徳川家康が病没するまでの過程

*徳川家康が元和2(1616)年正月21(22)日に具合が悪くなり、4月17日に没するまでの過程を金地院崇伝の日記『本光國師日記』ほかの史料を用いて順にツイしたものの途中まで。日記&書状などの情報・誤訳の指摘歓迎。(3/10より)
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アリノリ @a_ri_no_ri

実記の元ネタになる『明良洪範』には、三池で罪人を斬らせたのは4月1日とある。家康は同日に久能山に埋葬を指示するなどの遺言を残しており、遺品の分配指示も2日にしている。家康の症状からして、死ぬ直前の15・16日ではなく、1日にソハヤを振るったとした方が自然である。

2018-03-11 19:25:24
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