遊戯論、状況論、抵抗論(続き)

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Ishihata Ai @IshihataAi

Miller-Kipp, G. (2005): Zufall, Selbstorganisation und Kreativität. Ein Versuch über "die Natur" des Spiels wider seine Pädagogisierung.

2011-01-09 03:47:09
Ishihata Ai @IshihataAi

空間の実践(セルトー)。目に見えるものについて、その見えざるアイデンティティ(ex. パン屋さんがここにあったんだよ)を語ることで、幾層にも重なった断片のどこかへ移行し、動きゆくその厚み自体を利用する。そこに在るということは、こうした別のものへの移行を通してのみ実現される。

2011-01-13 03:33:36
Ishihata Ai @IshihataAi

空間へのとらわれ、空間を実践化すること、幼児のことば無き歓びの体験を反復すること、場所の中で他者であること、そして他者に移行すること(セルトー)

2011-01-13 03:37:27
Ishihata Ai @IshihataAi

「このような自己の自己に対する関係[他者に移行すること]が、場の内的変容(地層と地層のあいだの戯れ)をつかさどったり、ある場所にたたみこまれたさまざまな物語を歩みとともに繰りひろげさせたりするのである」—セルトー「日常的実践のポイエティーク」

2011-01-13 04:25:48
Ishihata Ai @IshihataAi

「空間の実践を決定づけた幼児期が、あとからその効果を発揮して、私的な空間、公共空間に満ちあふれ、その読みうる表面に傷をつけ、計画化された都市のなかに「メタファーからなる」都市を創造するのであり、あるいは移動をとおして、カンディンスキーが夢見ていたようなあの都市を創造してゆくのだ…

2011-01-13 04:28:39
Ishihata Ai @IshihataAi

…「建築学のありとあらゆる規則にしたがって構築されたあげく、計算に挑戦をいどむ力によって不意に揺さぶられる大都市」を」—セルトー「日常的実践のポイエティーク」

2011-01-13 04:30:03
Ishihata Ai @IshihataAi

情報自体に価値はないかもしれない。でも、情報をやりとりするという行為には価値がある。と信じる。RT @NAKAJIMAyuta: 地域コミュニティーとアーティストの関わりがもたらすものとは何か。ハイパーローカルな情報に価値はあるのかな。地元の人達と他愛のない立ち話をする意味…

2011-01-15 06:36:50
Ishihata Ai @IshihataAi

やりとりの履歴が情報に後付けで価値を与えるんだと思う。でもやりとりへと動機づけるのは情報への興味か。てことは、情報自体にも価値があるのかも。RT @NAKAJIMAyuta 情報自体にも価値を感じてしまう。やりとりの価値の延長なんだろうか。 RT 情報をやりとりする行為には価値

2011-01-15 07:30:40
Ishihata Ai @IshihataAi

道具によって媒介された行為を分析単位とする。日常的実践を、道具による主観性の構築、その相互作用による道具の再構築と見る。

2011-01-19 09:06:56
Ishihata Ai @IshihataAi

ブルーナーと似てる気がする。何が同じで何が違うんだろう。

2011-01-19 09:08:44
Ishihata Ai @IshihataAi

「日常会話のレトリックというのは、「パロールの状況」を転換させる実践であり、言葉を通した生産であって、そこでは話し手どうしの位置の交差が、だれの所有するでもないオラルの織り目を織りあげていく。だれのものでもないひとつのコミュニケーションが創造されるのである」(セルトー)

2011-01-19 09:30:45
Ishihata Ai @IshihataAi

この部分、社会文化的アプローチの言う「文化的道具によって作られる間主観的世界」のようにも読める。セルトーは、こうした日常的会話の実践に、言語の規則に従いながらも新たなものを創造をしていく、民衆の戦術を読み取るのであり、ワーチもまた文化的道具の再構築について論じている、はずだ…。

2011-01-19 09:44:51
Ishihata Ai @IshihataAi

その点、ブルーナーは、文化的道具を媒介とした間主観的世界の成立については論じているものの、セルトーの言う戦術に当たるような、文化的道具の使用法の刷新は、重視していないように思われる。

2011-01-19 09:47:22
Ishihata Ai @IshihataAi

そこがブルーナーとワーチの違いなのではないか。まだ仮説段階ね。いろいろ読まんとわからん。

2011-01-19 09:48:04
Ishihata Ai @IshihataAi

私はとにかくセルトー大好きだから(何々だから好きという理由は後付け的に言えなくはなさそうだが、本当のところは端的に好きなのであって、例えるならば「恋」としか言いようのない「好き」だと理解してほしい)、セルトーをこちらの領域に引き寄せる努力をしないといけない。

2011-01-19 09:55:17
Ishihata Ai @IshihataAi

昨日のゼミで言われたこと。「広くレビューして自分の位置取りを云々するのは他の人に任せといて、一人の思想とじっくり向き合ったほうがいい」

2011-01-19 09:58:49
Ishihata Ai @IshihataAi

だから彼らは「何世紀の誰々の研究をしています」って言うんだね。

2011-01-19 09:59:47
Ishihata Ai @IshihataAi

もちろん、彼らだってそればっかりを読んでいるわけじゃなくて、別の人のも読むんだろうけど、それはあくまでこれと決めた人のことをよく理解するための材料としてなんだね、きっと。要するに、本命がいてあとは義理なんだ。

2011-01-19 10:04:02
Ishihata Ai @IshihataAi

実践者の信念がいかに学習環境に具現化されているか、そしてそれらがどのように機能し、信念が達成されるのかという問いは教育的ではあるが、その学習環境において学習者がいかに戦術を張りめぐらせているかという問いは、ともすると抜け落ちがちであったかもしれない。私が問いたいのは後者です。

2011-01-19 10:15:19
Ishihata Ai @IshihataAi

ワーチが「行為としての心」でセルトーを引いていた!なんと!これで無理なくセルトーを実装できる!

2011-01-19 17:54:03
Ishihata Ai @IshihataAi

バフチン、専有と習得か…

2011-01-19 18:19:04
Kimi Ishida @kimish330

@IshihataAi そうそう。「アプロプリエーション(専有)」のところですよね!

2011-01-19 18:53:38
Ishihata Ai @IshihataAi

え!専有はアプロプリエーションなんですか?!じゃあロジェ・シャルチエですね。RT @kimish330: @IshihataAi そうそう。「アプロプリエーション(専有)」のところですよね!

2011-01-19 19:16:15