古代常陸と畿内との関係(常陸国風土記から妄想中)

常陸国風土記を読んでの妄想。 常陸国は、7C半ばまで、複数の国だったようです。 4C頃、畿内の方から人が来て、5Cくらいに一度断絶したのかも。 ヤマトタケルが「天皇」として多数登場。
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平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

関係ないですが、風土記を読み始めました。武蔵国風土記は、逸文すら残ってないのか……残念。 常陸の国から。

2016-04-26 21:03:31
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

古の天皇にまつわる地名説話が多いのと、景行天皇の逸話が残っているのは、日本書紀と同じ流れですね(古事記では、景行天皇は全国征伐(?)はしないので)。 @hira_sail

2016-04-27 08:43:21
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

印象としてですが、天皇の名前としては、崇神~応神天皇と、継体天皇以降の天皇が出てくる印象。 崇神~応神天皇は、古事記の上つ巻に出てくる天皇ですね。 古来の伝承っぽいのもちらほら。 妖怪「すだま」が出てきました。 @hira_sail

2016-04-27 08:51:31
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

間違い。古事記の「中つ巻」でした。 @hira_sail

2016-04-27 09:15:03
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

ヤマトタケルのミコトは、「天皇」として出てきます。 古事記では、親の景行天皇に疎んじられて東西征伐に。 日本書紀では、景行天皇自身も親征した上で、ヤマトタケルのミコトも頼りにされて。 常陸国風土記では、天皇として。 このあたり、設定の混乱が。 @hira_sail

2016-04-27 09:03:48
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

常陸国風土記にヤマトタケルが出てくるのは知ってましたが、おそろしくそこら中に出て来るので驚いてます。 数をカウント中。 ちょっと弘法大師伝説みたい。 @hira_sail

2016-04-27 08:24:29
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

古くから諸地方に残っていた英雄伝説を取り込む際に、混乱が発生したのでしょうか。 @hira_sail

2016-04-27 09:05:11
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

ん? 昔は、足柄から東は全部あずまの国と呼ばれていて、孝徳天皇(飛鳥時代。紀元650年くらい)の時に八つに別れたとありますね。 ヲワケの臣の頃(5C後半)は、まだ武蔵国とは言わなかったということ? :常陸国風土記 @hira_sail

2016-04-27 15:23:16
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

当時の東国八国というと、上野、下野、常陸、上総、下総、武蔵、相模、安房になるのかなあ……。 それとも、毛野、常陸、総、武蔵、相模、安房、陸奥、出羽なんだろか? :常陸国風土記 @hira_sail

2016-04-27 17:50:58
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

陸奥は風土記逸文が残っているので、入っているのは確実そう。 最初の案から安房抜いて陸奥入る? 八国にどこが入っているのかで、当時の常陸国の人が見ていた景色が違いそうなんですが、明記なし。残念。 @hira_sail

2016-04-27 17:56:02
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

ヲワケの臣の頃、武蔵国がまだ無かったとすると、秩父国、入間国、足立国、埼玉国とかに分かれてたのかな……。どうだろ? (常陸国は、新治国、筑波国、行方国などに分かれていたとのこと) @hira_sail

2016-04-27 18:01:59
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

なんとなく示唆的なのは、東国における古墳の終焉が(7C末)、常陸国風土記でいう八カ国の確立(7C中)後に起きている(?)ということ。 地元勢力(畿内からやってきて土着してしまった勢力も含)がここで完全にヤマト王権に取り込まれたのかもかも(妄想中)。 @hira_sail

2016-04-27 18:22:34
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

筑波山の歌垣(かがい) 足柄から東の男女が集まって、歌を交わして相手を探すとある。 ちょっと集まっている範囲が大げさなのかも知れないですが、当時の婚姻の風習ってこうだったのでしょうか? @hira_sail

