大東亜戦争末期の食糧事情と継戦能力
- hirataitaisho
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石炭に限らず銅山なども日中戦争辺りからの乱掘で生産量が低下したところも多い。本来なら数十年採算の取れたはずの優良な鉱脈を採り尽くしてしまった。
2016-10-12 17:46:11斎藤美奈子『戦下のレシピ』によると1945年は天候不順で前年比40%減の空前の凶作と供出意欲を失った農家の米の出し渋り(目標値の30%)、朝鮮・台湾からの移入米の途絶によって翌年の秋までどん底の食生活になったとある。
2016-10-12 13:32:27食糧の不足と農業の失敗の影響は即時に表れるものではない。そのため油断しがちである。実際には即座に手を打って仕事を始めないと気づいたときには手遅れとなる。何故なら植物は工業製品と違ってある程度の時間と気象条件が必須だから。人間が兵器を作るようにはいかない。
2016-10-12 16:15:07例えば秋蒔き小麦には冬の低音が必要であり春に蒔いても穂が出ない。しかし必ずしも時宜にあった種子が供給されたり指導がなされるとは限らなかった。
2016-10-12 16:21:00更に当時は国内だった安い朝鮮と台湾からの移入米との価格競争にさらされた内地の農家では米の栽培を止めて他の換金作物(タバコ)などへ切り替える者も出た。農業政策は戦前から混乱している。
2016-10-12 19:08:02「昭和初年には、米の生産高は明治11〜15年比で2倍以上に増加したが、それにもかかわらず昭和初期には幕末の3倍近くにまで人口が膨れ上がったことにより、日本内地の米不足は深刻であり、朝鮮や台湾からの米の移入で不足分を賄う有様となった」(Wikipedia:稲作より)
2016-10-12 19:12:181970年代以降米が余るようになったのは、政府の保護政策と稲作農業の機械化のたまものなんですな。義務教育の社会科の授業で習うことだけど。
2016-10-12 19:14:24大戦中は「進め一億火の玉だ」「一億玉砕」なんて叫ばれていたけど、内地の人口は七千万人くらいで、「一億」は外地含めた“帝国”の人口。 twitter.com/dogu_fm/status…
2016-10-12 19:19:45江戸期を通じて3千万台で安定していた四島の人口が明治から昭和にかけて約二倍に激増、この間大きく工業化が進んだとか耕地が増えたわけでもなく。山中恒はその原因として人工妊娠中絶が禁止されたことを挙げている。
2016-10-12 19:16:16@dogu_fm あと、科学技術がまだ低くて容易に増産もできない……となると、じゃあ海外領土を、という発想に至るのかもしれない。
2016-10-12 19:32:00@dogu_fm @y_arim 機関車の石炭は、南大嶺とかあるけど産出減と鉄道輸送力低下でどうにも…。世界遺産だと話題の軍艦島も昭和17までで、18年以降まともに開戦前産出量を全く産出していない。
2016-10-12 15:23:27東京の1945年は 積雪歴代2位 月の平均気温の低さ、歴代3位4位 月間の零下の日歴代2位 年間の零下の日歴代7位 data.jma.go.jp/obd/stats/etrn…
2016-10-12 14:15:21なお連合軍の九州上陸は昭和20年11月、関東上陸は21年3月を予定していたので、20年の凶作が直撃した後の冬を越してから本土決戦を迎えることになります
2016-10-12 17:02:58そう言えば戦中の粗糖生産はほぼ台湾と一部沖縄に依存していたので、沖縄戦が始まる頃には砂糖もなくなってたんだよな。逆に言えばそれまでは割とあったけど陸海軍が押さえていた
2016-10-12 17:05:48沖縄を失陥すると北支航路(大連、青島など)が陸上機による攻撃を受けるので、その前に備蓄した物資を緊急輸送することになり、護衛用に割り当てられる予定だった燃料7,000tを水上特攻に使ってしまって大井っち激おこ、という流れ twitter.com/GFcommander/st…
2016-10-12 17:23:13@y_arim そもそも坊の岬特攻で大井がぶちギレたのも、本来最後の頼みの綱だった大陸からの肥料食料等物資輸送に必要な最低限の燃料すら、第二艦隊に寄越せと言われたからこその「海軍の栄光がなんだ!」だったはず。
2016-10-12 13:46:20