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"sati"の訳語「気づき」についてのやりとり

仏教語 sati の訳語「気づき」"mindfulness" についてのやりとりをまとめてみました。
人文 上座部仏教 ニューエイジ 世親 マインドフルネス 翻訳 気づき 仏教 テーラワーダ 唯識
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中村甄ノ丞あるある早くいいたい @ms06r1a
今の若い在家さんがやる瞑想なんかを重んじる仏教って、本来仏教用語ではない「気づき」とか、モロにニューエイジの言葉使うしなぁ。
ニー仏 @neetbuddhist
「『気づき』は本来仏教用語ではない」と主張するツイートを目にしたんだけど、あれは原語のsatiを(英語でmindfulnessと訳しているように)一般には馴染みのない「念」という漢語ではなくて、わかりやすい現代語に訳したというだけであって、その意味では普通に「仏教用語」ですわな。
ニー仏 @neetbuddhist
要するに、「気づき」を「仏教用語ではない」とするのは、かつて中村元先生が、パーリ経典を原意に沿いつつわかりやすい形で現代語訳して提示したのに対して、「聖典としての壮重さが無い」と批判した人がいたのと似たような話であって、それ自体としては、とくに根拠のない話であると私は思いますね。
中村甄ノ丞あるある早くいいたい @ms06r1a
twitter.com/neetbuddhist/s… あんまり大事な話やないので争う気はないけど、ニューエイジ用語のawarenessの訳語が本家のsatiの訳語に流用されてるっていうくらい意味で、awarenessが抑もsatiの英訳語ではあるんだけど、
中村甄ノ丞あるある早くいいたい @ms06r1a
「気づき」という言葉はニューエイジ用語だよなぁ、と。
中村甄ノ丞あるある早くいいたい @ms06r1a
だから本職の坊さんもバッチリ「気づき」って言葉使うんだけど、この「気づき」はsatiが直接訳された言葉でなく、ニューエイジ経由で訳されてて、当然ニューエイジのawarenessの感覚が含まれてるでー、っていうことで、これは日本の仏教が鳩摩羅什経由、漢訳経典経由だっていうのと同じ。
ニー仏 @neetbuddhist
最初の「仏教用語ではない」というご主張との関連は不明だが、ともあれawarenessにしても、上座部におけるsatiの解釈のされ方は正確に拾っていると思いますし、それを「気づき」とシンプルに和訳するのも間違いではないと思いますね。 twitter.com/ms06r1a/status…
ニー仏 @neetbuddhist
そもそもBuddhaという言葉自体が「目覚めた(人)」という意味なんで、こういうのにだって「ニューエイジ的」なニュアンスを嗅ぎとることは不可能ではないと思うけれども、そういう現代人の事情から原語の意義をごまかして訳すべきだと言われたら、それは「知らんがな」としか言いようがないな。
中村甄ノ丞あるある早くいいたい @ms06r1a
これは重要だからもっぺん書こう。satiをマインドフルネスとか気づきだとか言い換えたところで、何か説明したことになるかな? 寧ろ英語話者はmindfulnessと呼ぶことで、日本語話者は「気づき」と呼ぶことで、何かわかったような気がする、という効果しかないんではないかね。
ニー仏 @neetbuddhist
これについては英語と日本語の多くの仏教書で、両語が最も端的でわかりやすい訳語として選ばれている事実があるからね。それを違うというのであれば、あとは中村さんの satiの解釈を示していただいて、その当否を争うしかないんじゃないかと。 twitter.com/ms06r1a/status…
ニー仏 @neetbuddhist
私としては、mindfulnessはティク・ナット・ハンのような大乗の僧侶も普通に英語圏で satiの訳語として用いており、それが了解可能なものとして広く定着している現実がある以上、代替となる現代語での解釈・訳語を示されない中村さんの議論は、あまり説得力のあるものとは思われない。
