村上隆は何故芸術家では無く資本主義の豚と言われるのか。
芸術について述べる。芸術とは表現活動と重なる部分が大きい事を疑う余地は無かろう。しかし表現活動全てを芸術と呼ぶ事は無いし、芸術以外の表現手段もこの世にはごまんとある。今から誰に対して何をどの様に表現するのが芸術であるかと、芸術以外の表現活動について述べようと思う。
2010-12-31 20:00:30芸術と対する表現方法の代表格として科学が上げられる。芸術と科学は共に、自然を表現すると言う点において共通している。科学においては客観性、無矛盾性、再現性などが重要とされる。では芸術はどうか。客観性は問われない。表現者個人がどの様に感じたかが出発点となる。
2010-12-31 20:03:38芸術はその出自に於いて他者の目を意識しない事を第一の成立要件に挙げたい。あくまで当人の感じたままを表現するのだ。しかし、他者の目を意識しない表現などあり得るのだろうか。答えはあり得るだ。この場合の客体は自分自身だ。自分に対して表現するのだ。自分で自分を納得させるのだ。
2010-12-31 20:06:25そして時に芸術は矛盾する。しかし矛盾と言ってもそれは我々が暮らす物理法則など日常感覚からの乖離であって、本質的には無矛盾である。画家なり音楽家なり彫刻家なりプログラマーでも良い。とにかくその作品を生んだ芸術家にとって、それは矛盾しないのである。一筋の綺麗な法則に裏打ちされている。
2010-12-31 20:09:07芸術は再現性も問わない。誰にでも再現できる安易な表現でも、当人にすら再現出来ない一瞬の奇跡も芸術たり得る。アクションペイントはその両方を兼ね備えた典型例だと言えるだろう。便器を据えただけの「泉」はその着眼点に価値がある。便器そのものなどは作品の影にすぎない。
2010-12-31 20:14:57芸術はまず初めに客観性を排除する。その為、無矛盾性も再現性も問われないのだ。作品は当人の中に於いてのみ成立すれば良く、究極の自己満足の形態であると言える。その為、しばしば芸術は難解であると評される事となる。しかし他人から見た理解のし易さは芸術の指標とならない。
2010-12-31 20:16:14では芸術とは一体何を指すのか。それは前述の通り、究極に自己を満足させ得る表現形態であると言えよう。芸術作品を作る上で唯一必要なのは自身の感性を忠実に作品として生み出そうと言う意志のみであり、砂場で夢中になって遊んでいる子供こそ真の芸術家であると言えよう。
2010-12-31 20:19:47勿論芸術家の様な情熱を持った大人がいれば全てに対して醒め切った子供もいる。芸術に於いて大切なのは決して他者の評価や値段、時代性などでは無く、生み出した本人の熱中や満足である。芸術の勉強は自分独りですれば良く、他人の言う事を聞いている間は猿真似しか出来ない。ただの魂無き再生産だ。
2010-12-31 20:28:07結局何が言いたいのかと言うと、村上隆@takashipomの様な時代性や文脈や時価を過剰に重視する者は芸術を消費するだけの豚でしか無く、彼に魂の籠った作品を生み出せるとは思えないと言う事だ。芸術家よ、何があっても己の意志を、魂を貫き通せ。終わり。
2010-12-31 20:30:22現代アートが投機なのは当たり前で、要するに如何にして色んな物に価値を見出すかというのが潮流なわけだ。だから金をと名声を稼いだものが勝ちみたいな本末転倒な事態に陥っている。芸術が投機化してる状況への嫌悪感は沸くけど、価値観の多様性を産み出そうとする運動だと捉えると嫌悪感は減る。
2011-01-05 13:42:45というわけで芸術・現代アート観に一定の区切りを設けたいと思う。村上隆さん@takashi_pom罵倒してごめんなさい。貴方のアートビジネスマンとしての手腕は認めますし、現代アートがアートビジネスマン量産機であることの意味も認識しました。
2011-01-05 13:42:48まぁ、アートビジネスマンと言う単語を使ってる時点で、まだ完全に村上隆を認めきれてはいないのだが。ここからはもはや自分の好みと主義主張の問題になるから、これ以上の評価は諦めたい。まぁ一定の評価と敬意の表明はしますよと言う事で。