2016-04-28 07:23:48
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

歌垣は、うたがき または かがい と地元の人は呼んでいるとあります。 歌の事を「うた」または「か」と呼んでいたらしきことが分かります。 中国語の音も、大分定着していたのでしょうか? @hira_sail

2016-04-28 08:10:04
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

Wikipedia 「歌垣」 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C… 中国南部や東南アジアに風習が残っているとあります。 このあたりと共通する文化となると、結構古い時代からやっていたと見るべきでしょうか? 大阪にも「歌垣山」「歌垣村」があります @hira_sail

2016-04-28 08:17:26
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

歌垣。 Wiki には、言葉をお互いに掛けあって、相手より言霊の強いほうが勝ち、というような記述もありましたが、アイヌにも似たような風習があったような @hira_sail

2016-04-28 08:22:00
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

歌垣の他にも、筑波山には皆が登って宴会するのに、富士山は雪に閉ざされている理由を説明した説話が載っていました。 結構古い時代から山に登ったり、そこで飲食したりという風習があったことが伺えます。 山頂には神様が居るのですが、そこは構わないようです。 @hira_sail

2016-04-28 08:26:26
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

富士山や足柄は出てくるのに、飛騨の方の山とか、碓氷峠らしき描写がでてこないのは、常陸国にとっては、東海道が主要な交通路だったということでしょうか? 東山道に属する武蔵国は、同じ東国でも遠い国だったのかしらん。 @hira_sail

2016-04-28 08:32:25
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

毛野川(今の鬼怒川と思われ)が出てきます。 古代に、上野(かみつけ)、下野(しもつけ)あたりが「毛野」と呼ばれたらしき名残でしょうか。 筑波の地名説話には、筑波は紀の国(毛の国?)と呼ばれていたのを改称する話あり。 毛野から切り取ったのかもと、漠然と。 @hira_sail

2016-04-28 08:43:46
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

常陸国風土記(続) 数え落しがあるかも知れませんが、記載の天皇一覧 崇神 6 垂仁 1 景行 2 倭武 15 成務 1 神后 2 応神 1 継体 1 考徳 7 天武 1 持統 1 天智 3 年代を示すために出てきたら1、訪問地、命名地ごとに1とカウント @hira_sail

2016-05-10 09:35:47
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

前にもちょっと書きましたが、倭武(ヤマトタケル)のミコトは、常陸国風土記では天皇扱い。圧倒的人気です。 崇神〜応神天皇は、ほぼ地名説話と国造の血筋の起源で登場。 登場回数2位の孝徳天皇は、東国を8つの国に区分したとのこと。郡の設立のくだりでよく出てきます。 @hira_sail

2016-05-10 12:02:24
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

常陸国風土記では、ヤマトタケルのミコトの奥さんが常陸国を訪れて一緒に狩りをしたりしているのがちょっと面白いです。 @hira_sail

2016-05-10 12:15:39
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

所謂「河内王朝(応神天皇〜武列天皇?)」の天皇が殆ど出てこないのも一つの特色かも。 応神天皇は一箇所だけ出てきますが、国造の祖先が、「神后皇后に応神天皇が産まれるまで仕えた」との記述で出てくるだけですので、出てこないと言ってもよいくらい。 @hira_sail

2016-05-10 12:26:41
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

崇神天皇〜神功皇后は、地名説話の登場が多く、昔度合いを示すために引用されたのかと思えます。 「河内王朝」の天皇は、昔度が足りないと思われていたのか、それとも、常陸国ではあまり知られていなかったのか。 稲荷山鉄剣の雄略天皇が出てこないのは、ちょっと不思議です @hira_sail

2016-05-10 12:33:30
平帆⛵(ひらほ🔨) @hira_sail

常陸国風土記の「河内王朝」が出てこない件、もしかすると、この時期、東海道が廃れていたのかもと妄想中。 一方でこの時期のワカタケル大王の名が入った鉄剣が武蔵国で出土します(続) @hira_sail

2016-05-11 08:42:46