バーナード・スーツ『キリギリスの哲学』レジュメ的な、そうでもないような何か-後編

ちょっとした面白い話が訊けたので、これの後に番外編を用意します 14・15章はまだちょっと待って!
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前篇はこちら!

【第8章】登山

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

【8】包含の検討②。 登山はゲームと言えないのではないか?自らルールを望んではいないし、困難も自然現象の結果に過ぎない。 Q:ひとりで挑戦する(Or対戦でない=ゼロサムでない)ものはゲームと言えるか?ルールではなく、原理的に発生するだけの制限によって制約が発生するならゲームと言える?

2018-11-26 19:45:00
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

A. 言える。原理的制限であっても、それを望んで登頂を達成するゲームだと言える。キリギリスによればこの事は、「一切登山器具を使わずエレベーターやケーブルカーで頂上へ行く人」と比較すればよくわかる。

2018-11-26 19:45:00
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

一切登山器具を使わず、ヘリやエレベーターで登頂する者は、単に頂上に行きたかっただけで、登山を達成する目的はない。ただ移動したかったから安全な方法を使っている。

2018-11-26 19:45:01
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

しかし、登山者は登山器具を準備して高度な危険性を自ら望んで登っている。資源(登頂する√とかだろう)は山の環境によって大きく制限され、その中で効率的に登頂する手段を選ぶゲーム性…と言えるものが出来る。

2018-11-26 19:45:01
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そうである限り、山に登る行為は自ら制約(ルール)を望んでプレイするTCGやスポーツの類と全然遜色なく、ゲームだと言う事が可能である。

2018-11-26 19:45:01
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

原書のたとえ話だとキリギリスが説明べたに見えるんで私見。 何なら自分自身を相手にしたゲームをしたってよいのである 例えばタイムアタックや、スコアアタックをする事は、制限を自分から設けてそれに挑戦する行為だとしてよいし、これは登山家がより困難な山を登ろうと挑戦するのと対応する。

2018-11-26 19:50:51
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

所謂「制限プレイ・縛りプレイ」なんて言葉が、STGだったりACTだったりゲームプレイヤーの中で言われるけど、バーナード・スーツによれば、そもそもゲームをする事とは縛りプレイをする事だという訳である。ルールや記録と言った制限を自らに望んで掛ける事で目標を達成しようとしているわけだから。

2018-11-26 19:50:51
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

個人的にここではSkpがあんまり碌な反論をしてないように思った。 と言うのは多分、私が既にキリギリスの定義を見た地点でこう言うのも含むんだとカンで知っていて、既に知ってた事に対して言ってるように見えてしまったからだろう。これではSkpの問いたかった事の本質が分からない。

2018-11-26 20:09:16
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

そこで紳士の方を検討する。エレベーターとか使ってきたこの人は、5章の「家まで遠回りして帰る」に近しい事をしている。何故なら、何の制限も掛けていない(それを寧ろ防御している)まま、別ルートによる頂上への移動をやっている。

2018-11-26 20:09:16
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

5章でキリギリスが言った事を想起する 「資源が限られた中で効率性を最大化出来る事」がゲームの条件。 言い換えると 「工夫して成果を向上する手段の幅が存在する」事が出来るのがゲームの良さの1つなのである 若干意味が広くなるが同じ成果の質を自分で高められる事、だともいえる

2018-11-26 20:09:17
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

やはりゲーム哲学はゲーム使った方が分かりやすいから、ゲームでパラフレーズしよう マリオブラザーズの1-1、ここを攻略する際は、近場のブロックを壊してもいいし、壊さなくてもいい。その上に乗っかってもいいし、B加速で土管を乗り継ぐジャンプをしてもいい。 pic.twitter.com/TkQsWY0lz7

2018-11-26 20:09:17
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難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

ミスさえしなければ、クリボーを踏み越えてもいいし、踏まずにジャンプで躱してもいい。いずれも、マリオの制限時間と敵・トラップ接触回数、及び落下しないという制限=限られた資源の中での、効率化出来る選択肢の1つである。

2018-11-26 20:09:17
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

「旗のある地点まで、マリオを移動させ接触させる」事がこのゲームのクリア条件だ。この旗をさきの「登頂」に置き換えれば、キリギリスの5章と8章は同じ事を言ってるんだと判る。同じ目標(資源が限られたルール)の中で、好きな手段を選んで効率化の手段を選択する事がプレイヤーに出来るのだ。

2018-11-26 20:09:18
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

タイムアタックをやりたければ、如何に壁に接触せず走り切ればいいかと言う事の為にプレイヤーが自ら資源を限るわけだ。スコアアタックとすれば、如何に点数が取れるようにするかでブロックを壊したり、アイテムを取ったり、敵を倒しながら進む手段をプレイヤーが考えるのだ。

2018-11-26 20:09:18
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

あ、もちろん「気楽にクリアする」「普通にクリアする」だって、立派なゲーム的態度だぞ。 ジョニーかティミーかスパイクかの違いに過ぎない。 (この区分もとても大事だが、スーツの哲学とは別の問題である)

2018-11-26 20:09:18
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

脳内で出てきた小ネタ。キリギリス8章ネタ。 紳士「いや、その登頂装置をエスカレーターにして、その上を私が走ると言うならゲームになるのではないかね?」 スケプティコス「東京駅の地下の歩く歩道で走って遊ぶ子供かお前は!」

2018-11-26 20:11:10
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

尚、こんなふうにこの箇所を読み解いても充分だと思う。 作中のエドモンド・ヒラリー卿は ①”山を選ぶ”事で難易度を選んで=資源の限定、目標の設定 ②最高の道具を選び=RPG等で言うブリーフィング。効率化の一種) ③その頂上に自力で登る=登山ゲームのプレイに参加する

2018-11-26 20:15:04
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

要は、山を選ぶ時点でぷよぷよのこの画面と同じ事をしている。 pic.twitter.com/u24EglfKmc

2018-11-26 20:15:05
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【第9章】逆ひねり

難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

【9~12】除外の検討③。 纏めた所、9章から12章は、一連の流れであり、実質1つの話。 その為ひとまとめで話す。

2018-11-26 20:33:47
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

Q:ゲームの定義を全く別のものにする事で、これまでに出てこなかった種類のゲームも説明出来るのではないか?勝ち負けが存在せずずっと続いていくごっこ遊びなども、ゲームとして包含する方法がある。それは「物事の本来の目的—手段の関係を逆にする行為がゲームだ」と言う定義だ。如何だろうか?

2018-11-26 20:33:47
難題の預言者、悉若無@いりやらさんどるあはれなり @L_O_Nihilum

物事の本来の目的—手段の関係を逆にする」この事を9章で、Skpが「逆ひねり/Reverse English」として紹介する。ネタ元はビリヤード用語らしいケド私ビリヤードが分かんないから元のイメージが解んない涙w。

2018-11-26 20:33:48
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