「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」読書ノート

個人的な備忘録
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AC後屋 @acgoya

カルヴィン派の陰鬱な憂いに対して明るい確信。行為は救いの存在根拠ではなく認識根拠。行為の正しさだけでは不十分で、救いの感情が必要。覚醒された激しい感情的高揚。回心の条件として行為の標識を不可欠とする点では、カルヴィニズムと実質的に同じ。

2011-05-30 20:38:24

再洗礼派

アナバプテスト(英語: Anabaptist、再洗礼派、さいせんれいは)は、キリスト教において宗教改革時代にフルドリッヒ・ツヴィングリの弟子たちから分派した教派。英語の"Anabaptist"は語源でいうと、Anaはギリシャ語の ανα ana(again, twice)に、baptistは同じくギリシャ語の βαπτιζω baptiso(baptize)に由来する。"re-baptizers"すなわち再洗礼派と訳された。

バプティスト

バプテスト(英: Baptist、漢:浸礼教会、しんれいきょうかい)は、バプテスマ(浸礼での洗礼)を行う者の意味に由来しており、イギリスの分離派思想から発生したキリスト教プロテスタントの一教派。個人の良心の自由を大事にする。

メノナイト

メノナイト(英: Mennonite、メノー派)(英: Mennonite、メノー派)は、メノ・シモンズの名前に因んで名付けられたキリスト教アナバプテストの教派である。ただし、シモンズがこの集団に与えた影響は比較的小さい。メノナイトはブレザレン、クエーカーと共に歴史的平和教会の一つに数えられ、非暴力、暴力を使わない抵抗と融和および平和主義のために行動している。メノナイトという言葉は教派そのものと、その信徒を指すときの両方に使われる。

クエーカー

クエーカー(Quaker)は、キリスト友会(キリストゆうかい、Religious Society of Friends)に対する一般的な呼称である。友会は、17世紀にイングランドで設立された宗教団体である。クエーカーというのは俗称で、会員自身はこの言葉を使わずに友会徒(Friends)と自称している。クエーカーという名称は、創始者ジョージ・フォックスに対して判事が使った言葉に由来する。

AC後屋 @acgoya

再洗礼派とそこから派生したバプティストメノナイトクエーカー不必要な世の人との交際の回避。厳格な聖書主義、破門者の徹底的な忌避→世俗逃避的。(このあたりJWともかぶる)

2011-05-30 20:39:44
AC後屋 @acgoya

形式的聖礼典の軽視。→魔術的なものからの解放。内なる光の重視。生身の人間の感情の克服。冷静な行為、慎重な良心の訓練→職業労働への適応。兵役・官職の拒否。清教徒の「誠実」→形式主義的合法性、ドイツ人の「信実」と異なる。

2011-05-30 20:40:20
AC後屋 @acgoya

続いてピューリタンの説教師・神学者リチャード・バクスターの考察。富及び富の追求は無意味かつ道徳的に危険。貸金業者は使用人に至るまで倍餐資格なし。罪悪とされたのは、財産によって休息すること、富の享楽、無為、肉欲、聖い生活への努力の放棄。

2011-05-30 21:33:35
AC後屋 @acgoya

神の栄光を増すのに役立つのは無為や享楽ではなく専ら行為。よって時間の浪費は最大の罪悪交際、無駄なおしゃべり、健康に必要以上の睡眠(6~8時間)も絶対に排斥。 (ツイッターなんて大罪だなこれは(゜Д゜))

2011-05-30 21:34:27
AC後屋 @acgoya

時間は高価、無為の黙想も労働を犠牲にするなら無価値。信仰のことのために、公共の善に奉仕する肉体的・頭脳的労働は一切捨ててはならない。禁欲・合理主義という点で、農村よりも都市生活者を高く評価。

2011-05-30 21:34:44
AC後屋 @acgoya

「働かざるもの食うべからず」により、労働の嫌悪は信仰の欠如。中世カトリックにおいては、財産によって生活し得る者には労働は不要であり、祈りと黙想は労働以上に重要。バクスターはこれを否定し、財産ある者も労働せずに食うべきでなく、自己の欲望充足には必要なくとも神の命令として働くべき。

2011-05-30 22:28:25
AC後屋 @acgoya

ルターの思想では、人が歴史的、客観的秩序によって所与の身分と職業に編入されることを神の意志とし、その地位にとどまることが推奨された→現状の消極的追認。ヒンズー教のカースト制はその最強の形。

