技術流出の経験/技術導入の経験
- kuragari20nen
- 2003
- 4
- 1
- 0
先日、プリーストリーの『イングランド紀行』(岩波文庫)を読み終えたのだが、日本に関する記述があった。不況と大量失業に苦しむ1930年代半ばのイギリス人による、「技術を奪う」存在としての日本への警戒感が現われているのではないかと思う。以下、引用(p.105)。
2017-03-21 12:58:42「公費で経営されているブラックバーン工科大学のような場所に、物静かだが勤勉な、微笑みを湛えた青年たちが東洋から現われる。彼らはキャラコの製造過程についてランカシャーからあらゆる知識を学び取ろうと必死だ。」
2017-03-21 12:59:22「彼らは授業をしっかり受け、何事も逃さず、教師に別れの笑みを投げかけた後に、どこともなく姿を消す。少し時間が経って、この結果が現われる。ランカシャーの東洋貿易が激減する。これらの青年の多くは日本から来ている。」
2017-03-21 13:00:19「前世紀の中頃に西洋の代表が軍艦で現われて日本に開国を迫った。一度開国すると彼らは文明化を続けた。その無数の結果の一つとして、今日、ランカシャーの富豪は煙草の吸いさしを拾い、織工たちはここ数年間、織機も見ず、賃金ももらえない事態が生じた。」
2017-03-21 13:00:58そういえば、昨年読んだS. Partner (1999) Assembled in Japan, University of California Press.という本には、戦後の日本の技術者がいかに米国の製造業の技術を懸命に取り入れたのかというエピソードがたくさん出てくる。
2017-03-21 13:05:06たとえば、写真撮影の許されない米国の工場を見学した日本人技術者が、工場の様子を必死で覚えて、トイレのなかでメモを取った話とか。技術を摂取された側はいつまでも覚えているが、摂取した側は忘れるか、美談として昇華するかということなのかもしれない。
2017-03-21 13:08:33【参考】以前、Shotaro Tsuda氏が"Assembled in Japan"に関連して書き込まれた別の記事は、以下にまとめたことがあります。