- miurano_suke
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@miurano_suke ネット上や、一般書では「横田くずれ」を「蘆名氏が大敗した合戦」とする記述が多く見られる。しかしそのように記しながら多くが「以後山ノ内氏は蘆名氏に従属するようになった」とする。これは矛盾してるんじゃないだろうか。
2016-12-18 00:14:06@miurano_suke そこで「○○くずれ」の用例を「横田くずれ」の出典である「塔寺八幡宮長帳」(「会津坂下町史 文化編」所収)に探してみると戦国期の例は「横田くずれ」以外に3件見つかった。
2016-12-18 00:14:33@miurano_suke 長禄2年の記事「金上殿、不思議陣くつれ候てひかれ候」、次に天文11年「伊達之ふしとも御とりあいの大くつれ」、最後に天文16年「いなしう(「会津若松史」では「いなしら」)(猪苗代)くつれ御馬出」。
2016-12-18 00:15:02@miurano_suke まず、長禄2年と天文16年の記事では「○○くずれ」という固有名詞として使われているのではなく「○○”が”崩れた」という意味、用法であること、
2016-12-18 00:16:01@miurano_suke また天文11年と天文16年の記事からは単に「崩れた」というだけでなく、「くすれ」「くつれ」には「合戦」や「紛争」といったような意味も含まれていたらしいことがわかる。
2016-12-18 00:16:35@miurano_suke 「横田くずれ」の記載はどうなっているかというと「よこ田くすれニ御西さまの御むまいたされ候」である。上記の例に鑑みればこれは「横田が崩れたので御西様が出馬した」と訳すのが相応しいのではなかろうか。
2016-12-18 00:17:10@miurano_suke これらのことや、「山ノ内」でなく地名の「よこ田」という記載からすると「横田くずれ」は蘆名氏の大敗どころか蘆名氏と山ノ内氏の合戦ですらなく、横田地域で起こった紛争に蘆名氏が出兵、これを鎮圧した事件と考えられるのではないだろうか。
2016-12-18 00:17:44@miurano_suke 時の山ノ内氏の当主「舜通」の名乗りは蘆名盛舜からの偏諱であるると考えてまず間違いない。しかも盛舜の下の字を上の字に戴いていることからすると、それなりに深く安定した関係であった可能性が高いと考えることもできる。
2016-12-18 00:18:16@miurano_suke そうであれば蘆名氏への傾倒を深める山ノ内舜通への抵抗が横田で発生し、蘆名氏はむしろ山ノ内舜通を助けるために出兵したと考えるのが妥当なように思えるがどうだろう?
2016-12-18 00:19:00思うに「横田くずれ」を合戦の固有名詞と捉えるのは甲斐武田氏の「砥石崩れ」や「上田原崩れ」なんかに引っ張られた解釈なのではなかろうか。
2016-12-18 00:19:45こうなると果たして近世以後の編纂物ではない同時代史料に、「ある合戦」を「○○くずれ」と表現した例はあるのかということが気になる…。 用例をご存じの方が居られましたら何卒ご教示下さい<(_ _)>
2016-12-18 00:20:30そういえば天文16年の「いなしうくつれ御馬出」の「いなしう」は一般に「猪苗代」とされてるが、根拠は「異本塔寺八幡宮長帳」を始めとする後世の編纂物であるようだ。であるならばこの比定は確実なものとは言えないのでは…
2016-12-18 01:28:52@miurano_suke 「いなしう」は素直に読めば「伊南衆」と読む方が自然な気がする。「横田くずれ」の後、蘆名氏は伊南に転戦して河原田氏を攻めたとされているが、実はそれはこの天文16年のことで、後世にそれが誤って伝わったのではないだろうか?
2016-12-18 01:31:43