- chan_watashi
- 801
- 0
- 0
- 0
ワタシ・チャン
@chan_watashi
「今」や「私」が語としてなりたつためには、つまり、言語が言語として成立するためには、言語に収まらない現実性が必ず必要である。
2016-06-15 06:54:02
ワタシ・チャン
@chan_watashi
「今」について考えてみると分かりやすいだろう。「今」とはいつのことか。「今」とは発話時である。これは正しい。正しいのではあるが、これだけでは、全ての「今」が発話時を指すのであるから、「今」の意味は全ての可能な発話時、すなわち全時点に拡散するはめになってしまう。
2016-06-15 06:57:51
ワタシ・チャン
@chan_watashi
「今」が語として成立するためには、「今」は単なる可能な発話時ではなく、「現実の」発話時でなければならない。しかし、「現実の」発話時であることもまた、全ての「今」にあてはまるのでなければ、「今」はまた語としての用をなさない。
2016-06-15 06:59:51
ワタシ・チャン
@chan_watashi
ここで、「現実」の複層可が要請される。全ての「今」が「現実の」発話時であるならば、「現実の」発話時であることもまた、それだけでは「今」を特定の発話時と結びつける力を持たないことになる。
2016-06-15 07:03:17
ワタシ・チャン
@chan_watashi
しかし、ともあれ、私(たち)の言語では「今」という語が機能している。そうであるからには、「現実の」などと概念化する以前の(概念化とは無縁の)「端的な」発話時が要請されるはずではあるが、これはもはや、言語では言えない(しかし言語の意味には含まれている)世界の秘密である。
2016-06-15 07:07:23