【図説】村正展@桑名市博物館の感想・個人的見どころまとめ

村正展ばんざい。 こんなところがすごかったな~、面白かったな~という感想を、周辺知識と一緒にまとめました。 役に立つほどのことは言ってませんが、展示を見たり思い出したりする楽しみの一助になれば嬉しいです。 刀剣乱舞のネタもちょっとだけ含みます。
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てけ @taka_koro

☆神立神社の奉納刀&剣 剣の目釘穴が片側に寄っている点チェックされてました。小ぶりだが太刀銘が切られた”太刀”であること、剣の作は非常に珍しいこと以外に、面白かったのが「他の刀に比べて銘字が弱々しい。この頃には、もう歳だったんじゃないか」というお話。

2016-10-08 21:47:51
てけ @taka_koro

神舘神社は村正屋敷跡から徒歩10~15分位のお社なので、晩年あの場所に住んでいた可能性とも符号するなって想像が膨らんだりとか。 pic.twitter.com/VSSACNpwnk

2016-10-08 23:15:46
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てけ @taka_koro

あと「この刀のように¨州¨¨■(異体字/刀3つ)¨と切る銘は新刀期以降にしか見られないと佐藤寒山先生は言っていたが、室町にもあったことが分かりつつあります」って豆知識も面白かったです。 そして図録見返してみたら漆塗り正重×2の展示番号22は■23は州だ…なんで変えたんだろう…

2016-10-08 23:24:48
てけ @taka_koro

《③星川神社の村正(刀)》 先述の通りのお手本村正。これがね、5cmの至近距離+ライティングの良さか、もんのすごく見やすかったです! 単眼鏡いらずで地鉄も刃中の粒子も見せちゃうよ~よく覚えてこの後回ってね~とばかりの…!「日本刀は手で持って見ると全然違う」の片鱗が味わえます。

2016-09-21 01:43:41
てけ @taka_koro

い、いいの?所有者でもないのにこんな見ちゃっていいの?ってびびりつつガン見してきましたありがとうございます。 目釘穴の位置的にかなり磨り上げられてると思うんですが、ぎりぎり銘が残って大磨上になってないのも嬉しい。

2016-09-21 01:44:28
てけ @taka_koro

《④東博の村正(刀)》 目釘穴が2つあって多分それなりに磨り上げられてはいると思うんですが、茎が比較的スラッと長くバランス良い姿でした。 手元近くはほとんど刃が見えないくらい焼き幅が狭まって緊張感あります。そこから切先近くがフワッと明るくなって、ゆらゆら掃きかけ入るのがセクシー

2016-09-21 01:47:38
てけ @taka_koro

梵字は広目天・増長天を表す「ビ」の字に見えるんだけどどうだろう…梵字詳しい方教えて下さい…。 pic.twitter.com/aXlBO8Nnnh

2016-09-21 01:53:05
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<講演会追記>

てけ @taka_koro

☆展示番号④ 東博村正 そんな訳で図録にもキャプションにも書いてないけど、こちらも有栖川宮家→高松宮家に渡った刀。どうして東博のこれについてはその話がほとんど出てこないのか、むしろそっちが気になりますね。 twitter.com/taka_koro/stat…

2016-10-10 09:12:14
てけ @taka_koro

あっ報告忘れてたけど東博村正の高松宮寄贈の件も裏取れました ワーオ tnm.jp/modules/r_exhi… pic.twitter.com/8vGuikE2lc

2016-10-04 23:05:27
てけ @taka_koro

《⑤家康遺刀の皆焼村正(刀)》 へし切長谷部の皆焼が花吹雪だとしたら、徳美の村正は太陽のフレア。 それはもうド派手に乱れてて&常に前に人がいて、細部の鑑賞どころじゃなかったです…笑 「不吉だと所持を禁じたはずの家康が持っていた村正」ってことで、妖刀伝説への反証としても貴重な一振。

2016-09-21 02:04:18
てけ @taka_koro

身幅が広く反り浅く、どっしりした逞しい姿。文亀年間(1501-1504)ごろの作とみられるそうで、時代的には毛利元就(1497年生)あたりと同年配ですね。 とにかくすごいオーラでした。なのに銘の形がちょっとおぼつかないのがギャップ萌え。

2016-09-21 02:05:21
てけ @taka_koro

あとこの刀に纏わる話で 「尾州の刀剣記録に『疵物であり潰し物になるべき』と書かれたが、実際は健全。妖刀伝説の影響の不当な評価か」 って話をちらほら聞くんですけど、よく見たら確かに切先の棟にちょっと目立つ疵があるんですよね。潰し物になる程ではないと思うんですけど、気になったのでメモ

