ざっくり学ぶ日本史 第02回 旧石器時代と縄文文化

マンモス、喰ってみてぇ。
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Michael Byrne @YT1093

ところで、縄文時代の地球温暖化(約9000年前~7000年前)はこれまで述べてきたような気候変動(海面上昇、暖流の流入、植生の変化)と共に海岸線そのものを象る「海進(かいしん)」を生じました。なかでも、6500年前に起きた「縄文海進」は大きなもので、房総半島や関東平野の多くは水没しています。 pic.twitter.com/aS8UoaGxSn

2018-08-03 06:02:33
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Michael Byrne @YT1093

縄文時代のはじめに述べた「モースと大森貝塚」に戻ると、貝塚の発見はかつて大きな海面上昇=海進があったことの証左でもあったのです。関東内陸で多くの貝塚(縄文時代)が発見されたことから、この時代に起きた気候の変動をまなぶ縁(よすが)となったのでした。

2018-08-03 06:06:00
Michael Byrne @YT1093

もちろん、貝塚は多くの国に見られる「食べた貝のゴミ捨て場」である。英語で shell mound と言うけれど、むかしの人、貝喰いすぎ。アゲマキガイ喰いてぇ。 pic.twitter.com/ftME6mK5lb

2018-08-03 06:07:30
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最後に、縄文文化の代表的な遺物である「縄文土器」をまとめておこう。土器の年代で分ける6つの区分は、古い順から「草創期」「早期」「前期」「中期」「後期」「晩期」となっていて、ぼくは「そうそうそう、前中降板」とおぼえていた。ちなみに試験に出た試しはない。 pic.twitter.com/F4QQH7JjO1

2018-08-03 06:15:13
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縄文土器の3つの特徴として「低温焼成」「褐色(黒、茶、赤褐色)」「厚手でもろい」が挙げられる。こちらも試験に出た試しはないので、覚えておく必要はない。

2018-08-03 06:15:32
Michael Byrne @YT1093

縄を押しつけた模様が確認できるのは、「前期」の縄文土器以降になる。また、中期の縄文土器は誰もがいちどは教科書で見た「火焔型」という、やけに意匠をこらしたケバケバしい代物となっています。 pic.twitter.com/0v832PvlIO

2018-08-03 06:17:10
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ところで、縄文土器ってどうしてあんなにトガッているのだろうか?尖った底を持っていることから「尖底土器」と呼ぶのだが、NHK高校講座の動画によると「直火の調理(焚き火)では、尖っているほうが火のあたる面積が大きくなる」とのことであった。 pic.twitter.com/Wovp1Z7Kvw

2018-08-03 06:23:53
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ざわ…。なんか、そこはかとなく、アホのぼくにでも「そら嘘やろ」とわかってしまう、取ってつけたような説明だぜ。まあいいか、縄文時代の人は誰も生きてねえんだから。 pic.twitter.com/cQJf6ZLHl9

2018-08-03 06:24:44
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Michael Byrne @YT1093

旧石器時代から縄文時代へと進展するなかで、変わった点がいくつかあります。それは以下のようなものでした。 1. 土器を用いるようになった 2. 弓矢の誕生と、網による漁労(漁業)の発展 3. 骨角器による釣り、漁労、裁縫など生活の充実 4. それまでの打製石器に加えて、磨製石器が生まれた

2018-08-03 06:27:37
Michael Byrne @YT1093

豊かな自然の恵みを得たことで、それまでの狩猟、採集、移動といった暮らしが「定住」へと向かいしはじめたのも、旧石器時代から縄文時代にかけての変化でした。「農業」という意味では、栗の木の栽培や、いわゆる稲作のはじまりも、縄文晩期には九州の遺跡で確認されています。

2018-08-03 06:32:10
Michael Byrne @YT1093

磨製石器の誕生は、必ずしも縄文時代の特徴とは言えないのでしょう。たとえば旧石器時代に登場した相沢忠宏の「岩宿遺跡」では、槍先形尖頭器という局部磨製石器が出土しています。局部摩擦罪ではありません。旧石器時代に存在しないとされていた磨製石器ですが、必ずしも事実ではなかったようです。

2018-08-03 06:42:35
Michael Byrne @YT1093

縄文時代の磨製石器には「磨製石斧」「石皿」「石棒」などがあります。石斧はもちろん木の伐採や木材の加工に、石皿はどんぐりをすり潰したり食べ物の加工など、多用途に用いられていたようです。 pic.twitter.com/0lL2phkQJ8

