『聲の形』を批評家たちはどう捉えたか
一連のツイートは、『映画 聲の形』に反応するツイートに対するぼくのツイートであって、『映画 聲の形』のことを直接は指していないのだけれど、一応フォローすると、「いじめられた人間」が「いじめた人間に恋をする」ところだけを取り上げて批判するのもフェアじゃないなと。
2016-09-21 16:29:25いじめに加担した主人公が、のちにいじめの被害に遭って、その「加害・被害」の重なり合う状態のなかで、過去に犯したいじめを謝罪し、自身に対してそれを行った人たちに対する心理的葛藤を解決する、っていう話でもあるからね。
2016-09-21 16:37:39映画としていい出来である(感動する、芸術性が高い、高度に技術が洗練されている)と、その「描き方」や「その映画が流通することに対する現実での効果」に問題があるという指摘は、両立する。『映画 聲の形』は、実物は相当複雑なので、観た上で問題点と良いところを検討するといいかと思う。
2016-09-21 16:46:12『映画 聲の形』を見ながらずっと頭にあった疑問は、「何故この世界の人たちは、報復を行わないのか」だった。ヒロインが許すのは百歩譲って、菩薩のようなありえない人格のファンタジーとして許容しても、みんなにそれがない、それが実行されない世界観は謎。報復と制裁は、なされなければならない
2016-09-23 11:28:34被害を受けたら報復しなければならないし、被害を与えたら罰を受けなければならない。それは機械が執行するように厳密な作動が必要なことで、それがないと、相互確証破壊的な抑止力は維持できないだろう。「許す」「曖昧にする」などというのは、あまりに加害者側に都合の良いファンタジーよ。
2016-09-23 11:31:47.@SakurachaDays 軽重の差はあれど、列記すれば、西宮→石田、植野、河合、島田、その他クラスメイト 佐原→石田、植野、河合、島田、その他クラスメイト 石田→植野、河合、島田、その他クラスメイト、竹内。かな。主要人物に限定しても。
2016-09-23 15:35:13現実が当たり前にそうであるように、フィクションの世界においても公平世界仮説は絶対の真理でもなければ必然でもなく、むしろ誤り。そしてそれこそが「聲の形」という物語の本質のひとつだろうと思いますぬ。 twitter.com/naoya_fujita/s…
2016-09-23 11:59:04.@sora_papa 「公平世界仮説」が現実でも事実ではなく、この作品はそのエグさを突きつけた、というところまでは、そうであると思います。しかし、現実では、警察なり司法なり、前近代でもあだ討ちなり、「それを実現させようとする主体」がいます。作中にそれがいないのが、不思議なんです
2016-09-23 15:36:46「聲の形」を、どうしても罪と罰と裁きの公平世界仮説にもとづいた世界観で読み解きたいなら、こうなる(なってしまう)、というエントリもあります。 / “将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説: なぞ解き・聲の形” htn.to/rtEPwN
2016-09-23 12:22:24この説も、作品の精神的構造としてはそうだと思うんだけど(『エクソシスト』の神父=石田的に描かれてたし)、しかしね、他人の罪を誰か一人が肩代わりすることそのものがおかしいのよ。「将也だけが罰を受けすぎ? あるいは将也=キリスト仮説 koenokatachi.seesaa.net/article/420211…
2016-09-23 15:41:37仏教的な解釈による「因果応報」を根拠にする説も、同様に間違いであると思う。現実は、キリスト教の世界でもないし、仏教の世界観の世界でもないので、犯した罪を誰かが肩代わりで贖罪できないし、行った罪の報いがどこかで「別の形」で来るということもありえない。
2016-09-23 15:43:48川井と島田が最もタチが悪いかな。前者は、実行した悪と罪の記憶を塗り替えた挙句、被害者面で加害を行い、その報いは一切受けず幸福になっている。後者は、映画ではほとんど報いを受けていない。この二人のような「人間がいる」し「野放しになる」ことを描いたこと自体は、リアリティあるよ。
