細谷十太夫直英のこと

「からす組」(衝撃隊)細谷直英の生涯が気になったので調べたのを整理しがてら適当につぶやいたのでまとめました。
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銅折葉 @domioriha

細谷直英が硫黄島の南洋探検に向かったこと(なんの収穫もなく戻ってきた、とも)を記しているのは本人の述懐でもある江北散士の「烏組隊長細谷十太夫」くらいしか確認できないのだが、今回まったく別角度からその証拠を見つけたことになる。わりと発見ではないだろうか。

2020-04-06 20:58:29
銅折葉 @domioriha

もうひとつ。1935年(昭和10年)の橋本虎之助の「仙台戊辰物語」に細谷十太夫直英の記事があるのだが、そこに細谷の三男一女のうち昭和10年当時で唯一存命だった細谷の娘、小野直女史が「父・細谷十太夫」について語った話が載っている。

2020-09-25 21:15:54
銅折葉 @domioriha

磊落で気丈な性格、国事に奔走していた時はめったに家に帰ってこなかったこと、深編み笠で顔を隠し、キノコ売りだと称して素知らぬ顔で家に入ってきた話や、自分の追っ手に対して相手が顔を知らないのを良いことに「やつはもうきっと山形に逃げただろう」などと話した逸話が紹介されている。

2020-09-25 21:18:07
銅折葉 @domioriha

石巻に逃げたのはそこで鋳銭場で働いていたときの知り合いが多かったからというのと、捕まったときに割り箸を焼いて辞世の句を書いた手紙も見たことがある、と小野直女史は語っている。細谷を知る実の娘からの貴重な証言である。

2020-09-25 21:19:48
銅折葉 @domioriha

細谷の実子は、長男が十太郎氏、その弟に三男の小杉辰三(咸臨丸のボイラー師を務めた小杉雅三に養子になる)がいる。あともう一人、次男に胞次郎氏が居るのだけどこの人の経歴は不明。 で、今回実娘の小野直女史の名前がはっきりした。

2020-09-25 21:28:59
銅折葉 @domioriha

細谷十太郎氏がニューギニアから帰国したのが昭和7年、翌8年に亡くなっている。小杉辰三も同じく昭和8年に亡くなっている。 hananomichi.at.webry.info/201212/article… hananomichi.at.webry.info/201912/article… 胞次郎もおそらくそれまでには亡くなっているはずだ。

2020-09-25 21:38:26
銅折葉 @domioriha

CiNii 論文 -  細谷十太夫と仙台のハリストス正教会 ci.nii.ac.jp/naid/400222149… #CiNii まためっちゃ面白いものを読んでしまった……。

2021-04-05 20:09:27
銅折葉 @domioriha

細谷十太夫が明治3年頃に沙流郡の開拓をしていた時期、函館で沢辺琢磨らのハリストス正教会の布教に協力した話があるのだが、本研究ノートはその仙台出身のハリステニアンのイオアン涌谷繁の日記を元に、細谷十太夫及びその家族との関係をあきらかにしている。

2021-04-05 20:12:39
銅折葉 @domioriha

細谷十太夫の娘の細谷なおがマリナの洗礼名で、同じく十太夫の妻ちかがワルワラの洗礼名で記され、この二人が仙台のハリストス正教会のコミュニティに属していたことが記されているのは非常に興味深い。(十太夫自身は正教会とは距離を置いてた

2021-04-05 20:15:04
銅折葉 @domioriha

なにげに細谷近(ちか)の名前もこの資料が初出じゃないだろうか。 涌谷の「家翁録」には、西南戦争直後に十太夫が東京で宮城集治監事業に携わっていたことや、石巻大街道開拓当時のちかの動向も記されているとのこと。個人蔵の資料は自分には調べようがないのでこれは本当に面白い。

2021-04-05 20:18:06
銅折葉 @domioriha

石巻の野蒜港や大街道開拓の事業にも仙台のハリステニアンが大きく関与しているようなのだが、この開拓当時には細谷が競馬を主催していたという資料があるので、こちらも気になっているところ。

2021-04-05 20:20:38
銅折葉 @domioriha

dl.ndl.go.jp/pid/2998433/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション 北海道での細谷十太夫の活動について、晩成社移民団の「渡辺勝・カネ日記」明治22年6月30日に細谷が来訪したという記載がある。

2022-12-24 11:09:53
銅折葉 @domioriha

同じく明治23年9月11日、11月18日にも名前がある。現地で活動していた人の記録から名前が出てくるのは非常に良い資料だ。

2022-12-24 11:15:34
銅折葉 @domioriha

dl.ndl.go.jp/pid/1488644/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション 東北医学会会報 (21)記載の「武山土平氏小傳」。 細谷十太夫とともに幕別の開拓に従事したという仙台藩士だが、その経歴がよくわからなかった。今回この部分にかなり詳細な経歴が載っていて驚きつつ読んでいる。

2022-12-24 11:17:44
銅折葉 @domioriha

武山勘左衛門栄光というのが土平を名乗る前の名前で、「武山勘左衛門」は仙台藩史にもちょいちょい名前の出てくる人物(父親や祖父の代の話もあろうとは思うが)。砲術に優れ戊辰の役にも参加していた話が書かれている。幕別入植後の話もかなり詳しい。

2022-12-24 11:19:33
銅折葉 @domioriha

dl.ndl.go.jp/pid/1488646/1/… #国立国会図書館デジタルコレクション 武山土平は明治33年に没しているのだが、その遺体を医療の発展のため解剖献体にするよう遺言していたという話があり、先の東北医学会会報に武山の経歴が紹介されているのはこのあたりの理由だろうか。

2022-12-24 11:21:32
銅折葉 @domioriha

細谷十太夫も自分の死後に遺体を解剖献体にしてくれと書き残しているのだが、このあたり、世の発展のために身を尽くした武山との共感みたいなものがあったのかもしれない。 twitter.com/domioriha/stat…

2022-12-24 11:23:34
銅折葉 @domioriha

情報自体は割と重複が多かったのでそこまで新発見ということはなかった気がします。ちょっと面白かったのが二つほどあって、一つは細谷が晩年の明治37年に自分が死んだら死体解剖をして医学に役立ててくれという意志を書き残した書類があったこと。

2019-04-30 18:09:41
銅折葉 @domioriha

宮城県大郷町出身の千葉愛石という医師がいるのだが、彼の経歴を語る愛石小伝においいて、彼の千葉家は代々武山勘左衛門の家に仕える家だったという話が出てくる。 town.miyagi-osato.lg.jp/soshiki/kaiyou… twitter.com/domioriha/stat…

2022-12-24 11:29:16
銅折葉 @domioriha

dl.ndl.go.jp/pid/1185591/1/5 #国立国会図書館デジタルコレクション 愛石の生まれが弘化元年(1846年)4月12日なので、日記に何度か登場する「武山の主人」が武山土平なのか、その父なのかははっきりしない。後に東京に出て山岡鉄舟らと交流を持った愛石の経歴に、武山家がどう関わったのかは気になる。

2022-12-24 11:32:20
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