2018-08-03 06:50:39
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石棒の聖地、塩屋を掘る(飛騨市美術館特別展ポスターより) アッー pic.twitter.com/uIX1ErHRye

2018-08-03 06:52:38
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石棒とはなにか。見ての通りである。だが、もちろん大人専用の道具ではない。この遺物からは、縄文時代にはすでに原始的な「祭祀」なり「信仰」が芽生えていたことが伝わってくるのでしょう。

2018-08-03 06:54:45
Michael Byrne @YT1093

縄文時代、人々は移動型の生活から、定住型の暮らしへと向かう移行期にありました。集落には複数の「竪穴住居」が立ち並び、それぞれの住居に4~5人の家族が暮らしていました。竪穴住居には煮炊きのできる「炉」が設けられ、中二階の構造を持つ天井には、肉や魚を並べて燻製を作ることもできました。 pic.twitter.com/VdceIbbvOJ

2018-08-03 07:00:07
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Michael Byrne @YT1093

「石棒(しつこい)」でも触れたように、縄文時代には、初期の信仰がめばえています。自然のありとあらゆるものに、ふしぎな力を感じることで信仰の対象としていたのです。こうした自然信仰を「アニミズム」といいます。ラテン語の anima(魂、いのち)に由来しているのだが、こいつがなかなか難しい。

2018-08-03 07:03:48
Michael Byrne @YT1093

たとえば、神や仏を信じる信仰ともまたことなるのです。アニミズムには自然のあらゆる「ふしぎ」に力を感じるという特徴があって、たとえば、落雷、そよ風といった出来事に、精霊や何か命のような働きがあると信じられていたのです。神仏など架空の人格ではなく、現象を信じた点がユニークですね。

2018-08-03 07:07:57
Michael Byrne @YT1093

余談ですが、わたくしは日本の「妖怪」のなかに、アニマのあらわれを看取することができると考えています。こうした、環境知能のようなものを尊ぶところに我々の祖先のユニークさが現れているのではないでしょうか。

2018-08-03 07:10:28
Michael Byrne @YT1093

情報処理学会の創立45周年を記念した論文に「妖精・妖怪の復権」という出色の提案がある。現代を生きるわれわれの感性を揺さぶり、環境のなか「アニマ」を取り戻してくれる素晴らしい論文なので、ぜひお読みになってほしいと思う。 ipsj.ixsq.nii.ac.jp/ej/index.php?a…

2018-08-03 07:17:49
Michael Byrne @YT1093

また、縄文時代には「土偶」も誕生しています。最も有名な遮光器土偶はあえて取り上げるまでもなく、広く知られているのですが、わたくしにはどうもこいつの存在が理解できません。遮光器土偶のように、太って目の腫れたおばちゃんは現代でもたまに見かけますが、ハート型土偶には謎の怖さがあります。 pic.twitter.com/ZombC1T318

2018-08-03 07:23:19
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Michael Byrne @YT1093

縄文時代の信仰に触れた後は、葬儀と通過儀礼について簡単に触れておきます。縄文時代の人骨は、折り畳まれた状態で埋葬されており(屈葬)、死者が蘇ってくることを恐れたのだという説明を試みた研究者もいました。自分はおそらく、埋葬スペースと穴を掘る労力の節約だと考えています。 pic.twitter.com/wlqFAKsII6

2018-08-03 07:28:26
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Michael Byrne @YT1093

また、成人になると行われた通過儀礼としての「抜歯」や、シャーマンの遺骨によく見られる「叉状研歯(さじょうけんし)」といったギザギザの切歯も確認されています。このあたりは、理由がよくわかっていません。 pic.twitter.com/gSWOSPXfWk

2018-08-03 07:29:58
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Michael Byrne @YT1093

余談ですが、縄文時代の人口は最も人口の多かった中期で、およそ26万人ほど。平均余命は30歳で、60歳まで生きたひとは殆どいないと考えられています。

2018-08-03 07:33:31
Michael Byrne @YT1093

縄文時代は豊かな自然の実りに恵まれたこともあり、狩猟・漁労・採集といったサイクルを通して四季をくり返してきました。集落が大きくなるに連れて共同の建物を建造していたこと、また、工事を統率した人物が存在したと考えられています。一方、貧富や格差の痕跡は伝わっていません。

2018-08-03 07:42:52
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