個人的に読むためのメモ Misaki @bonchan1 さんのツイートから古代日本の民族的成り立ちなど 2016/3/2

個人的なメモ Y染色体ハプログループにみる日本原住民の遺伝的系統 古代神話とも関連した夏王朝から後漢にかけての中華王朝と古代日本の成立過程 初期天皇と後漢皇帝の諡号の対応関係 その他
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凡人のつぶやき @bonchan1

「三国志」「魏書文帝紀」では、「神武」と帝位の交代が結び付けられている。神武は「呉書胡綜(こそう)伝」にも見られ、呉や呉王とも結びつけられている。「コソ」も呉に関係する音。神武の兄は「五瀬命」だから、「呉」と関係が深い。

2017-03-02 14:58:25
凡人のつぶやき @bonchan1

「胡綜伝」の記述の半分は魏の将軍・呉質が呉に内通を試みているかのように偽作した文章で見られるが、実際に存在しないものを見事にでっち上げている。「呉書陸遜伝」には「神武、綏靖」の二つが見られ、陸遜は「字伯言、呉郡呉人なり。」と記される。

2017-03-02 15:02:45
凡人のつぶやき @bonchan1

5代孝昭から漢風諡号は相変し、「漢の諡名」が意識されている。4代懿徳とは明らかな断絶がある。後継者が大幅に増え、実在感が増して来る。前漢には孝武帝の後に孝昭帝がいる。「魏志倭人伝」に邪馬台国・女王国とされた「物部氏の王朝」は、漢に出自を持つ文・漢氏(越)の王朝だから、漢を意識する

2017-03-02 15:08:33
凡人のつぶやき @bonchan1

「後漢書」の諡号→光武ー孝明ー孝章ー孝和ー孝殤ー孝安ー孝順ー孝沖ー孝質ー孝桓ー孝霊ー孝献と続く。安帝永初元年(107)に「倭国王帥升等が生口160人を献じ、安帝に面会する事を願った。」と「後漢書倭伝」にあり、孝安はこの安帝に合わされている。孝安は邪馬台国に代目である。

2017-03-02 15:16:50
凡人のつぶやき @bonchan1

桓帝の在位は147年~167年で、霊帝は168年~188年だから、桓帝の末頃に「後漢」が衰えた為にその心理的影響が弱まって倭国でも呉人と呉系楚人・越人達の争乱が始まった(=倭国大乱、167年~168年を中心に160年半ば~170年代初め)。

2017-03-02 15:20:59
凡人のつぶやき @bonchan1

「孝霊」という諡号は、倭国大乱(160年半ば~170年初頭)の後漢の帝(孝桓~孝霊)からの採用となる。孝霊天皇が倭国大乱の張本人であり主人公である事は、「孝霊天皇の鬼退治」という日本各地に残る伝承から明らかだ。孝霊の後に和風諡号に「日本根子彦」が入り、ヤマトに根ざした事を示す。

2017-03-02 15:25:51
凡人のつぶやき @bonchan1

孝安に「日本」の文字が入っているから、この天皇が大和入りし孝霊の時代に倭国大乱となった。娘は三輪の大物主神の妻となった倭迹迹日百襲姫がいるが、神の妻=巫女となり独身を守った卑弥呼=孝霊の姫の倭迹迹日百襲姫で、8代孝元は卑弥呼を補佐した卑弥呼の弟。

2017-03-02 15:29:44
凡人のつぶやき @bonchan1

要するに「古事記」は九州から近江に入った呉人とそれと相反する出雲から中国山間部に進出し瀬戸内を経て呉人の近江国に侵攻しようとした文・漢人の越人とそれに加担した呉系楚人の秦人の抗争の様子を描いた江南族の争乱日記物語。勿論そこには神武系正統皇統があったわけだが、詳細は永久に判らない。

2017-03-02 15:34:03
凡人のつぶやき @bonchan1

文・漢人の越は出雲国建国後に各地の呉系楚人・秦人と連携(同盟)して瀬戸内海へ進出し、更に摂津(東成郡)から淀川を遡り三上山や比良山、竹生島を祀る呉人の国近江に入ろうとして瀬田で呉人に敗れ、一時山城に退却して後に日本海側からの呉系楚人の別動隊丹波・若狭秦人の応援で呉人を追い詰めた。

2017-03-02 15:40:10
凡人のつぶやき @bonchan1

呉人を北陸の呉系楚人丹波・若狭勢が越人出雲に加勢して破り、近江に移住した越人の北陸勢力の移住の痕跡が「愛智(えち)郡」で「越(えつ)」の転訛であり、近くには「能登川」が流れ正に「石川の能登半島の能登」だ。

2017-03-02 15:45:20
凡人のつぶやき @bonchan1

越人の「文・漢ー大国主ーホト」と呉系楚人の「秦人ー少彦名ータイ」が卑弥呼( 倭迹迹日百襲姫)を共立し、最も先に渡来して漢代に百余国を創った呉人「韓人ーアカルヒメーワラ」に対抗した戦い=倭国大乱。呉人の代表が阿曇氏、越人・呉系楚人の代表が宗像氏。

2017-03-02 15:50:55
凡人のつぶやき @bonchan1

孝霊の鬼退治=邪馬台国が島根県の海岸部(出雲)から内陸部へと勢力を拡大していた事を物語り、近江の瀬田の戦いに先立つ倭国大乱のエピソード。この後に中国山地を越えて瀬戸内海に進出した。備中の蟹タケルが戦わずして孝霊に降伏して来たという伝承も残る。

