2016年1月26日

71年前、日米両軍がフィリピンで戦った理由。

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ハフポスト日本版 / 会話を生み出す国際メディア @HuffPostJapan

【慰霊の旅】両陛下、26日からフィリピンへ 体験者が当時を振り返る huff.to/1Sdq9XB

2016-01-25 15:40:08
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

天皇、皇后両陛下がフィリピンを訪問するということで、なんとなくフィリピンを語る。フィリピンといえば、太平洋戦争で日米両軍の激戦地となったところだ、とニュースでも繰り返しふれている。そもそもなぜ激戦地となったのだろうか? インドネシアは大部分が戦闘もなく終戦を迎えたのに。

2016-01-26 20:06:49
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

アメリカの太平洋艦隊司令官ニミッツ元帥は、太平洋諸島を全て制圧するのではなく、重要拠点だけ攻略するという、飛び石作戦とかカエル飛び作戦といわれる戦略で進んだ。

2016-01-26 20:07:16
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

ついでだから、数年越しになるが補足も。

2018-08-11 20:39:28
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

日本の船舶はアメリカ軍に沈められたため、戦争末期の日本は海上戦力を失っていた。アメリカ軍に制海権を握られ、太平洋の島々に点在して駐屯していた日本軍は、絶海の孤島に閉じ込められた。そこで日本兵は、戦闘が始まらないまま餓死していったのである。

2018-08-11 20:40:06
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

飯田進「地獄の日本兵」によると、ジャングルというのは、食べるものがあるようでない。そのためニューギニアやルソンでは、兵士が延々飢えたまま行軍しなければならなかった。

2018-08-11 20:44:44
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

1944年7月にサイパン島が陥落すると、日本本土への往復飛行が可能になって、以降アメリカの空襲が本格化する。この時点で日本の負けは確定したと言えるだろう。それでもダグラス・マッカーサー率いる極東軍は、同年10月レイテ島に再上陸して、マニラで日本軍と激しい市街戦を繰り広げる。

2016-01-26 20:07:46
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

ダグラスの父アーサー・マッカーサーは、アメリカ領だったフィリピンで、駐留米軍司令官を勤めた。偏見なくフィリピン人と交わり、現地人にも評判だったようだ。ダグラスもフィリピンとゆかりが深く、戦争前、独立を準備していたフィリピン軍の最高軍事顧問に就任する。

2016-01-26 20:08:28
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

日本軍に敗れて撤退するとき、「アイ・シャル・リターン(きっと帰ってくる)」といったことは有名。マッカーサーはフィリピンの抗日ゲリラに対し、「米軍がやってくるまで待機せよ」という命令を出していた。

2016-01-26 20:08:51
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

自身とアメリカの威信のために、わざわざ激しい戦闘をして奪還したのではないか、という疑いがぬぐえない。

2016-01-26 20:09:06
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

日本の戦争は、フィリピンにどのような影響を与えたのか。宗主国からの独立意識が加速されたインドネシアなどとは全く逆に、「米軍に守ってもらわなければダメだ」という意識が強くなった。

2016-01-26 20:09:38
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

イギリスやオランダは、第二次世界大戦で植民地を維持するだけの力を失って、よかれ悪しかれアジア諸国は自分たちで国を守っていく必要が出来たが、アメリカだけは健在だった。アメリカの軍事的・経済的支配とフィリピン側の依存、この新しい植民地といえる関係は長く続くことになる。

2016-01-26 20:10:18
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

参考文献は今まで何度も上げたものとかぶるので、ここでは鈴木静夫「物語フィリピンの歴史」だけ記す。

2016-01-26 20:10:32
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

戦前のフィリピンには、多くの日本人が出稼ぎに来ていた。「一生とどまりたい」と願い出るほどフィリピンを愛した在留邦人・大沢清は、敗戦で日本に強制送還されたが、帰国のトラックや鉄道に徐行するたび石や棒切れが投げ込まれ、罵声を浴びた。

2016-01-26 20:31:35
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

罵倒には日本語の「バカヤロー」「ドロボー」が使われた。占領下で日本人がまくし立てた威圧的言葉を、フィリピン人にお返しされたのだ。大沢の回想、「一体誰が、一体何がこのような事態を招いたのか。私は頭を抱えてうずくまり、悲しみに身を震わせていた」・・・。

2016-01-26 20:32:03
イヌノオー@ウマシカliberalism @inunohibi

永井均「フィリピンBC級戦犯裁判」も参考。

2016-01-26 20:32:41

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