尾上先生の勉強風景 (17) ボイヤー『宗教的観念の自然さ』

ダーウィンのフォースが(略)
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尾上正人 @9w9w9w92

「因果的期待の過剰な拡張は、社会的『本質』の表象に見ることができる。因果的特徴は明らかに、宗教的な位置づけにとっての主要な同定基準を与える。…本質主義的理解がいかに因果的期待を強めるか」pp.178-9.

2019-03-02 15:18:59
尾上正人 @9w9w9w92

「本質に基づく解釈は、特定の人々の特別な力を、それらの力がいかにして現れるかの図式化された理解なしに表象することを可能にすることによって、宗教的能力の表象を遥かに目立つものにする」p.179.

2019-03-02 15:24:26
尾上正人 @9w9w9w92

「ヒトと動物の行動における『儀式的』とラベル付けされる状況の間には、明らかな類似性がある。…ヒトの儀式は一般に、動物のディスプレイの多くのタイプにも適用されるような特徴のおかげで、そのようなものと認識される」p.189.

2019-03-02 21:08:55
尾上正人 @9w9w9w92

「淘汰アプローチ」からは「儀式は行動の様態に見え、それは他の種と同様にヒトにも利用可能で、その観点からは闘争や逃走やその他のタイプの直観的に同定された行動様式に準えられる」p.191.

2019-03-02 21:27:36
尾上正人 @9w9w9w92

「人々は、儀式配列の神学的説明にアクセスする時でさえも、そうした資源を体系的に使わないように思われる。…神学的モデルは、多くの参加者たちに部分的には知られているかもしれないが、しかし神学者なら自明視するような演繹的な方法では単純に使われない」p221-2 simply notなる奇妙な用法が頻出

2019-03-03 04:44:14
尾上正人 @9w9w9w92

「たとえ宗教的表象には完全にランダムな変異があるとしても、初めからあらゆる世代で、あるタイプの表象が選好されるだろう。社会的カテゴリーの本質主義的理解は、基準に基づく表象よりもあり得そうである。儀式的出来事の脚本は、文化モデルの演繹的適用よりもむしろ、」→

2019-03-03 05:09:34
尾上正人 @9w9w9w92

(承前)「憶測的アブダクションを通じて背景となる条件を与えられるだろう。存在論的で因果的な想定は、もしそれらが、直観的存在論の明示的な違反を推論的基礎の暗黙の確認と結びつけるならば、より出現しやすいだろう」p.227. これがたぶん、超難解な中盤(第2部)の要約…(^ ^;)

2019-03-03 05:15:12
尾上正人 @9w9w9w92

「人々は各世代ごとに一から始めるのではなく、彼らの宗教的表象の大部分は前の段階での(大まかには)似ている表象の存在から強く影響を受けている」pp.228-9.

2019-03-03 05:26:20
尾上正人 @9w9w9w92

「『神学主義(theologism)』の罠……宗教的想定が…ある抽象的な知的存在(『象徴システム』『意味の網の目』『文化的理論』等々)を前提することによって最も良く叙述できると考えること…宗教的想定は、その正確な特質がはっきり述べられていない抽象的客体の実現ないし実行として扱われる」p.229.

2019-03-03 05:40:42
尾上正人 @9w9w9w92

循環…「多くの宗教的『システム』において、いろいろなレパートリーからの想定は、<循環的>構造をなすという意味で、知覚できるシステムの中で最も緊密に縫い合わされた類のものに統合されるように思われる」pp.230-1.

2019-03-03 06:17:14
尾上正人 @9w9w9w92

この循環って、ハロルド・ガーフィンケルの「相互反映性(reflexivity)」と同じものやね

2019-03-03 06:29:01
尾上正人 @9w9w9w92

ヒューム「[帰納は]循環の中で動いていなければならないことは明白だが、そのことは自明視されている」p.232. 『人間知性研究』(1748年)の一節らしいが、これってガーフィンケルの元ネタ?(Studies in Ethnomethodologyでは引用されてなかったような…)

2019-03-03 06:39:22
尾上正人 @9w9w9w92

「ある宗教的想定の相対的な安定性……大部分の集団の大部分の人々は、人生を通じて(大まかには)同じ宗教的表象を持ち、彼らの子孫も(大まかには)同じものを利用する傾向がある」p.255.