2017-03-02 15:54:18
凡人のつぶやき @bonchan1

「楽楽福神社」鳥取県山間部の日野郡には孝霊やその妻・細姫、娘の福姫を祀る。孝霊が米子東部を流れる日野川を遡り、日野郡の鬼を退治したと伝わる。その鬼の名は「牛鬼」で、頭は馬で胴体は牛、四つ足は猿のようだった。楽楽福社の祭神は竹で目を突いて一眼を失った為、その地では竹を植えない。

2017-03-02 15:59:51
凡人のつぶやき @bonchan1

「楽楽福神社」の御神体は朴木で出ているので、朴歯の下駄は履いてはならないというタブーがある。牛鬼は馬(←プ・マン。午=ゴ)、牛、猿トーテムの合成で、呉(韓人)と呉系楚人(秦人)の融合した勢力。これを呉系楚人と同盟した越人(文・漢)の孝霊が退治した。孝霊は越人の一首長である。

2017-03-02 16:05:42
凡人のつぶやき @bonchan1

「楽楽福(ささふく)」の「ササ」は「酒、笹」に繋がり呉系楚であり、「フク」は越を表す。越系の辰韓の王の姓は「朴」で、これには瓢箪(フクベ)の意味がある(「三国史記」)。

2017-03-02 16:09:33
凡人のつぶやき @bonchan1

①御神体を朴木というからには越人は朴(ほほ)の木を尊んでいた②ホホ=頬であり、越人は朴(ホホ)の木を尊んだから大国主の手に弄れて(もてあそばれて)いた少彦名が飛び上がって大国主の頬に噛み付いたという「神代記」の記述=呉系楚人の狗奴国(紀の川河口)が卑弥呼に反旗を翻した。

2017-03-02 16:20:22
凡人のつぶやき @bonchan1

➂大黒(大国主)、恵比寿(蝦夷・事代主)、お多福(福姫)、全て頬が大きく膨らんだ瓢箪(フクベ)顔に描かれ、そしてそれは「ホホホ」という笑い。朴=榎(えのき、ゑのき、越の木)で、大黒、恵比寿=大きな耳たぶ(福耳・瓢箪型)=「弥弥」、「耳」という上級の官名で耳=犬の能力=ヤオ族。

2017-03-02 16:26:08
凡人のつぶやき @bonchan1

神八井耳とは「耳」=犬の能力で、ヤオ族の事らしい。少彦名は飛び上がって噛み付く小さな蚤(のみ)で、野見(弥)宿禰とその後の土師氏=少彦名系呉系楚人・秦人。「蟹」も呉系楚人秦人のトーテムで、赤城山の蜈蚣(むかで)を助けたとの伝承があるので呉(韓人)側に付いていた。

2017-03-02 16:31:28
凡人のつぶやき @bonchan1

呉系楚人秦人は弁辰人(弁韓人=インドネシア島嶼部でオリエント方式の製鉄や養蚕をしていたが後に縄文人のY-D2の船で半島南部に移民した高文明人=秦氏)だが、①牛トーテム秦氏・宗像氏・中臣氏(藤原氏)等。②蟹・狐トーテムの息長氏・紀直(氏)等。

2017-03-02 16:35:58
凡人のつぶやき @bonchan1

蟹トーテム=「姫姓」、猿トーテム=「楊姓」。混血して両者の特徴を持った。楚人の内、「姫姓」は同姓の「呉」を支持し、「楊姓」は同民族のヤオ族やトウチャ族の越人を支持した。楽楽福神(ささふく)は片目一箇神で越系の鍛冶神であり、その後裔氏族が「倭鍛冶(やまとのかぬち)」だ。

2017-03-02 16:41:48
凡人のつぶやき @bonchan1

「常陸国風土記逸文」「伊福部の神は雷神で落雷によって妹を殺された兄がその仇を討とうとしたが、神の在所を知らなかった。飛んで来て肩に止まった雉の尾にヘソ(積麻=麻糸を巻いたもの)を掛け、後を辿って雷神を見つけた。」伊福部の神は「カタ、雉(姫氏=秦人、韓人)、ヘソに所在を明かされた。

2017-03-02 16:48:16
凡人のつぶやき @bonchan1

同じ「鍛冶神」にも金山彦・金山姫があるが、こちらは「韓=呉人」の鍛冶の神。

2017-03-02 16:49:49
凡人のつぶやき @bonchan1

「播磨国風土記・飯飾郡」「昔、大汝命の子、火明命は心、行い甚だ強し。是に父神これを婁うを以て之を逃れ棄てんと欲す。・・・火明命は水を汲み還り来て船の出で去るを見て大いに怒り、即ち風浪を起してその船に追い迫る。」火明命=大汝命の子。印南郡=丸部(わにべ)臣等始祖、比古汝茅ヒコナムチ

2017-03-02 16:57:49
凡人のつぶやき @bonchan1

和迩氏=オオナムヂ神の後裔。穴禾(いね)郡=伊和の村。本の名は神酒、大神。酒をこの村に醸む。故に神酒村という。また於和村という。☞ 「伊和大神」=「神酒(ミワ・三輪)大神」☞ 大国主=伊和大神=越人=蛇神。

2017-03-02 17:06:48
凡人のつぶやき @bonchan1

日本海側や東北地方の非円唇中舌狭母音[ɨ](いわゆるズーズー弁)は、粛愼の影響か?日本海側の海洋民は遼河文明圏との交易もあったようです。別論文によればY-N1が列島の特に東北、徳島などで頻度が高く見つかるそうです。遼河文明人はY-Nの頻度は60%以上。ズーズー弁は下図緑の地域。 pic.twitter.com/GcWAX82S6S

2017-03-02 19:09:38
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