Lot.n歴史カフェ「和魂の才~成熟社会の江戸技術~」

Lot.n(ロットン:沼津市上土町)で毎月開催している歴史カフェ。 10月は江戸時代末期の日本の技術がテーマ。 明治維新後の「文明開化」。進んだ技術を取り入れることによって近代化を図る試みは各国で行われたが、急速な社会変革に順応できたのは日本だけであった。 明治の近代化政策以前には日本に「文明」は無かったのか。その下地となった江戸時代の科学技術について紐解いていきます。 続きを読む
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リンク Wikipedia 志筑忠雄 志筑 忠雄(しづき ただお、宝暦10年(1760年) - 文化3年7月3日(1806年8月16日))は、江戸時代長崎の蘭学者、阿蘭陀稽古通詞(のち辞職)。 天文、物理、地理誌、海外事情、オランダ語、オランダ文法学等の分野で著述を成した。 本姓中野氏、通称忠次郎、字季飛。名をはじめは盈長、後に忠雄とし、柳圃と号した。養父孫次郎の養子として阿蘭陀通詞志筑本家8代を継いだが 、生家の中野家がいかなる家だったのかについては不明な点が多い。志筑の経歴については長年、『長崎通詞由緒書』の情報をもとに、阿蘭陀通詞志筑家
Moka Hirata @mokaaan

平石久平次。陸舟車。クランクを使った工学の基本を試した、、、らしい。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:46:23
リンク Wikipedia 新製陸舟車 新製陸舟車(しんせいりくしゅうしゃ)あるいは陸舟奔車(りくしゅうほんしゃ)は、近年の史料研究で確認された「世界で初めて発明された自転車相当の乗り物」である。2003年5月開催の産業考古学会[1]総会で、梶原利夫が「1728 ~ 1732年のわが国における自転車の発明」と題して報告した。 彦根藩藩士の平石久平次時光(ひらいし くへいじ ときみつ、1696年 - 1771年)が自著『新製陸舟奔車之記』(滋賀県彦根市立図書館所蔵)に記したもので、ペダル状及びハンドル状の機構を有して人力で走る三輪車であり、享保1
リンク Wikipedia 国友一貫斎 国友 一貫斎(くにとも いっかんさい、九代目国友 藤兵衛(- とうべえ) 安永7年10月3日(1778年11月21日) - 天保11年12月3日(1840年12月26日))は鉄砲鍛冶師、発明家。幼名は藤一。号は一貫斎、眠龍。諱は重恭。能当(旧字では能當)と銘を切る。日本で最初の実用空気銃や反射望遠鏡を製作。その自作の望遠鏡を用いて天体観測を行った。 近江国国友村(滋賀県長浜市国友町)の幕府の御用鉄砲鍛冶職の家に生まれた。9歳で父に代わって藤兵衛と名乗り、17歳で鉄砲鍛冶の年寄脇の職を継いだ。 文化8年(1
Moka Hirata @mokaaan

橋本宗吉のエレキテル実験。雷がなっている時に木に触れて静電気の確認をする。落雷したら即死するような実験の事www平賀源内さんよりは、ちゃんと電気の研究をした人。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:48:38
リンク Wikipedia 橋本宗吉 橋本 宗吉(はしもと そうきち、宝暦13年(1763年) - 天保7年5月1日(1836年6月14日))または橋本 鄭(はしもと てい)は日本の蘭方医、蘭学者である。曇斎(どんさい)、絲漢堂とも号した。医学、天文学、本草学の翻訳を手がけた。また蘭学書を読み解いてエレキテルを自作し、エレキテルおよび数々の実験についての記述を残している。これらの業績より、日本の電気学の学術的研究の祖であるとも評される。 祖先は四国の阿波国那賀郡の郷士であったと伝えられている。宗吉の父の代に大阪にでてきた。宗吉が阿波の生まれか
Moka Hirata @mokaaan

