〈空気を読む〉ことについて
「空気を読む」に関しては色々と意見や解釈もあろうが、私は「空気を読む→相手の気持ちをくみ取る・状況を判断する」とした上で、「敢えて空気を無視する度胸や勇気を培う必要」を学生には伝えている。 togetter.com/li/589639#c129…
2013-11-14 08:33:06普通に「空気は読める」方が良いに決まっていて、その空気に抗えないことが問題。何でもスルーとか、傍若無人とか、嫌だし、人生つまんないから。
2013-11-14 08:37:22この意見には全く賛成できないので、以下連投。結論としては「空気を読まない」人間が増えれば増えるほど多様な人々が生きやすくなる。より正確にいうと、「空気を読める」なんていうのは幻想。関係なくふるまうのがベスト。言葉を字義通り捉えていいと思う。空気は読むものではない。
2013-11-14 13:07:01一般的に言われている「空気を読む」は、相手あるいは他者に配慮するという意味ではない。むしろ真逆で、〈空気〉という概念の含意は他者性とか外部性とかの欠如。「空気を読む」と言った場合は「相手」という現実の他者を重視するのではなく、実体のない空気を重視するという意味だから。
2013-11-14 13:07:26自分の経験を例にすると、以前は大人数の飲み会で乾杯のビールしか用意されていない時にソフトドリンクとかを頼もうとしたりするとすごくいやな顔をされたりしたわけだけど、僕にとってはこれこそ〈空気〉の典型例。そこではビールを飲めない「相手」のことは想定されていない。
2013-11-14 13:09:00〈空気〉の外部として例えば〈真空〉とかがあるわけだけど、〈空気〉の内部にいる(と考えている)人々にとっては、その外部性、つまり多様な他者がいる可能性は想定されず排除されている。
2013-11-14 13:09:27相手や他者に配慮すべきというなら、そう言えばいいだけの話で、空気という概念を持ち出す必要はない。人々が「空気を読める方が良いに決まっている」と考えれば考えるほど、〈空気〉に抗うのは困難になる。
2013-11-14 13:10:13いわゆる「空気」に抗うのを推奨するのであれば、「空気」なんて関係ない、というかそんなものは存在しないと人々が考えることが倫理的な態度として重要。
2013-11-14 13:10:53セルフRT 常識という言葉で他人を非難する人間は自分の価値観=常識 だと疑わず自分の価値観を他人に押し付けているだけ。他人に「空気を読め」と命じる人間は「みんなに合わせろ」という表現で「自分に合わせろ」と他人に命じる単なるエゴイスト。
2013-11-14 13:11:26「空気」という語を使わなければ良いということに同意(訂正)。ただ「≪そんなもの≫は存在しない」と考えている時点で、「空気」を前提にしていると思う。実は @fujitayuh さんと意見は違っていなくて「≪そんなもの≫は存在しない」と勇気を持って言える(行える)態度を重視した。
2013-11-14 13:21:31元記事で問題視したかったのは「学生に空気を読むな」という教員側の提言が「現実的に迫りくる就活等で空気を読まざるをえない」人々(学生)には何のアドヴァイスにもなっていなくて、「敢えて」読まない方法を伝えるべきではないかということ。それは逆に配慮が足りない。
2013-11-14 13:29:39@fujitayuh いやはや、その通りです。私たちのやるべきことは空気を読むことではなく論文を読み、ときにはその行間を読むことなのですから。またいつか直接話しましょう。
2013-11-14 14:24:24@nob_de もちろん基本的なスタンスが違わないことは普段からオンオフで接していてよくわかっています(のびいさんのツイートをきっかけに持論を展開したかっただけというか・・)。一点だけ補足すると、前提にせざるをえないからこその「倫理的態度」ということです。
2013-11-14 14:37:10@nob_de はい、がんばります。もう少しで研究を再開できるはずなので・・(最近は高等教育論と格闘したりゲラとにらめっこしてばかりで・・)。歴コミュ研にもスケジュール調整してまた行くつもりです。
2013-11-14 14:42:17