2016-09-23 15:54:09「被害者なのに加害者意識を持っている」西宮、「加害者なのに被害者意識を持っている(多少は贖罪の意識もなくもない)」植野の対比、「加害者であり被害者であり、贖罪しようとしている」石田、「加害の記憶を塗り替えて被害者意識を持つが介入する」川井、などの配置は構造的に綺麗なんだけどね。
2016-09-23 15:57:29@front_extinct 国に喩えたら、北朝鮮やら中国やらロシアやらアメリカから一方的に空爆されまくってボコボコにされて報復しないで許しちゃう話ですよ。
2016-09-23 16:01:15そもそも、キリスト教徒でもないし、仏教徒でもないぼくらが、作中のそのような宗教的なロジックに納得しなければならない謂れはないわけだし。「行った加害」の「被害」の度合いに応じた「罰なり補償」があるべきだとぼくは思うよ。被害・加害の認識の個体差ゆえの困難を描いたのは評価するけど。
2016-09-23 16:06:39一応、『映画 聲の形』に関して言えば、ぼくは、西宮さんと石田くんの恋愛関係そのものを「描いたからダメ」っていう立場には立たない。障害者があんなに美少女で何でも許す都合の良い存在として描かれるのはどうかと思うが(いじめによってDV被害者的なメンタリティになってるのはわかるが)
2016-09-23 17:29:28しかし、それでも、大半の現実においては、加害者は被害者に謝罪すること、贖罪するということは、ないわけだ。そこにおいて、「加害者でもあり被害者でもある」石田くんが、ちゃんと贖罪をしようと努力したこと(それを主軸にした物語を展開したこと)は、良いと思うんだよね。
2016-09-23 17:31:12西宮・石田の恋愛(いじめの被害者と加害者の恋愛)そのものを描くのはいいんだよ。DV夫婦とか、共依存関係とか、ストックホルム症候群とか、そっち方面の歪な関係性によって成立しているので(その成立自体は現実でもよくあること)、今後、多大な困難、長期カウンセリングを必要とするだろうので…
2016-09-23 17:45:33恋の成就や、エンディングを、「希望」「救済」「ゴール」と捉えられるように映画は出来ているけれども、表面上は華やかに見せながら、あの後に延々と続く、その後の日常における困難の悪夢的な地獄の入り口のようにも見えるので…… まぁ、そこは、解釈次第ですな。
2016-09-23 17:49:55原作、脚本、監督、そしてスタッフロールにたくさん並んでいた女性たちみなが作り上げた作品として見た場合、人生経験その他から推測し、そのことが理解されていない作品とも思わない。それをわかっていつつ、なお、ああいう表現をした意図だよねぇ…
2016-09-23 18:19:19あんな長期間のいじめを受け、自殺を試みるほどの複雑性トラウマではなかろうかと思われる二人が、作中で描かれた程度の内容で回復するとは思えないし(多少は治療効果あっただろうけど)、自殺の試みがピタっと止まるわけでもなかろうに。それもわかっててのあのラストなら、痛ましく皮肉でもあるよ
2016-09-23 18:23:45過去と直面するグループセラピーの内的過程の象徴として映画全体を捉える見方もあるんだけど、そうすると、明らかに石田くんの治療が中心で、より深刻であろう西宮さんを軽く扱っているんじゃないの的な批判に正当性が出てきちゃう
2016-09-23 18:33:30『映画 聲の形』は、西宮が、被害者だと思ってなくて加害者だと思ってるから、被害・加害の話でもないし、許しの次元の話でもない、という意見は、無理でしょう。被害者が加害者と思い込まされ自責の念を持つこと自体が、いじめや虐待の結果生じる脳へのダメージによって生じてるんだから。
2016-09-24 00:18:43まず「なぜ許すのか」というのは読めてない。西宮は「努力によって障害によるコミュニケーションの困難を克服できる」と「信じている」(でなければ自分は一生このままだという現実に押し潰されてしまう)ので、加害者を加害者と認識できていない、そもそも許す/許さないの次元に立ってないんだから。
2016-09-23 11:44:54扱ってる事象は違うけどパラリンピックの選手の話とか見るとハンディキャップを持つ人の中には極端な自己責任思想で自分を鼓舞している人わりといる印象あるし、そんなない話でもないと思うけどね。
2016-09-23 11:47:43