ニー仏 @neetbuddhist
漢訳の「念」について、従来の一般的な解釈では拾いきれていない意味を、わかりやすい現代語で示そうとするのが「気づき」という訳語の意義なのであり、それは現実にある程度は成功しているように思われる以上、代替案を示さずにその用語に難癖をつける意味は、あまりないのではないかと私は思います。
ニー仏 @neetbuddhist
二点。まず第一に「sati を気づきやマインドフルネスと言い換えても説明したことにはならない」という主張なのだから、それは訳語の問題にもならざるを得ない。第二に「使われ方」の問題であれば、私はそれに続くツイートできちんと答えている。 twitter.com/ms06r1a/status…
ニー仏 @neetbuddhist
ただし、私は先ほど述べたように「sati を気づきないし mindfulnessと訳して伝えることは、日本語圏や英語圏において、ともに一定の成功を収めている」という立場だが、中村さんはそうはお考えでないようだから、そこは見解の相違として、これ以上の批判を述べるつもりはありません。
ニー仏 @neetbuddhist
当方の論点としては、中村さんの「『気づき』は本来仏教用語ではない」という主張に対して、「satiの訳語として、それを『仏教用語』と考えても構わないだろう」と指摘したまでであって、中村さんが「訳語としての妥当性」を争わないのであれば、私としてはそれ以上に言うべきことはありませんな。
kakuyu @southmtmonk
(satiの訳語について、以前気になるやりとりがあった覚えがありますので、ちょっと発掘中)

twilogにて "sati" の訳語をめぐるやりとりをdigってきました。

佐藤剛裕 @goyou
僕は、漢語を通過したために仏教の本質が日本に伝わらなかったというような議論に対しては懐疑的です。現代日本人が漢文をよめなくなってから言われ出したような話でしょう。
佐藤剛裕 @goyou
「漢訳仏典はサンスクリット語原典に比べると解釈がゆがんでいる」っていうようなことを言い出した近代のヨーロッパ式の仏教文献学者達は、当然、中世日本の学僧と比べるとはるかに漢文が読めないわけですから、その分は差し引いて話半分に聞いておかないといけないですよね。
佐藤剛裕 @goyou
それに、前にも書いたけれども、ニューエイジ系心理学の文脈で用いられている awareness の訳語としての「気づき」なんていういいかげんな言葉を、仏教の文脈に持ち込むのは好みではない。
佐藤剛裕 @goyou
@naagita気づき」という言葉は、ニューエイジや自己啓発などの文脈で曖昧に使われすぎちゃっているように感じています。だから、ヴィパサナーの文脈における念 sati については、そのままサティというカタカナ言葉を持ってきたほうが美しいのになと個人的に思っています。
nāgita #antifa @naagita
.@goyou いや、念(sati, smṛti )の解釈に関しては、北伝阿毘達磨の解釈に縛られすぎているので、パーリ・アビダンマの研究家も「気づき」使ってますよ。倶舎論の解釈を援用してパーリを読むような無茶苦茶が実際あったから。これは間違いなく、漢訳・梵語偏重の弊害。
nāgita #antifa @naagita
.@goyou梵語~漢文の流れを押さえておけば、パーリなんて余技で訳せるだろ、どうせ小乗だしな」という大乗系学者の傲慢な姿勢は最近まであったんじゃないの?
佐藤剛裕 @goyou
@naagita そういう傲慢さはあったと思います。結局、自分が依拠しているテキストを一番重要なテキストだということにしたくって、政治的なパワーゲームにしてしまうんですよね。部派仏教各派に始まって、現代の文献学者に至るまで。気をつけていないと、すぐにからめとられちゃう。
nāgita #antifa @naagita
購入迷っていた春秋社『パーリ仏教辞典』をコクーン・ブック1ストで立ち読み。sati 周辺だけ精読したが、正直ぜんぜん使えない。そこで「記憶」はないだろう。修行を知らない学問だけの人の訳語センスはやはり違和感ある。パーリ学やる人は一時出家くらい義務付けた方がいいんじゃないかな?
