急に戦国時代の貨幣経済について語りたくなったが壁に呟くのも飽きたのでツイートする。
- kasetonote
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大雑把に我が国で戦国時代と言えば応仁の乱から徳川幕府が開かれるまでの期間を指すけども、その当時に使われていた貨幣がある。
2011-01-03 02:44:26昔の金といえば大判小判というイメージだが実際に流通していたのは銅銭。宋や明から貿易によって入ってきた銅銭を使っていた。朝廷が隆盛を誇った時代には日本独自の鋳造された貨幣も流通していたようだが、中央の力が弱まるに連れて宋銭や明銭に取って変わられたと言うことか?
2011-01-03 02:51:52あと貿易などで商業が活発化してくると、単純に『貨幣が足りない』という状況が起きる。当時の日本の造幣能力では追いつかなかったのだろう。
2011-01-03 02:55:45それにも関わらず、江戸時代の武士は米で俸禄を貰っている。何故一度根付いたはずの貨幣ではなく、給与が米なのか。
2011-01-03 02:58:38誰しも聞いたことがあると思うけど、昔は土地の広さって言うか価値を石高で表していたじゃない。これは秀吉が大々的にやった検地の結果そうなったんだけど、以前は別の単位で土地の価値を計っていた。
2011-01-03 03:01:35それが貫高制。まあこの場合土地の生産能力がそのまま土地の価値になるんだけど、それはそのまま貨幣価値に換算が可能だったってことだろ。
2011-01-03 03:03:54んじゃなんで最初からある程度決まっている土地の価値を、改めて秀吉は測り直す必要があったのかつうと、この当時は既に貨幣経済はボロボロになってたんだと思われる。
2011-01-03 03:05:00宋銭、明銭、和同開珎、その他私鋳銭(要は贋金)などが入り乱れている状況では貨幣の価値など統一しようもない。貨幣の信用が失われれば起きるのはインフレ。貨幣価値が下がりまくって取引に混乱が生じれば物流が滞る。
2011-01-03 03:09:07現代では流通を支えきれないほどのインフレが起きた場合、取れる措置は通貨の切り替えくらいだろう。いわゆるデノミ。なんだけど、当時の日本には代替通貨になりうるものが無かった。
2011-01-03 03:10:55ただ、貨幣とは要するに『万人がその価値を認めて、持ち運びが簡単なで、ある程度豊富にある何か』であればいい。そこに当てはまったのが米だった。
2011-01-03 03:13:14造幣局がなくても取り敢えず米は生産されるし、いざとなれば食えるし、そこそこ保存は効くし、持ち運びも比較的楽。
2011-01-03 03:14:22そして検地が行われて実態経済に即した土地の価値を定め直し、米の升を統一した秀吉のセンスは流石と言わざるをえない。
2011-01-03 03:17:11だからまあ戦国時代を描いたゲームなんかで石高でもって土地の価値を表していいのは本来は秀吉のあとなんだろうけど、それではいろいろ難しいからな。
2011-01-03 03:22:07それに農法が発達してくると同じ広さの土地でも取れるコメの量は変わるし、また必ずしも米ばかりが収穫物ではなかろう。
2011-01-03 03:23:55『六部殺し』や『イヌガミ筋』なんかの逸話はこの経済的な変遷によって生まれた怪談だっつう話は小松和夫が既に述べてた…かな?
2011-01-03 03:30:45単位を『萌えみのり』にすべきだろうか RT @cxu29eg: @maturibooo マツリッチ!の生活も米の量で命をつなぐ、米本位制人生。
2011-01-03 03:34:37