鯨供養碑と仔鯨殺しに見る日本人のクジラ観の多様性
- kamekujiraneko
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わが子を失った悲しみで打ちのめされた母クジラ、力を失くした姿が目撃される ift.tt/1OG6jBI pic.twitter.com/WZjgfhnoMI
2016-01-24 13:14:41ゾウでもあるし別に不思議ではないけど。むしろエスコートの雄(おそらく父親ではない)の方が興味深いね。仔鯨をじゃんじゃか殺してる鯨研のスポークスマンが見たらまたトンデモコメント発しそうだ。。。>RT
2016-01-25 00:11:48繁殖率の低さをカバーするために社会性を発達させ少産でも生残率を上げるのがKタイプの鯨類の戦略。手塩にかけて育てる母性愛のリバウンドであり、リセットのためにも必要なのが悲しみの感情。自然の理には適っている。社会性サルの一種・ヒトの感情が発達した仕組みと別に変わらないよ・・
2016-01-25 00:27:37ケンタのチキン感謝祭と変わらん(でなきゃサベツだしね・・)。残念ながら太地は乱獲規制も動物福祉への配慮も自発的にできなかった。海が赤く染まって騒がれちゃ困ると気にしただけ>クジラの恩恵に感謝 太地の供養祭に関係者ら150人 sankei.com/region/news/16…
2016-05-11 18:40:01死因はコビレゴンドウが心不全、オキゴンドウとハナゴンドウが溺死、バンドウイルカが肺膿瘍(引用)>動物に感謝し職責確認 くじらの博物館で供養祭 太地町|熊野新聞(4/3) kumanoshimbun.com/press/cgi-bin/…
2016-04-02 22:47:05【異常に多い死亡数/太地町くじらの博物館】 textream.yahoo.co.jp/message/183457…
2016-04-02 22:47:42鯨供養も同じだけど、「供養すればいい」で思考が止まっちゃうんだよね。これが日本の現状なのに・・>バタリーケージ:日本の状況を知ろう hopeforanimals.org/animals/tamago… h6.dion.ne.jp/~nobo/sub7.html twitter.com/magonia00/stat…
2016-05-10 23:58:09ケンタッキーは年に一度、西日本(大阪・住吉大社)と東日本(東京・東伏見稲荷神社)でそれぞれ「チキン感謝祭」という、鶏への感謝と供養の祭事を行っていたりする pic.twitter.com/qCZy1p7M7N
2016-05-10 20:02:13この間日本遺産に登録された「熊野浦の捕鯨文化」のリストには那智勝浦町の「魚霊供養碑」も載ってるよ・・ wakayama-kanko.or.jp/information/wp… twitter.com/seafood_smart/…
2016-05-21 00:40:19紀伊民報 日本有数のマグロ基地 勝浦漁協が経営不振で解散 遠洋マグロ漁船大型化を目的に組合員への資金貸し付け枠を拡大 廃業が相次いだため、多くが不良債権に bit.ly/1WEAYFC #シースマ pic.twitter.com/rfX5vPHL0f
2016-05-19 08:48:09魚の供養塔の8割は明治以降に作られたものっていうのを読んだけど他の生き物供養塔もそんな感じなんですかね 生活が豊かになると細かい生き物の魂にも気が回るというか
2017-08-13 15:31:00対象ごとの塚の数でクジラよりウミガメと魚類の方が多いのが面白いね。鯨供養碑の建立理由は様々。捕鯨と無関係のも少なくない。詳細はこちら>鯨供養碑と仔鯨殺しに見る日本人のクジラ観の多様性 togetter.com/li/977982 twitter.com/ruru_e/status/…
2017-08-14 19:04:30(承前)リンク先HPのリストに説明がない京都の在胎鯨子塔についての解説はこちら。「ザトウの親子を殺したけど、後で悔恨のあまり食べるのやめた」と供養碑にはっきり記されてたりする。>kkneko.sblo.jp/article/175388…
2017-08-14 19:07:58(承前)この2件も非常に興味深い。前者は明治から昭和にかけて従事した函館の近代捕鯨事業者(砲手)が建立。後者は三重県の江戸中期のもので、同様の逸話は他の地域にもある。>tmap1.topicmaps-space.jp/kuyo/instance.… tmap1.topicmaps-space.jp/kuyo/instance.…
2017-08-14 19:19:45捕鯨協会の口にする「供養」は工業試験片や文字に対するそれと実質的に差がない。自律につながる要素が欠片もない、ただの儀式(形式)にすぎないんだもの>RT
2017-08-15 19:12:42(承前)こちらは「下関市くじら食文化を守る会などが建立」(引用)。南極海を含む乱獲に一番責任ある地といえる下関だが、にもかかわらず、それ以前の他の多くの鯨供養碑と異なり、開き直りオンリーで「懺悔」の意思が微塵も感じられない tmap1.topicmaps-space.jp/kuyo/instance.…
2017-08-14 19:24:53そう言えば松崎憲三氏の「寄り鯨の処置をめぐって」に豊後水道を挟んだ両地域(大分側・愛媛側)双方に「飢饉だったために、あるいは学校建設のために入札したり食した地域がある一方、絶対に口にしないという地域もあり、この点では両地域とも共通している」(54p)という指摘が興味深かった
2017-08-14 20:07:50大雑把に言うなら西日本では概ね捕鯨が盛んで(太地・古座・土佐・有川・平戸を始めとする西海)鯨肉食も浸透しているイメージだったのだが、実はミクロ的に見ると食す地域とそうでない地域はモザイク状になっていたのかもしれない
2017-08-14 20:17:16「関東以北では房総半島など例外的な地域を除いて、鯨肉食が普及したのは明治以降の比較的新しい時代であること」(くじら取りの系譜 中園成生 5p) とされる東北でも局地的にはいわきで捕鯨が行われていたし(鯨肉が食されていたかは不明だが)東北でも他に食す地域が有ったかもしれない
2017-08-14 20:26:01勿論一方がもう一方の存在を打ち消す訳ではないが、中園氏が言う所の「古式捕鯨業時代」においてはこの両者は同時に存在していたわけだな(或いは「近代捕鯨業時代」の初めの方においても)
2017-08-14 20:29:55房総半島ではないが、浦賀水道を挟んだ三崎では「流れ鯨は祟る」といい、海豚の追い込み漁が行われていた伊豆では寛政六年(1794)に「寄り鯨を拾うと不漁になる」という俗信から捕鯨反対請願が行われている(くじら取りの系譜 中園成生 158p) これも一種モザイク状になっていないだろうか
2017-08-14 21:37:58こうしてみると伊豆は少し複雑に感じるな 今手元にないから確認できないが渡邊洋之氏の「捕鯨問題の歴史社会学」で確か伊豆だったと思うが、海豚は食べるが鯨は食べないという鯨肉食に関するアンケートの回答があった記憶がある
2017-08-14 21:41:49