リバタリアン(?)その他との対話等
- motidukinoyoru
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ホッブズの自然権と自然法 ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88… 自然権ー自然状態において、自己保存のための資源闘争が起きるにあたり、他者を害する等の積極的行動が出来る権利 自然法ー他者からの害を免れるため、自然権を相互に制限する社会契約(による政府の設定)
2016-10-13 10:02:20@motidukinoyoru 交換可能性を啓くのは社会よりも人間性でしょう。 例えば貴方と私が無人島で分業交換する事に障害は無いと思えます。 それは後天的な倫理観や社会性というよりも、先天的な「利」を理解する能力に寄ると考えられます(続く)
2016-10-13 10:07:43@motidukinoyoru 貴方のように先ず社会性が必要とすれば、神が突然人間に知恵を授けるような奇跡が必要になりますよね。 そうではなく、先ず交換してみて結果的に生産性は跳ね上がり、それが進化の中で全ての人間に共通する先天的能力の獲得に繋がったと考えます(終
2016-10-13 10:20:19@hilitespecial あなたが人間性と定義しているものが、私の中では多分社会性と定義されているものと同一なのではないかな、と思う。 他者と交換(等)関係を結ぶことが出来るようなある種先天的な能力が社会性(あるいは人間性)であると。
2016-10-13 10:26:45だからそれ計算できないよね?過大供給の場合だって損失ということになる。 違いはリバアリアニズムなら、わりにあうと当人が考えた場合にしか労力や財産、リスクを差し出されないため、無駄にされない、犠牲を回避できる点にある。それを過大供給のリスクにすげ替えたって意味がない。
2016-10-13 11:11:00単に何もしないだとか、(リバタリアンに言わせれば計算不可能な)与えるべきものを与えなかったなんて論理で裁くことがそもそも無理。当人がわりにあわないと思うなら、単にやめればよく、政府が計算したよくわからない指標の最大化、推測をベースにして押し売りするのはやめるべき。
2016-10-13 11:12:53これも全く意味が分からない なぜ自由市場に正当化が必要なんだ?政府が他人の労力や財産の使い方に口を出すことにこそ正当化が必要だろう。 リスクだって当人が取れば良い。何度も言うが政府認定の厚生の最大化なんてアテにできるものじゃないだろう。
2016-10-13 11:15:07それって政府を主体にしてるから言えるんじゃないかな。マイクロソフトやGoogleが、自分が存在していることで厚生が拡大したとする、直接取引してない相手、第三者に対し、相応の額を請求して良い…とする社会が良いのだろうか? しかも相手には「そんなんならいらない」と言う権限はない。
2016-10-13 11:19:15@motidukinoyoru 社会性というものも人間性に含まれるかも知れないですね。 社会的認知力は先天的でしょう。 まぁしかし社会性でも人間性でも、そういう先天的能力は、交換や分業を繰り返す内に発達したと思いますので、後になると思いますね。神なき世界では。
2016-10-13 11:43:32@hilitespecial 発達した結果、複雑な社会を形成できるようになったのではないかな、というのが私の仮説。 原初の人間性(社会性)が原初の社会関係(交換関係)を産み、自律的に深化(あえて進化とは言わない)したのではないかと。
2016-10-13 13:25:21割りに合うと考えたが故に経済資源の拠出の正当性が生まれるのだとしたら、民主主義政体においてはある程度のその政体の介入には妥当性が生まれることになるのでは。(民主主義政体が一定程度庶民の意思を反映する場合) また、民主政でなくても、民衆に蜂起能力があり抑制力がある場合も。
2016-10-13 13:29:28計算不可能という話でいくと、負の外部性の内部化の計算(典型的なものは炭素税。夜警だってその範疇)も、簡単な計算にはならないので、負の外部性の内部化も諦めるなら筋は通る。それだけは認めるというから話がおかしくなる。
2016-10-13 13:32:49人々の生活(自然状態、自然権)に対する介入を許可する契約の結果として政府が生まれたわけで、もちろん介入者(として定義づけられる政府)は排除してもいいんだけど、その場合は私有財産の保護を含むあらゆる介入をゼロにして人々を自然状態に戻すことに同意しなくちゃいけない。
2016-10-13 13:36:41難しいところだが、ちょっと前に述べたように、当該企業にある程度の独占権(著作権や特許など)を保証することで報いている面はあるかもしれない。 当該企業製品の外部性の強さが、計算の結果どれだけ強いか、それが(優先順位で鑑みて)政府介入を要するかどうかにもよるだろうが。
2016-10-13 13:40:43というかそもそも、政府が人々にとってどれだけ投資や商品について価値があるか計算できるなら、社会主義が成り立つという主張になるはずで、差が全くわからない。市場のそれは、消費者自身が評価する以上にはある…とすることでそこを解決してるわけだよね。彼らに言わせりゃ以上じゃ過少評価だろうが
2016-10-13 13:41:24供給されない場合は誰も労力払ってないから犠牲とは言えないし、供給する場合はあくまで妥協の範囲内であって、当人にとっても払った方が良い労力だとは言えるわけでしょ。他人を都合の良い枠組みで巻き込めるならなんとでも主張しうる。
2016-10-13 13:47:08商品についてはある程度予測可能としても、投資に関しては予測困難であるという考え方は、私も同意で、そのことについてはつらつらと書いた。 twitter.com/motidukinoyoru…
2016-10-13 13:49:39研究開発というのは難しい問題で、このことは「リバタリアニズムとの対話」という趣旨を明らかに越えるのだが、論じてみたいと思う。 まず前提として、我々はある研究開発がその後どの程度の富をもたらすかについてほとんどわからない、計算することも極めて困難であることが多い。
2016-10-13 08:46:19労働力の退蔵はない(何かに使われないなら、他のどこかに使われている)という前提があることは明記しておいた方が良いと思う。 しかし投資(特に研究投資)は、まるっきり無駄になる可能性を割り切って支出するものであり、それなくして進歩もないものなので扱いは難しい。
2016-10-13 13:52:36この話だと政府が一意的に決めるのが問題なのであって、公共的共同体内で一定の同意を取れるような枠組みがあれば、その同意に基づいて介入しても良いという話になりそう。 どのような介入にどれだけの経済資源を与えるべきかという優先順位を適切な同意の取り方で決めるべきという話なら文句はない。
2016-10-13 13:57:30おそらく、政府の捉え方に相違があって、私にとって政府とは、ある一人の対立的介入者ではなく、何らかの合意のもとである範囲、規模の介入を許可した相手であるわけで、政府の存在を破棄しない限りは、常にその介入の適切さ、その介入の公共同意をどう取るかに問題は集約されるという考えである。
2016-10-13 14:01:16合意に基づく共同体内でやるのは勝手でしょ。まぁボトムアップでやるのは難しいというなら、できるだけ強制力の主体を都道府県や市町村などに小さくわけるべきで、嫌なら出ていける枠組みにすることで、実質競争的にできるだろうね。
2016-10-13 14:01:28競争的にする意味、というのがいまいちピンと来ない。各地方公共団体が利害的に対立関係にある場合は競争的にならざるを得ないが、国家的な厚生改善の一貫なら、競争をわざわざ用意する理由はない。 競争がより良い結果をもたらすというテーゼ自体、適用範囲はそこまで広くない。
2016-10-13 14:06:31ホッブズに言わせたら、暴力的なのはホッブズではなくて人間である、ってところだろう。 twitter.com/motidukinoyoru…
2016-10-13 15:46:18