豊臣家と狐と陰陽師…そして秀吉と淀君と、秀頼の話

豊臣秀吉は、「陰陽師狩り」なる、不思議な政策を、秀頼が生まれた後に実施したそうです。 大坂城に狐が出たため、祈祷を行ったという記録が残ったり・・・その背後に、なんとも横溝チックな、おどろおどろしいことがあったのでは、という推測もなされています。 非常に伝奇小説じみた展開ですが、そんな話題を。
歴史 近世史 豊臣秀頼 オカルト 淀君 服部英雄 豊臣秀吉 陰陽師 戦国時代
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ちょっと前のツイートです

(秀吉 陰陽師 狐 などで検索)

takuhiro (kinosy) @Kino_see
豊臣秀吉が陰陽師狩り(声聞師狩り)を行った理由は・・・(1)占いや予言を使って一揆を扇動する可能性がある事 (2)陰陽頭土御門久脩に不都合の事あり→於拾(豊臣秀頼)呪詛を企てたとも、朝鮮侵攻で肥前名護屋に諸将が集まっている間に京で徳川秀忠の「戦勝祈願」をしたという疑惑(つづく
takuhiro (kinosy) @Kino_see
@koban_1523 なるほど。あと名古屋(市内)には3つ、晴明神社がありますよ。 ※豊臣秀吉による陰陽師弾圧で131名の陰陽師、唱門師が尾張・三河に配流され、陰陽頭土御門久脩も尾張に追放されています。それ以降、陰陽師ゆかりの地に。あと、三河萬歳も土御門家配下でした。
takuhiro (kinosy) @Kino_see
豊臣秀吉は合計131名余の陰陽師(声聞師、唱門師)を荒地開墾という名目で尾張周辺に追放し、陰陽頭 土御門有脩を出仕停止にしました。そして区画整理として安倍晴明と陰陽師ゆかりのものを破却します。 twitter.com/tirisawa/statu…
takuhiro (kinosy) @Kino_see
私が豊臣秀吉を嫌う理由はひとえに一連の陰陽師排斥、いわゆる「陰陽師狩り」をした事。この排斥は秀次事件に伴って行われてるんだから、大河ドラマで秀吉を登場させるんならちゃんと取り上げてほしいよな。 #陰陽道
アリノリ @a_ri_no_ri
土御門久脩は「賀・安両家之内有脩一人ニ悉相殘之処」という立場だったのか。道理でこの時期、朝廷の陰陽師として久脩ばかり出てくる筈だ。でも、天皇に勅勘されたり、秀吉に追い出されたりしてるよな。 信長と家康が復帰させたが。
kan-suke(かんすけ)N @KSR621
私は、秀吉に粛清された陰陽師や仏僧のうちの誰かだと考えています。晩年の秀吉の行動からして、秀頼の父親が特定できたらその人物を生かしておかないだろうと思うので、三成や治長の可能性は低いかなと。 twitter.com/JPREKI/status/…
HARU @Earth_Utopia
日本では陰陽師が、その最たる存在だったよう。豊臣秀吉が天下統一を果たした後、陰陽師を全てお払い箱にして、でも、そのお陰で門外不出の秘儀を庶民たち相手に使った事で、大きく広まったとか... 何が功を成すかわからないね☆(。☌ᴗ☌。)b twitter.com/triviatwit/sta…
杏樹-U-TMT @anjyu_W
私非っっっっっっ常に個人的な遺恨がありまして、豊臣秀吉という歴史上の男に許、どーしても許せないことが一点あるんですがまぁ秀吉がどうにかできるもんじゃないんですけど、こんにゃろーとは思いますね(陰陽師の資料的な意味で)
杏樹-U-TMT @anjyu_W
@anjyu_W 別に、陰陽師狩りは秀吉の独断指示だとは思ってる訳ではないんだけど、 でもあれだけ五奉行とか動いてたら(長束以外は陰陽師狩りに携わってる書状がある)、やつが知らないわけがないのよな
杏樹-U-TMT @anjyu_W
【戦国公家の沼にハマろう! 土御門久脩の場合】 ・秀次事件に伴い流罪になる。なお秀吉は陰陽師狩りしてる。 ・家康の将軍就任時、祭り(天曺地府祭)を行う。  ・本能寺の変の直前に信長から1万石の所領を約束された「逸話」アリ
takuhiro (kinosy) @Kino_see
中部地方(尾張三河)は豊臣秀吉の陰陽師追放によって多くの陰陽師(唱門師も含む)がいた土地なので、その名残はたくさんあるね。>RT
安倍晴明(SEIMEI)の剣印ポーズの生みの親☆高橋圭也 @Keiya_Takahashi
豊臣秀吉に島流しにされ、徳川家康の時に中央に復帰した土御門安倍家は陰陽道の資料の多くを失い、また占いも六壬式占から易占に変えた。だから研究を始めるなら六壬からではなく、まず土御門家配下の陰陽師が使った易占やその他の占い(彼らは易占以外に他の幾つかの占い術を使っていた)が先だろう。
無面目 @hieda02rou
豊臣秀吉と豊後と陰陽師・悪い話 iiwarui.blog90.fc2.com/blog-entry-294… 陰陽師の点だけ見たら伝奇風味。農地政策の点で見たら二十世紀の独裁者達が彷彿と。 二十世紀のは思想教育もあるので完全に=ではないが、「大量に人さえ送れば楽勝w」と農業を舐めきった姿勢は同一。
リンク 戦国ちょっといい話・悪い話まとめ 豊臣秀吉と豊後と陰陽師・悪い話 800 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2008/10/19(日) 11:27:54 ID:14eHSeUh陰陽師をつかまえろ文禄二年(1593)、豊後では、朝鮮役への負担に耐えかね農民の逃散が続出し、田畠は荒廃した。大陸への出兵基地である九州での混乱をほおって置くことは出来ない。これへの対処を迫られた秀吉は、こんな命令を出した「全国の陰陽師を逮捕し、豊後につれてきて荒廃した農村に送り、定住..
ここから アリノリさんの連続ツイート
アリノリ @a_ri_no_ri
大坂城はまた野狐が出た?からという理由で「野狐ノ祈」を義演にさせているな。豪姫の狐憑きの例があるから、豊臣家は城内に狐が入ったり、鳴いたりするだけで警戒モードになるのだろうか? 秀吉が陰陽師追放もしていて心当たりはある、ってことかな?
アリノリ @a_ri_no_ri
豪姫の例と陰陽師の件から、豊臣家は「狐」に対する警戒心が強い?からの、刀剣乱舞の豊臣家ゆかりの一期一振らが小狐丸を不得手とする妄想。
アリノリ @a_ri_no_ri
@a_ri_no_ri というか、狐が鳴いた程度で大金をはたいて祈祷してしまうような事例は、この時代、貴族でも(まだ)お目にかかったことがない。多分、豊臣の狐に対する警戒感は本物。
アリノリ @a_ri_no_ri
豊臣と「狐」といえば、『多聞院日記』に聚楽第で怪奇現象が起きた話が載っていた。あれも確か「狐」だったな。 豪姫、秀次の聚楽第、淀殿(と秀頼)の大坂城。 史料上で確認できるだけでも、豊臣家と狐で怪奇ネタができるくらい揃っている。勿論、豊臣家が「祟られている」方向で。
アリノリ @a_ri_no_ri
秀吉が陰陽師の排斥を徹底して行っているから、豊臣家は狐に「対抗できない」という弱みがある。多分、そのあたりが大坂方が「狐」を恐れる原因なのだろうな。 この当時は狐が邸に入り込んだら、犬をけしかけて殺してしまうくらいなのに、豊臣家は多分、恐くてそれもできずに祈祷をさせている。
アリノリ @a_ri_no_ri
刀剣乱舞で審神者が「陰陽師」っぽいのを見掛けることがあるが、秀吉が陰陽道そのものを破壊してしまっているので、古来の陰陽道はそのときに失われてしまっているようなんだよな。 秀吉のせいで「本当の陰陽師」がいないのが今の社会。
アリノリ @a_ri_no_ri
大坂の陣を『駿府記』で読んで行くと、冬の陣の際の政宗が何度も家康の所に来ていて暇そうである。和睦交渉に入るあたりでも家康と「雑談」している様子と夏の陣のギャップが大きい。ただ、夏の陣が終わった後に家康の所で定家直筆鑑定団してるんだよな。
アリノリ @a_ri_no_ri
@a_ri_no_ri あー、でも、家康は基本的に敵方への処分が甘い方だから、伊達が大坂方の関係者を匿っているのがバレるとマズいのは、戦後に多くの処断を行っている秀忠の方だ。家康との接触を増やしておいた政宗は保身に繋がるとも言えるか。
アリノリ @a_ri_no_ri
古田織部への処分も織部が「秀忠」の茶の師匠として遇されていることからして、こちらも裁定は秀忠だろうな。秀忠の「師」でありながら、大坂方との内通疑惑とか、家中の人員による京への放火とか、許されないと思う。 茶道とか芸術とかそういうのは無関係だろうな…。
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コメント

gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年5月11日
DNA鑑定の発明される前、「この子は俺の子かよ」という疑念の話は、権力者の後継争いにまつわると実に陰惨になる。井沢元彦の「暗鬼」という短編は、だれでも知ってる超有名戦国武将の、実際の歴史、行動ともうまく絡めた実に傑作でした。/そしてTの書いたAという架空歴史小説(アニメにもなった)は、この実子の問題が絡んできますよね。後半になって明かされるのでイニシャルトークですが…
arabiannightbreed @a_nightbreed 2016年5月11日
実子の疑惑と言えば本邦で最古は木花佐久夜毘売の逸話かしらねえ?
arabiannightbreed @a_nightbreed 2016年5月11日
話中に登場した義演と言えば思い出す、有馬て大坂城に打ち撃ち込まれる砲声を肴に、茶会だか宴会だかを開いていたヤな坊主
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年5月11日
日本史における「この子は本当に俺の子か」問題といえば、後円融天皇、後小松天皇、足利義満…の一件があるのを思い出しました。 http://okwave.jp/qa/q928614.html
だれがカバやねん @nande_sounaruno 2016年5月11日
鳥羽天皇は待賢門院璋子が産んだ後の崇徳天皇を「叔父子」と呼んで白河法皇の子ではないかと疑っていたというのもありましたね。角田文衞の『椒庭秘抄-待賢門院璋子の生涯』 はめちゃくちゃ面白かった。
hide @samayoumono 2016年5月12日
山田風太郎『妖説太閤記』の世界ですね
gryphon(まとめ用RT多) @gryphonjapan 2016年5月12日
関連してブログに記事を書いてみました。【「この子は本当に俺の子?」王も庶民も、過去に男が逃れられなかった疑念と悲劇~井沢元彦「暗鬼」や豊臣秀頼の話 - http://d.hatena.ne.jp/gryphon/20160512/p4 】
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