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コメント

kakuyu @southmtmonk 2015年6月14日
まとめを更新しました。
さばとぅん!📿卍 @sabakuzukago 2015年6月14日
後でよむ、こと出来るか?理解できるか?笑
コ口吉 @0icco 2015年6月14日
「法律用語でいうところの」「医学用語でいうところの」という前置きが必要な言葉は世の中にありますよね。慣れればその前提は意識しなくとも文脈から読み取れるという。仏教においても現代日本語に訳す時にそういう注釈が必要な用語が出てくるのは当然の成り行きだろうな、と門外漢なりに思いました。
kakuyu @southmtmonk 2015年6月14日
まとめを更新しました。まとめ作成後のtweetを追加いたしました。
佐藤剛裕 @goyou 2015年6月15日
ミャンマー、スリランカなど南伝仏教寄りの人は「『念』という訳語は北伝仏教の解釈に囚われている」と考えている一方で、真言宗、チベットなど北伝仏教寄りの人は「『気づき』という訳語はニューエイジ系の造語」だと感じている。これはお互い考えてみたほうがいいんですかね。
佐藤剛裕 @goyou 2015年6月15日
僕は英語圏の仏教徒が awareness, mindfulness という単語を用いることは妥当だろうと思うけれど、それを「気づき」という造語をあてて訳すこと自体に違和感がある。「念」という漢訳語に本来の意味を吹き込み直すか、サティという原語のカタカナ転写に説明を加えるほうがましだと思う。
佐藤剛裕 @goyou 2015年6月15日
南伝仏教・北伝仏教の間の差異のというのは、根本分裂まで遡る政治的なアティチュードの話だと思います。如来蔵思想は仏教か?みたいな話とよく似てる。それを教義解釈のレベルで論じても瑣末な話になっていくだけのような。
佐藤剛裕 @goyou 2015年6月15日
テーラヴァーダの人たちは、ニューエイジ的な訳語よりも北伝仏教的な訳語に忌避感を覚えるんだなとニー仏くんを見て思った次第。
kakuyu @southmtmonk 2015年6月15日
まとめを更新しました。@nanbashura @urushiharaken @madyapa808 @jiei_yushi @hakai_namagusa 各氏のツイートを追加させていただきました。
にるば @nirvanaheim 2015年6月15日
無心に単語を眺むるに、「気付き(きづき)」からは一回性の現象を感じますが、awarenessやmindfulnessは「気付いていること」であって「気付き」ではないのでは。
にるば @nirvanaheim 2015年6月15日
「気づいていること」「注意していること」「自覚していること」そして「憶えていること」ということで、採録された発言にあるように、意味的な連続性を感じますね。
にるば @nirvanaheim 2015年6月15日
「念頭にあること」「念入りになっていること」などと表現をずらしてみると、仏典漢訳者の仕事ぶりが分かってくるというものですね。
しるべすた @silvestacat 2015年6月15日
satiの意味合いが国などでズレるのは その国の人に合った言葉に 変わっていくので 自然な流れだと感じます。 それに言葉も生きていますし。 1000年前の人が言う「地球」 と今の人が言う「地球」 の意味合いは違います。 「sati」も同じで 当時の意味合いのsatiは この世界にないのでは。
しるべすた @silvestacat 2015年6月15日
オリジナルの意味が知りたいなら、それこそ現地に言って「体感」するのが一番かもしれません。 言語は心に感じたことを言葉にしたものですから。
kakuyu @southmtmonk 2015年6月15日
まとめを更新しました。 @neetbuddhist さんのコメントを収録させていただきました。
kakuyu @southmtmonk 2015年6月15日
まとめを更新しました。 @suhamma さんのコメントを追加いたしました。
kakuyu @southmtmonk 2015年6月16日
まとめを更新しました。 @naagita さんのコメントを追加させていただきました。
kakuyu @southmtmonk 2015年6月16日
@lokottara @1yagiryow5 さんのtweetを追加いたしました。
酢鴎 @acetylseagull1 2015年6月17日
「気づきを使うのはニューエイジよりだから好ましくない」に同意かなぁ 仏教がスピリチュアルな人々のお手軽な権威付けに利用されるだけになりかねない。
猫轍守衛(RTばっかり) @nekotetumamori 2015年6月17日
まあ中村氏の言い分もわからんでもない気がするが、日本語にもっと適切な訳語が無いじゃないかと言われたらしゃーないな的な話だった。
kakuyu @southmtmonk 2015年7月25日
まとめを更新しました。@moroshigeki @naagita @hakai_namagusa @Kieselstein1 @nanbashura 各氏のtweetを収録させていただきました。
nāgita #antifa🌹 @naagita 2016年12月26日
ご参考まで:togetter「"sati"の訳語「気づき」についてのやりとり」メモ(ひじる日々) http://naagita.hatenablog.com/entry/2015/06/19/195503
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