鳥人・幸吉。障子張りの職人さん。木のフレームに障子紙を貼った羽を作って空を飛んだ、、、らしい。ジョージ・ケイリーの飛行より60年早かった。が、騒ぎを起こした、ってことで江戸所払いに。駿府でも同じことやって、また所払いに。学習しろ、幸吉www #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 19:51:52
リンク Wikipedia 浮田幸吉 浮田幸吉(うきた こうきち、1757年(宝暦7年)- 1847年(弘化4年)?)は、日本で初めて空を飛んだとされる人物。鳥人幸吉、表具師幸吉、表具屋幸吉、櫻屋幸吉、備前屋幸吉、備考斎(びんこうさい)とも呼ばれる。 江戸時代中期1757年(宝暦7年)備前国児島郡八浜(現在の岡山県玉野市八浜)の浮田(櫻屋)清兵衛の次男として生まれた。7歳で父を亡くし岡山の紙屋に奉公に出て表具を習う。 空を飛ぶ鳥に興味を持ち、鳥が空を飛ぶメカニズムを熱心に研究した。「鳥の羽と胴の重さを計測しその割合を導き出す。それを人間の体に
リンク Wikipedia 飯塚伊賀七 飯塚 伊賀七(いいづか いがしち、宝暦12年3月29日〔グレゴリオ暦 1762年4月23日〕 - 天保7年11月17日〔グレゴリオ暦 1836年12月24日〕)は、江戸時代後期の発明家。谷田部藩領の常陸国筑波郡新町村(現:茨城県つくば市谷田部)に生まれ、生涯を谷田部で過ごした。「谷田部にすぎたるもの3つあり、不動並木に広瀬周度、飯塚伊賀七」と呼ばれ、谷田部の象徴的な存在だった。 名主(庄屋)を務めるかたわら、建築・和算・蘭学などを学び、からくりや和時計を数多く製作したほか、飛行実験、地図製作、多宝塔や五角
Moka Hirata @mokaaan

伊能忠敬は50歳にして、天文方に入り、当時20歳くらいの高橋に師事する。なんていうバイタリティ。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 20:01:59
リンク Wikipedia 高橋景保 高橋 景保(たかはし かげやす、天明5年(1785年) - 文政12年2月16日(1829年3月20日))は、江戸時代後期の天文学者。通称、作左衛門。天文学者である高橋至時の長男として大坂に生まれた。渋川景佑の兄。 文化元年(1804年)に父の跡を継いで江戸幕府天文方となり、天体観測・測量、天文関連書籍の翻訳などに従事する。 文化7年(1810年)、「新訂万国全図」を制作した(銅版画制作は亜欧堂田善)。一方で伊能忠敬の全国測量事業を監督し、全面的に援助する。忠敬の没後、彼の実測をもとに『大日本沿海輿地全図
Moka Hirata @mokaaan

三浦梅園、志筑忠雄、帆足万里は日本の物理学の基礎を作った偉い人。って、言ってたら、ノーベル物理学賞を梶田先生が受賞するのか!? #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 20:05:32
リンク Wikipedia 帆足万里 帆足 萬里(ほあし ばんり、安永7年1月15日(1778年2月11日) - 嘉永5年6月14日(1852年7月30日))は、豊後国日出藩出身の江戸時代後期の儒学者・経世家。字は鵬卿。号は愚亭など。三浦梅園、広瀬淡窓と共に豊後三賢の一人と言われる。 父は日出藩家老の帆足通文。1791年(寛政3年)、14歳の時、脇蘭室(脇愚山)に学び、21歳の時に大阪の中井竹山・京都の皆川淇園にも学ぶ。その後30歳前後には一人前の学者となって、日出藩の藩校の教授に任じられ、1832年(天保3年)日出藩家老となり財政改革に行っ
Moka Hirata @mokaaan

