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福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
生徒は、何を学んでいるか分からない。 教師は、何を教えているか分からない。 これが、国語教育現場の実態。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
その最大の要因は、「話す力・書く力・読む力・聞く力」という分類にある。これは、たとえるなら〈運動能力〉を「野球力・サッカー力・バスケ力」などと種目別に分けているようなもの。分類しているようで実は分類できておらず、総合的で、つかみどころのないもの。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
〈運動能力〉の実体とは、「走る力・投げる力・跳ぶ力」などの原初的能力であり、それらを個別的に分けて意識すればこそ、それぞれの能力を高めることができる。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
では〈国語力〉ならばどう分類すべきなのか。その答えは、次のとおり。 ①「言いかえる力」――同等関係(抽象・具体の関係)を整理する力 ②「くらべる力」――対比関係を整理する力 ③「たどる力」――因果関係を整理する力

私たちは、言いかえながら話し、言いかえながら書き、言いかえながら読み、言いかえながら聞く。
私たちは、くらべながら話し、くらべながら書き、くらべながら読み、くらべながら聞く。
私たちは、たどりながら話し、たどりながら書き、たどりながら読み、たどりながら聞く。
そういうことである。

福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
これら「3つの力」はすなわち「論理的思考力」(=思考技能)であり、これこそが国語力の実体。これらはスポーツと同じく年齢差があまり影響しない。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
そして、こうした明確な定義があればこそ、考える力を数値化することが可能になる。

「論理的思考力(思考技能)」という太陽を意識すれば、「話す力・書く力・読む力・聞く力」という惑星は、どれも一度に輝き出す。

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2014年11月20日の中央教育審議会諮問以降、教育界では「アクティブラーニング」という言葉が強調されている。これは、教師が積極的に教育するのではなく、児童・生徒の積極性を重んじその自主的活動を見守るといった姿勢を表す言葉。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
一方、児童・生徒の自主性を過剰に重んじるあまり、教育すべき内容が十分に指導されないままになることが危惧される。その最たるものが、国語技能。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
国語技能の習得には、なぜ「積極教育」が必要なのか。それは、母語というものが無意識のうちに身についてしまうものだから。国語技能は、系統的な教育があって初めて意識的に学べるもの。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
国語技能検定は、その系統性を具体的に示すものであり、「アクティブラーニング」へのアンチテーゼでもあるわけだ。 docs.google.com/forms/d/11m8HK…
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「考える授業」と「考える力を伸ばす授業」は異なる。世の中の「考える力を伸ばす授業」と呼ばれるもののほとんどは、考える力を伸ばさない。それは単に(無意識に)「思考する授業」に過ぎない。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
大切なのは、「思考技術を体系的に与え、それらを意識的に使えるまで練習させる」こと。ただ思考させればいいのではない。スポーツでも料理でも音楽でも美術でも演劇でもなんでも、全く同じこと。技術を与え、その技術を使いこなす能力(=技能)を高めさせること。これが肝心。
福嶋隆史/著書61万部/ふくしま国語塾 @FukushimaKokugo
そのためには、アクティブラーニングなんぞをやっている場合ではない。
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