2016-09-21 02:08:11
てけ @taka_koro

(余談。 若い男性2人の刀剣ファンぽい人が隣にいたんですが、この皆焼村正見ながら非常にナチュラルに「パンツ履いてないなぁ…(=ハバキついてないな)」「な。」ってボソッと呟いたのが聞こえて展示室で吹くところでしたつらかった >>>パンツ履いてないなぁ<<<)

2016-09-21 02:10:48
てけ @taka_koro

(例のハバキ=パンツ説、刀装着けるときにはハバキを刀身保護のためにまず着せて、その後切羽・鍔・柄etc...と整えていくって意味ではなるほど「刀の下着」かもなあと、わりと真面目に言い得て妙と思ってるんですが、それはそれとして不意打ちで聞くとパワーワードすぎてほんとだめww)

2016-09-21 02:11:41
てけ @taka_koro

☆展示番号⑤ 皆焼村正 解説で一番ぎょっとしたのがこれ。銘の形不思議だけど、まさか天下の徳美さんの鑑定疑う訳にも…と思って↓みたいな書き方したんですが、福井先生あっさり「素直に見ますとこの銘は\ブッブー(手振り)/ですね」と… twitter.com/taka_koro/stat…

2016-10-10 09:17:17
てけ @taka_koro

「ただし改竄などの細工をした感じはなく、茎の仕立ても初代に似ている。もしかしたら本家筋でない、別系統の村正がいたかもしれないですね」とフォロー。また ・末古刀の非常に出来のいいものであることには違いない ・村正銘の刀を徳川家が持っていた、これが重要 と添えられていました

2016-10-10 09:26:02
てけ @taka_koro

(加えて、尾張徳川家に伝来した二振りの村正のうち一振りがこれ、もう一振りはどうやら処分されてしまったよう、とも。切ない…徳美に残ってくれた有難さがなお沁みます)

2016-10-10 09:29:09
てけ @taka_koro

《⑥勤王の村正(刀)》 維新~明治初期に、討幕の東征大総督・西南戦争の総督・陸軍大将を歴任した、武闘派皇族・有栖川宮熾仁(たるひと)親王の佩刀と伝わる刀。 こちらは⑤の対照、「徳川を祟る妖刀」として討幕の願をかけられた村正の代表に上がる一振ですね。

2016-09-21 02:14:07
てけ @taka_koro

(とうらぶ的に言うと、ソハヤの幕府守護の霊力を打ち破った刀の一振ってことになるのかもしれないですね。西方を睨むソハヤと東征する村正。熱い)

2016-09-21 02:15:24
てけ @taka_koro

図録p.45に曰く、二代目村正の典型作とのこと。 パッと見は互の目…?いやのたれか?ってくらいのゆるやかな刃文なんですけど、よく見ると一つの山の中に複雑な波があったり刃縁にほつれ?が見えたりして、一筋縄ではいかない面白い刃でした。今回の手に取って詳しく見たい刀No.1。 pic.twitter.com/xUG8ApP7DA

2016-09-21 02:23:17
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てけ @taka_koro

勿論美しいんだけど、わりとパツンと茎が詰まった印象で、相対的に優美な印象の刀ではなかったです。武骨な村正の中にあってもそう思うんだから、やっぱり本来「宮様のみはかし」になる品ではないんだろうなあと。 それがかえって討幕の験担ぎに信憑性与えてる感じで、なんだか感慨深かったです。

2016-09-21 02:29:46
てけ @taka_koro

刀の奥には特別出典、熾仁親王の御親筆「寄松祝(松の祝いに寄す)」も一緒に展示されてました。 有栖川宮家は歌道と書道の家、熾仁親王ご自身も奥義を極められて、明治天皇の師範を務めてたとのこと。

2016-09-21 02:40:13
てけ @taka_koro

その署名の、熾の字が美しくてね…!字義に「赤く燃える炭火」があるらしいんですけど、あかあか熱を孕ませた炭に空気を送った瞬間の、フワッと燃えたつ炎が見えるような、目に焼き付く一字でした。

2016-09-21 02:47:20
てけ @taka_koro

(あと大奥絡みでは有名なエピソードだと思うんですが、熾仁親王と和歌の話。→)

2016-09-21 02:48:42
てけ @taka_koro

熾仁親王は皇女和宮の元婚約者で、彼女が幼い頃から和歌を教えてた  →幕府のゴリ押しで婚約解消・和宮は悲嘆の歌を詠みながら将軍家茂に嫁ぐ  →そんな始まりでも和宮と家茂は良好な夫婦仲を築くが、長州征伐出陣中に家茂病死  →夫の死を嘆いて読んだ歌が切ない秀歌として有名 っていう)

2016-09-21 02:50:07
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