エンゲルベルト・ケンペル。1690年代に2年ほど出島に滞在。植物の標本を作って、オランダに持って帰った。で、イチョウを発見してびっくりした。ヨーロッパではイチョウは化石で見つかるもので、幻の植物だった。日本と中国にしかないんだねΣ(゚Д゚) #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 20:11:00
かるの @karunohumihito

@mokaaan 彼が帰国してから書いた「日本誌」が日本に入って、それを志筑忠雄が翻訳、その一部に「鎖国論」というのがありまして、鎖国という言葉はココからなんです。使い始めるのは幕末からなんですが。

2015-10-07 12:45:43
Moka Hirata @mokaaan

@karunohumihito へぇ〜、鎖国ってもっと前から使ってたのかと思ってたよ。鎖国のこと、それまではなんて言ってたんだろ?

2015-10-07 18:57:39
かるの @karunohumihito

@mokaaan 当時の日本に鎖国という概念自体が無かったとも言いますね。あくまでも幕府による貿易の独占と渡航制限だと。実質、スペイン・ポルトガルが居た時よりも貿易量は増えてる(赤字だけど)。

2015-10-08 08:50:27
Moka Hirata @mokaaan

@karunohumihito 確かにもともと島国で、よそから来るのが大変だったから、海防の設定でコントロールできるもんね。 オランダの方が日本の国情にあった商品を持ってきたっていう事かな。

2015-10-08 08:57:23
Moka Hirata @mokaaan

この人も江戸に行った時に帯笑園に立ち寄っている。 #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 20:11:50
リンク Wikipedia エンゲルベルト・ケンペル エンゲルベルト・ケンペル(Engelbert Kämpfer, 現代ドイツ語読みではエンゲルベアト・ケンプファー、1651年9月16日 - 1716年11月2日)は、ドイツ北部レムゴー出身の医師、博物学者。ヨーロッパにおいて日本を初めて体系的に記述した『日本誌』の原著者として知られる。出島の三学者の一人。 現ノルトライン=ヴェストファーレン州のレムゴーに牧師の息子として生まれる。ドイツ三十年戦争で荒廃した時代に育ち、さらに例外的に魔女狩りが遅くまで残った地方に生まれ、叔父が魔女裁判により死刑とされた経験を
リンク Wikipedia 日本誌 『日本誌』は、17世紀末に出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師エンゲルベルト・ケンペルが、江戸時代、日本での見聞をまとめ執筆した書物。 彼の遺品の多くは遺族により、3代のイギリス国王(アンからジョージ2世)に仕えた侍医で熱心な収集家だったハンス・スローンに売られた。1727年、遺稿を英語に訳させたスローンによりロンドンで出版された『日本誌』(The History of Japan)は、フランス語、オランダ語にも訳された。ドイツの啓蒙思想家ドームが、甥ヨハン・ヘルマンによって書かれた草稿を見つけ、17
Moka Hirata @mokaaan

カール・ツンベリー。医者。この人も植物の標本を持ち帰っていて、箱根で800種類ほど集めたらしい。 彼はスウェーデン人で、スウェーデンに帰ってから、参勤交代をスウェーデンにも導入しようと提唱したらしい。マジカΣ(゚Д゚) #歴史カフェ #かるのーと #lotn

2015-10-06 20:13:41
リンク Wikipedia カール・ツンベルク カール・ペーテル・ツンベルク(Carl Peter Thunberg [ˈkɑːɭ ˈpeːtər ˈtʉːnˈbærj], 1743年11月11日 - 1828年8月8日)は、スウェーデンの植物学者、博物学者、医学者。カール・フォン・リンネの弟子として分類学において大きな功績を残した。また出島商館付医師として鎖国期の日本に1年滞在し、日本における植物学や蘭学、西洋における東洋学の発展に寄与した。出島の三学者の一人。 日本語での姓の表記が一定せず、ツンベルク、ツンベルグ、ツンベリ、ツンベリー、トインベルゲ
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