2011-05-30 22:29:14
AC後屋 @acgoya

職業の専門化は労働者の熟練を可能にし、労働能力の量的・質的向上をもたらして公共の福祉に貢献する。複数職業の兼職、より有利な転職も肯定。職業の有益性、すなわち神に喜ばれる程度を決めるのは、第一に道徳的基準、第二に生産する財の全体に対する重要さ、第三に収益性。

2011-05-30 22:30:29
AC後屋 @acgoya

利益の最大化は神の意志であり、神のために富裕になるよう労働するのは善。カトリックにおいて条件付きで許され得たことが、プロテスタントにおいてはポジティブに善いことになった。プロテスタントでは、乞食が禁止され、「施しは慈善にあらず」として失業者を労働所で働かせることなどが行われた。

2011-05-30 22:30:54
AC後屋 @acgoya

今日はここまで。あと70ページほど。いちいちこういうことを考えながら働いてたわけではないだろうけど、無意識下にこういう思想がベースにあった可能性は十分ありそう。

2011-05-30 22:33:11
AC後屋 @acgoya

@atque_poenitent 社会学の本ですからねえ。カルヴィニズム・ピューリタニズムと、大陸のカトリック・ルター派という伝統的価値観とを対比させてますね。こうしてみると、同じプロテスタントといえど、ルター派と改革派の差はかなり大きいようにも思えます。

2011-05-30 23:00:30
AC後屋 @acgoya

プロ倫続き。清教徒の聖書解釈。ヤコブとエサウの争い。エサウの愚行は、家督権をひと皿のスープという「安易な条件」で手放してしまったこと、ペテンにかけられたと言って取引を無効にしようとしたこと。※取引の条件がよければOKなのか!

2011-05-31 21:54:02
AC後屋 @acgoya

エサウはハンターで野の人、非合理的生活を送る無教養な人間。ヤコブは天幕に住む簡素な人。地上の生活で信仰の報酬を与えた旧約の神の力を強調。※価値判断の基準が伺える

2011-05-31 21:54:47
AC後屋 @acgoya

ルター 旧約外典「ベン・シラの知恵」の翻訳で、世俗職業を意味する語に「ベルーフ(beruf、召命)」の語をあてる。  清教徒は外典を排斥し、正典中のヨブ記を重視。人間を超えた神の絶対至高の権威と、神がヨブを物質方面で祝福した記述から。

2011-05-31 21:55:31
AC後屋 @acgoya

悪人が偶然に成功した場合は、神が彼らを頑迷にし、それによって確実に滅びに至らしめるために成功させたと解釈。詩編の叙情、箴言のオリエンタルな静寂は無視。※徹底した合理・現実主義

2011-05-31 21:56:17
AC後屋 @acgoya

同じく資本主義的性格を持つユダヤ主義との違い。 ユダヤ主義 政治的、投機的、冒険者的資本主義。  清教徒 合理的、市民的経営、労働の合理的組織化。 旧約聖書の規範によって全生活を律することから、ユダヤ的選民意識が復活。

2011-05-31 21:56:44
AC後屋 @acgoya

清教徒の禁欲主義 娯楽・遊技に対する嫌悪。娯楽は肉体に必要な休養など、合理的な目的のために行われなければならないもの。文化財に対する懐疑的、敵対的態度。しかしルネッサンスの教養に深いなど、学問自体は重視。学問以外の文学の蔑視。小説その他は時間の浪費で読むべきでない。

2011-05-31 21:57:37
AC後屋 @acgoya

戯曲、叙情詩、音楽の衰退。清教主義の市当局が、シェークスピアの存命中に劇場を閉鎖など。迷信の匂いのする全てのもの、魔術、儀式的ものへの激しい憎悪。クリスマスさえ迫害。

2011-05-31 21:58:23
AC後屋 @acgoya

常に神の意志か被造物の虚栄かの二者択一。アディアフォラ(どうでもよいもの)は皆無。服装、生活様式の画一化。→今日の資本主義の要求である生産の規格化

2011-05-31 21:58:37
AC後屋 @acgoya

プロ倫続き。清教主義においては、人は神によって与えられた財貨の管理者に過ぎず、委託された貨幣の弁明をしなければならない。時間、見栄のための支出を嫌う。

2011-05-31 23:13:53