の基礎として、愛、謙譲、信頼、希望、批判的思考。フレイレが重要視するのは「愛する能力」。社会で重要視されるのは「愛される能力」。フロムが言う「与える能力」に限りなく近い。それは対等な関係が前提。《「被抑圧者の教育学」を読む》205-8p

2010-12-29 09:45:33
tu-ta @duruta

「人間性の核にまで踏み込めば私たちは同一である」という感覚、この連帯意識が兄弟愛を根底的に基礎づけている…。フレイレの言う「愛する能力」には、慈恵的に「与える」ことによって相手の自由を奪う「愛」への痛烈な批判がこめられて…。それを「愛」と呼ぶことを彼は拒否(前掲書209p)

2010-12-29 09:55:03
tu-ta @duruta

フレイレ:創造し変革する力はある情況のなかで否定されることがあるとしても、ふたたび盛りかえすバネを秘めて、いつか再生し、復活するのだ。…。この人間への信頼の気持ちを欠いたとき、対話は茶番となる。(『被抑圧者の教育学』の里見訳、前掲書212p)う~ん、祈りにも似た信頼だなぁと思う。

2010-12-29 12:39:25
tu-ta @duruta

《「被抑圧者の教育学」を読む》213pから:どんなに貶められ、どんなに「非人間化」した状態のなかにあっても、人間はぎりぎりのところで人間としての尊厳をとり戻していく存在である、という確信、それを人間への信頼と呼ぶとすれば、彼の言う「信頼」とは「希望」と同義のものであると考え…

2010-12-29 13:28:20
tu-ta @duruta

操作され、飼いならされた人間は、抑圧者の影を自分の内部に宿すことによって、みずからを非人間化する支配の構造をしばしば自発的に維持・再生産していく…。そうした支配の手口を、フレイレは「征服」「分割支配」「大衆操作」「文化侵略」という四つの側面から検討しています。(前掲書217p)

2010-12-29 13:40:44
tu-ta @duruta

革命政治が支配の政治をそのまま踏襲してしまうことが少なくない…。…それは革命とは名ばかりの支配政治の再編に堕していくことに…。革命はすぐれてペタゴジカルな過程でなければならないとフレイレが力説するとき、そこには革命の可能性への信頼と、その現実にたいする批判が(前掲書218p)

2010-12-29 13:48:39
tu-ta @duruta

フレイレは、革命の文化的・人間的次元を棚上げし、革命をたんなる権力の奪取にすりかえる思想に激しく反対します。革命は本質的に文化のたたかいであり、それこそが革命を革命たらしめるものである、というのです。《「被抑圧者の教育学」を読む》218pから

2010-12-29 14:09:18
tu-ta @duruta

「普通の人びとが思考することを革命家たちが拒否してしまうとすれば、彼ら自身が考えることをさぼっているということ。革命家たちの思考は普通の人びとの思考なしにはありえない。人びとのために、ではない。人びととともに、なのだ」フレイレ(前掲書220pちょっと改変)

2010-12-29 14:10:16
tu-ta @duruta

みずからが参加して「社会」をつくりあげるそのプロセスのなかでみずからの生を変えることは、21世紀を生きる私たちの人間史的な課題でしょう。いわゆる「社会主義」諸国家がグローバル資本主義の「現実」のなかに無惨に回収されてしまった現在…(続く

2010-12-29 14:15:27
tu-ta @duruta

続き)キューバ革命が追求した現実変革のヴィジョンは帝国の喉元に突き刺さる小骨でありつづけています。《「被抑圧者の教育学」を読む》227pから 「キューバ革命が追求した現実変革のヴィジョン」がどれだけキューバ社会に浸透しているのだろう。そのあたりがなかなか見えない。

2010-12-29 14:19:52
tu-ta @duruta

2010年の時点で…キューバ革命がともした変革の灯は…中南米の左派政権の成立…で大規模な規模で受け継がれ…。その意味でキューバ革命はいまも継続中…。しかしキューバ革命とは歴然と異なる新しい局面も現われています。(続く

2010-12-29 14:27:41
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