足し算掛け算の順序について覚書

考えたら追加する
0
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

掛算のアレは(単位当たりの量)と(単位数)を掛けると(全体の量)が出るというセマンティクスに対して「(単位当たりの量)×(単位数)」か「(単位数)×(単位当たりの量)」のうち前の方のみが正しいというシンタックスをあてはめているってことなんだな

2015-11-15 16:51:37
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

この双方のシンタックス間において,本質的な差は存在しない(たとえこのセマンティクスだとしても,両方のシンタックスはそれぞれ広く使われている)以上は,片方のシンタックスのみを正しいとみなす価値観はローカルルールに過ぎない

2015-11-15 16:55:15
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

それがローカルルールに過ぎない以上,たとえ教育上の利点がそのルールにあったとしても,(そのローカルルールに従うことを要請しない限り)ローカルルールに従わない(理解した)人間を拒否する理由はないだろう

2015-11-15 16:57:38
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

そのうえで,掛算の順序というローカルルールによって(単位当たりの量)や(単位数)という概念の確立を確かめるよりは,何らか他のよりよいチェック方法は存在するのではないだろうか

2015-11-15 16:59:46
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

外積とか行列の掛算に順序が出てくるのは方向的な概念が入ってくるからであって,初等教育では量的なナイーブな掛算を扱うのだから無関係としてよいだろう

2015-11-15 17:08:38
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

より具体的に言うならば,「単位当たりの量と単位数の掛算はこのシンタックスで書く」というローカルルールが(明示的に)要請されない限り,掛算の順序はどちらでもいいはずだ.その上で,この要請はナンセンスだということが言いたい

2015-11-15 17:18:09
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

たぶん否定する理由には「セマンティクスの理解」を本質的でない要請を通して「シンタックスの問題」に落としこむことへの拒否があるのだろう

2015-11-15 17:19:45
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

この二つのシンタックスが相互に優劣が存在しないことは,抽象的な数としての掛算の交換法則によっているのだろうなあ

2015-11-15 18:11:55
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

セマンティクスの理解を(本質的でない)シンタックスの選択で測るのやめろというのがいいたいことだな

2015-11-15 18:13:54
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

問題が教育的であるというのは,(概念の)理解をきちんと測れるということを意味している

2015-11-15 18:53:17
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

そのうえで,掛算で片方のシンタックスのみを許容する問題は単位当たりの量という概念を学ぶ上において教育的ではないのではないか?

2015-11-15 18:54:19
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

なぜならば,単位当たりの量というセマンティクスから数同士の掛算の順序という2種のシンタックスへのマッピングに差は存在しない(掛算の交換法則より)ので,片方のみを許容する態度はローカルルールである.

2015-11-15 18:58:53
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

なぜならばいらなかった. 掛算の順序で単位当たりの量というセマンティクスの理解を測る際,そこにはシンタックスへのマッピングという異なるかつローカルな概念が混じりこむことになる. 順序を強制することでは,セマンティクスの理解と,ただシンタックスのルールを学んだことを区別できない.

2015-11-15 19:02:48
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

掛算の順序へのマッピングがローカルであるのだから,単位当たりの量という概念の理解を掛算の順序の問題によって測るのは教育的でない(不適である).

2015-11-15 19:06:56
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

僕の考え方では外積とか行列の掛け算の順序も「ローカル」になるんだけど,それらが世界規模の広がりを持っているのに対して単位当たりの量での文脈では「ローカル」の広さはたかだか教室とか小学校ぐらいしかではない.

2015-11-15 19:10:08
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

増加や合併・1あたりの量といった概念の理解を計算式の順序で測ることの欠点もう一つ見つかった

2015-11-19 18:23:08
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

生徒の状態が順序に与える影響の一つ目は,測りたいことである概念自体を理解しているか,二つ目は,計算式の順序というシンタックスルールを知っているか,三つめは,教員の想定どおりに現実の量を概念にあてはめているか. これらによって計算式の順序は変わりうる.

2015-11-19 18:26:26
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

具体例を考えよう.「5だいのバスがSAにつくと,そこにはすでに3だいのバスがいました.バスのかずはぜんぶでなんだい?」 これを増加の考え方でとらえよう.このとき,計算式が(元の量)+(増加量)になると指導しているとする.すると,この問題はどう式を立てるべきなのか?

2015-11-19 18:29:57
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

SAにいるバスが元で,そこにバスが増えたと考えるならば3+5で,逆に走っているバスの一団にSAのバスが合流したと考えれ5+3だ.このどちらの考え方も妥当であるし,実際どちらでもすべてのバスの数は8で同じだ.これが三つめの問題を示している.

2015-11-19 18:33:59
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

二つ目のシンタックスルールの問題は,「5台のバス分が合流して元の3台から増えるんだよな」と考えて5+3と書くことが一例になる.この生徒は増加しているということは分かっていてもシンタックスルールを知らないせいでバツをくらうかもしれない.そしてそのバツは全く本質的でない.

2015-11-19 19:08:07
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

結局,足し算や掛け算の数の順序から概念の理解を測ろうとしても,この二つ目・三つ目の問題がノイズになって計測しえない.「正しい」順序で書いたからといって概念を理解したとは限らない(異なる方法で量を概念にあてはめ,シンタックスも間違えたのかもしれない)し,逆もしかり.

2015-11-19 19:22:43
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

この二つ目・三つ目の問題がなぜ生じるのかというと,それはまさにこれらの演算の可換性が働いているからだ.シンタックスルールを知らなかろうが,異なる方法で式を立てようが,正しい答えは得られるからだ.

2015-11-19 19:27:37
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

もちろん0か1かではないので,順序で概念理解を測る方法が「リーズナブル」であれば用いるのもいいのかもしれない.ただ注意したいのは,これらの教授法の優劣を測るエビデンスが見当たらないことだ(ろくに調べてないが).

2015-11-19 19:49:59
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

経験談程度では指導法をどうこう言う根拠としては弱い.しかしエビデンスを実験的に求めるのは難しいだろう.生徒は学校以外の場からも学ぶものであるし,それに概念の理解自体を正しく測るのも難しいからだ(測定に順序を使ったら意味がない!).

2015-11-19 19:53:48
井山梃子歴史館 @__pandaman64__

ところで,これらの概念は結局必要なのだろうか?足し算の世界においては増加・合併の区別は必要なのか?結局一つの問題でも合併・増加両方の見方をとることはできるし,どちらにしろ式に書くときは同じ足し算として計算できるのだ.なぜ区別する必要があるのだろう.

2015-11-19 19:57:47