個人的に読むためのメモ Misaki @bonchan1 さんのツイートから古代日本の民族的成り立ちなど 2016/3/2

個人的なメモ Y染色体ハプログループにみる日本原住民の遺伝的系統 古代神話とも関連した夏王朝から後漢にかけての中華王朝と古代日本の成立過程 初期天皇と後漢皇帝の諡号の対応関係 その他
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凡人のつぶやき @bonchan1

鹿島神宮の要石は地下に棲む大鯰が暴れて地震を起こさないようにするもの。鯰とはこの辺りに「紀の国」を作っていた呉人、呉系楚人=秦氏をいう。征服者の邪馬台国の越人が「石」とされるから、石の下に地震鯰を押さえる形。建御雷三輪神蛇が地震鯰を押さえる=越人が呉人(阿曇)を押さえた。

2017-02-28 21:17:14
凡人のつぶやき @bonchan1

同じ呉人の末裔の雲南省の「ワ族」が地震神としての「ゴォラルゥオムゥ」を祀る。鯰を意味するインドネシア語は「イカン・バウング(ikan-baung)、フィジー語は「カボア(kaboa)」といい、南方系縄文人は鯰を「カバ」といい、楚人は「ナマズ」、呉人は「シャク」と言った。

2017-02-28 21:22:49
凡人のつぶやき @bonchan1

薬屋、酒、盃。鯰が薬屋と化すのは「沢」に「ヤク」という音があり、薬と通じる為。「新撰姓氏録」の蜂田薬師は秦氏・呉系楚人で、秦氏の松尾大社は酒の神。酒は百薬の長といい薬に関係するが「盃」とも結びつき、平たい器は秦氏、建御雷も盆(ひらか)を投げつけられ力を封じられた。甕(みか)は越。

2017-03-01 00:52:23
凡人のつぶやき @bonchan1

車持氏は田辺氏と同じく豊木入日子命の系譜=呉系楚人・秦氏。「剣、地震鯰」→尾に「剣」を持ったもの=尾から草薙剣を出した八岐大蛇、北斗七星(妙見信仰)、尾に針を持つ蜂。八=蜂=尾針=尾針=尾張=針間=播磨。

2017-03-01 00:58:44
凡人のつぶやき @bonchan1

瓢箪は苗族の始祖がその中から出て来るというもので、蛇、虫(蝶)と共に「呉・越・楚」の全てに共通する基本的なトーテム。地震鯰を押さえつける「越」=要石。地震鯰自体も瓢箪なので、その柄の着物を着る。「瓢箪から駒」は瓢箪から高麗(こま)。=貊で呉系楚。

2017-03-01 01:03:40
凡人のつぶやき @bonchan1

「猿」は呉系楚人(大山咋・夔・秦氏)の要素で、倭国大乱時に「越(文・漢)と組んで呉(韓)を滅ぼしている。

2017-03-01 01:09:03
凡人のつぶやき @bonchan1

「三国志呉書胡綜伝」→「明明大呉実天生徳、神武是経惟皇之極乃自在」「三国志呉書陸遜伝」→「陸遜字伯言呉郡呉人也・・・陛下以神武之姿誕膺期運・・・敬服王命綏靖四方・・・(陛下は呉王の遜権)」→呉系楚=秦氏(元の国へ帰る。呉王闔廬と喧嘩別れし楚に逃れた弟・夫概を始祖とする)。

2017-03-02 11:56:55
凡人のつぶやき @bonchan1

越人達は自分達出雲越人部族の歴史を表すのに最適な文章や人物を「三国志」の中から見つけ、中国「三国志」の中の一連の記述の中から諡号にふさわしい「神武、綏靖、安寧、懿徳」を選び出した。「神武と綏靖」は呉人、「安寧と懿徳」は元の国(日本に移動した呉)へ戻った呉系楚人秦氏を念頭に置く諡号

2017-03-02 12:05:28
凡人のつぶやき @bonchan1

崇神は開化皇太子で平穏順当に皇位継承したのに、天皇初期に大物主神や倭大国魂神を初めとする八百万の神を祀る必要があったり、全国的に反乱があって四道将軍派遣の必要があったりと大混乱が記述されているのは異様で、何故大和の神々の加護を失い、それ程に人望を落としたのか?

2017-03-02 12:15:40
凡人のつぶやき @bonchan1

「ハツクニシラス(御肇国)天皇」という号は、そこに何か以前の皇統とは断絶があったのではないか?→出雲越人(文・漢族)にとっても捨て去ってしまえない古代日本国の大和(桜井市・柏原市)には、呉人や越人、そして呉系楚人には消し去れない純日本人の政権=大和の皇統(始祖=神武)が存在した!