2019-03-03 13:53:45
尾上正人 @9w9w9w92

「文化的な安定性は記憶の過程、とりわけコード化と想起に依存し、それらは意識的な主体のコントロールを超えていることを、心に留めておかねばならない。より一般的に、ある世代から次の世代へと再発する文化的材質の範囲と、その材質に対する人々の態度との間の相関は大きくないように思われる」256

2019-03-03 14:01:22
尾上正人 @9w9w9w92

「再発の『淘汰』モデル…これは人々が、統合された『文化的図式』が集団の大部分のメンバーにより共有され、社会的相互作用のいろいろなエピソードで曖昧さを残さずに示されるような、単純な環境に生きていないことを暗示する。…文化的な想定は、いかなる時も多くの異なる変種で利用可能なのだ」p256

2019-03-03 14:10:21
尾上正人 @9w9w9w92

(承前)「これは、メンタルな表象が…文化的インプットによって過小決定されるという事実の単純な結果である」p.256. この著者、simpleやsimplyをやたら使うが、英語の用法としては首をかしげてしまう(仏文ではseule, seulementが割と多用されるんかの?)

2019-03-03 14:16:03
尾上正人 @9w9w9w92

「人々は、恒常的な方向性のない変異が例外よりもむしろ法則であるような文化的環境に生きている。このことは、個人の心が代替案の間で常に選択を行なっていることを暗示する。その結果として、相対的な文化の安定性は、特定の淘汰過程の帰結として解釈されなければならない」p.256.→

2019-03-03 14:21:41
尾上正人 @9w9w9w92

(承前)「淘汰は、偶然の変異を正確には反映しないという意味で<バイアス>がかかっている。逆にそれは、ある想定の活性化の尤度を増加させる傾向がある」p.257. ボイド&リチャーソンのキャッチフレーズである(文化の)「バイアスがかった伝達(biased transmission)」を想起させるなあ

2019-03-03 14:28:45
尾上正人 @9w9w9w92

「二重の淘汰が、しばしば無意識に作動している。第1に、儀式の生起の適切な特徴と適切でない特徴の間で、さらに、適切な特徴によって示される変種の間で」p.257. 苦節250ページ、終盤になってようやく文化進化っぽい話になってきた(泣)

2019-03-03 14:35:27
尾上正人 @9w9w9w92

「本質的なのは強化の過程であり、それによってある想定が、特定の状況の叙述を豊かにする原因を与えるものとして楽しまれる。…宗教的表象の『体系的』側面のいくつかは、そうした強化の過程の帰結として説明できるだろう。…言い換えれば、強化の過程によって代替案の数が減少し、」p.258.→

2019-03-03 14:56:39
尾上正人 @9w9w9w92

(承前)「それに伴って、考慮された[選択された?]各々の想定の活性化確率が増加する。そこから予測される帰結は、少なくとも短期において、強化された想定は代替案よりもより多く再発するだろうというものである」p.258.

2019-03-03 15:01:24
尾上正人 @9w9w9w92

「想定は、状況の叙述として『置かれる』という事実によっては強化されない。言い換えれば文化的想定は、単に頻繁に用いられるだけでは、より目立つものにはならない。想定は、もし状況の叙述を豊かにするべく用いられるなら、すなわち、もし表象における先駆として役立つなら、強化される」pp.258-9.

2019-03-03 15:09:24
尾上正人 @9w9w9w92

「『成功者』の想定が置かれる時にはいつでも、先駆者が強化されやすくなる。多くの文化的環境の場合のように、『循環』が存在する時に起きることは、ある時点で主体に利用可能な想定プールの中で、いくつかの想定が先駆者や成功者として代替的に用いられ得ることだ」p.259. この辺はミーム論っぽいな

2019-03-03 15:20:36
尾上正人 @9w9w9w92

「純粋に口承で、制度化されていない宗教的伝達の状況においてすらも、個人の淘汰過程を強化するか、あるいは少なくともそれと並行するように思われる要素が見られる。最も重要なのは、多くの宗教活動が<物質的しるし>を作ったり用いたりすることで、その内的安定性は、宗教的伝達の重要な要素だ」259

2019-03-03 15:29:19
尾上正人 @9w9w9w92

「[著者が調査したカメルーンの]ファング族の<ビエリ>のような物質的しるしは、[文化人類学で一般的な「シンボル」ではなく]<手がかり(cues)>として叙述した方がより現実的だ。それは特定の状況で、多くの利用可能な想定を与えられ、人々の注意をそれらの想定のいくつかへと向けるだろう」p.260.

2019-03-03 15:38:18