2011-01-05 13:35:29この様にして、万人が万人に対して一定レベルまでの認め合いを行うのは不可能でないと信じたい。やっぱり現状以上の世界平和は完全に不可能な訳ではないと思う。難しいとは思うが。
2011-01-05 13:37:06というわけで芸術・現代アート観に一定の区切りを設けたいと思う。村上隆さん@takashipom 罵倒してごめんなさい。貴方のビジネスマンとしての手腕は認めますし、現代アートがビジネスマン量産機であることの意味も認識しました。そういう意味で貴方はArtistですね。
2011-01-05 13:46:02@gutchom さんの芸術についての文章、とても面白かったです。ただ、根本的な疑義も感じました。芸術創出が自己満足と結び付いているという点は大きく納得しますが、その自己満足が生じるためには、他者的視線が不可欠ではないでしょうか。自己満足はどのように生じるとお考えですか。
2011-01-05 14:04:02@hyperchondriaz 芸術とは自然を自身の技術で写し取る行為であると、歴史上の偉人のどなたかが仰られてました。僕は、例えば綺麗な景色を見た時、それを描き自分で眺めるだけでも充分に満足できます。その為に他者からの評価はおまけなんです。褒められたら運が良かった程度ですね。
2011-01-05 14:08:31うへぇ。村上隆からブロックされてる。通りでID変わったのに気づけなかったわけだ。正直、客商売やってる人間が誰かをブロックするのはどうかと思うよ。そりゃ批判が多くて面倒なのは分かるが、批判を真っ向から受けられない人間に成長は無い。これだから余計批判されるというのに…。
2011-01-05 14:12:49@gutchom なるほど。では、書く自分と眺める自分は、同一なのでしょうか。書いた自分とは異なった眺める自分という他者が必要なのではないでしょうか。
2011-01-05 14:13:42なんか、せっかく村上隆に対する敬意が生まれたのがちょっと馬鹿らしくなったじゃないか。あの人も不器用だなぁ。まぁ、叩かれてる人にただ強くなれと言えるほど自分も強くないが。
2011-01-05 14:13:47@gutchom 自分が書いた作品で満足する場合もしない場合もある。その場合の基準とはいかなるものでしょう。そこには自己だけがいるのでしょうか。
2011-01-05 14:16:13@hyperchondriaz そういった意味での他者は存在しますね。僕は"書く自分-眺める自分"の間に"人間Aさん-人間Bさん"とは圧倒的に勝る連続性が存在していると考えます。その為に筋が通ると言いますか、他人による評価と自分からの評価で受ける影響には大きな違いがあると考えます
2011-01-05 14:19:15@hyperchondriaz なるほど、自己も他者の影響を受けて形成されますからね。そこには流行や歴史的背景が存在するかもしれません。しかしその上で、自分にしか生み出せない革新性を生み出すのが芸術であると考えます。
2011-01-05 14:21:33@gutchom 自分が書いた絵が美しい、と思う価値判断の基準は、人間が生まれて一人ほっぽりだされて育っても生じないでしょう。まず、言語を獲得することができません。美的判断は生まれないでしょう。つまり、上記の価値基準は、他者の存在する共同体の中で育まれるわけです。
2011-01-05 14:22:10@hyperchondriaz その考え方を用いると、たまたまその作品を生み出したのがその人であり、別の人や時代が前後して同じ様な作品の生まれる可能性があったと考える事ができますね。この様な事は常々僕も考えます。何と言うか、結局早い者勝ちな気もします。未発見の価値を見出す競争。
2011-01-05 14:23:59@gutchom 革新性についても確かにそう言える面もあると思います。ただやはり、その革新性というのは、他者という比較物があってこそ生まれる発想ではないかと。知らぬ間に他者の基準が意識されているのではないかと思われます。
2011-01-05 14:26:17