2017-03-02 12:21:29
凡人のつぶやき @bonchan1

大物主神は神代に「日本国(大和国)の三諸山に住もうと思う」と言って出雲から移動した大国主神の幸魂、奇魂で、神は天皇に「我は倭国の域内に居る神、名は大物主神という」と自己紹介したから、崇神は倭国で育った10代目首長なのに大物主神が域内の重要な山の御諸山の神だと知らなかった事になる。

2017-03-02 12:27:52
凡人のつぶやき @bonchan1

日本国の初代皇統命である神武の後継者家系にあるはずの崇神は、「大物主神が饒速日命が住んだ御諸山の神である」という事を知らない。実に妙な事だ。

2017-03-02 12:30:57
凡人のつぶやき @bonchan1

天照大神(ヒルメムチ)、倭大国魂神(饒速日命)を天皇の大殿の内に祀っていたが、神の勢いを畏れて共に住めなかった→自らの皇統家の先祖を自分(崇神)が住む宮廷に畏れ多くて置いておけないなどという馬鹿な話があるはずがない!→崇神とその一族(越の文・漢人)はヒルメや大和の神々に拒絶される

2017-03-02 12:38:56
凡人のつぶやき @bonchan1

崇神の和風諡号は「御間城入彦五十ニ瓊殖(ミマキイリヒコイニヱ)天皇で、「御」=尊称、「都」=磯城(シキ)水垣(瑞籬)宮で、「マキ」は磯城内にある「纏向」を指す。「イリヒコ」とは「入った男」であり、「イニヱ」が本来の名前。→「イニヱ王」が何処からか入って来て大混乱を引き起こした!

2017-03-02 12:47:22
凡人のつぶやき @bonchan1

崇神と紀伊国の荒河刀畔の娘・遠津年魚眼妙姫との皇子は「豊城入彦命」といい、「豊」は美称で「紀に入った男」である。崇神という漢風諡号は「気高い神」の如き大和朝廷の初代、ハツクニシラスの天皇だという事。(10進法で桁上がりの10代目にも意味があるらしい)

2017-03-02 12:51:55
凡人のつぶやき @bonchan1

前王朝の「魏志倭人伝」の邪馬台国との断絶を避ける為に、崇神が大和入りするまでの事績は分割して同じ「ハツクニシラス(始馭天下之)天皇」の神武に託し、先頭に置いた。南九州から東征し武力で饒速日命とされる物部氏王朝(実際はサヌ命の神武王朝)を制圧している為、「神と武」を合わせた諡号に。

2017-03-02 12:57:34
凡人のつぶやき @bonchan1

神武が大和に東遷して即位するまでの記述の濃厚さに比べて在位中の神武の事績は殆ど書かれず、おまけ程度の事しか書かれていない(=サヌ政権を全く無視している)。越の文・漢人政権=出雲・崇神朝の前にサヌ命(神武)を簡潔に継ぎ足している。

2017-03-02 13:01:22
凡人のつぶやき @bonchan1

「神武紀」の「4年に詔をして皇祖大神(=天照大神・ヒルメムチ)を祀った」という記述から「31年の国見の記述」に飛び、「42年に皇太子を立て76年に崩じて翌年埋葬した」という空疎な記述で終り、実質は4年の詔のみだ。→サヌ命(神武)の政権(飛騨皇統系政権)の事を全く無視し続ける!

2017-03-02 13:07:02
凡人のつぶやき @bonchan1

崇神という日本人以外の男の話の前に「正統皇統家の神武」の話を申し訳程度に付け足した。「崇神紀」は即位前の紹介、元年に即位、家族の系譜、3年に都を磯城に遷すという記述で始まり4年に皇祖に関する詔だから、4年から「神武紀の4年」を付け足せるように設計されている。

2017-03-02 13:13:40
凡人のつぶやき @bonchan1

「神武紀」の4年までを「崇神紀」に付け足した。「崇神」という文・漢人=越人の一首長の経歴=崇神の経歴を、崇神の正体を神武を織り交ぜて書いている。そして神武がさも崇神であるかのように解釈させる事に成功している。「記紀」は渡来人系天皇の創作と認知に成功している。

2017-03-02 13:18:07
凡人のつぶやき @bonchan1

神武の和風諡号は「神日本磐余彦(カムヤマトイハレヒコ)天皇」であり、「神である倭の磐余の男」の意味。「磐余」とは実体の崇神の陵墓が「磐余のメスリ山古墳」である事に由来し、崇神こそが神日本磐余彦天皇で、サヌ命を崇神として創り上げた。

2017-03-02 13:22:22
凡人のつぶやき @bonchan1

壬申の乱に際し天武が神日本磐余彦天皇の陵墓に馬及び種々の兵器・武器を奉ったが、実際にメスリ山古墳からは大量の武器が発掘された。「山辺の道(現在の山辺の道ではなく、古代の上つ道)の曲りに丘の上という崇神陵墓」の位置との記述とも完璧に一致する。天武時、渡来人天皇崇神の位置は把握済み。

2017-03-02 13:27:23
凡人のつぶやき @bonchan1

日本人皇統系の初代神武、2代綏靖、3代安寧までは「三国志」からその諡号が採用され、4代懿徳については「旧唐書」にある「懿徳太子重潤」とある701年に9歳で則天武后に暗殺された懿徳太子という人物の名が採用されていて、中国の江南の呉や越、楚などの事を記述した中国史書から採用した。

2017-03-02 14:49:59
凡人のつぶやき @bonchan1

神功皇后の「神功」は「神助を得た成功」の意味を含めて、則天武后(唐の高宗の皇后で唐を簒奪し周を立てた)時代の「紀元=神功(697年)」から採用された。諡名選定者は「懿徳太子」について知らなかったとは思えないのに、何故年号の「神功」を使ったのか?

2017-03-02 14:54:49
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